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花咲かぬリラの話・・山本周五郎

リラとライラックは同じ花。英語読みとフランス語読みのちがいです。
薄紫(白)の可憐な花と優しい香りが見る人を癒してくれるリラ。初夏に咲くこの花を見る旅行も悪くないだろう。

比較的寒冷地を好むこの花木は私の住む温暖の静岡ではあまり見かけない。矢張り北海道が有名である。

私がこの花を最初見たのが八ヶ岳の山麓ウオーキングの際の清里高原だ。
人生最初の遭遇であったこの時の印象はなんと「清楚で清々しい」であった。

このところ八ヶ岳周辺には出かけていないのでしばらく見ることがない。
そんな日々の折、山本周五郎の「花の咲かないリラ」を読んだ。
短編であるが何度かこのNoteでも彼の書評を書いてきたがこれも読み終わった時、本の中からリラの花が匂ってくるような清々しい気持ちになった。

山本周五郎は大衆小説家であろうから余り思想的な本はない。
庶民が好む生活感や人情を描くのが得意だし私のように日常哲学書や歴史書を好んで読んでいるから疲れている頭を冷やしてくれる効果があるのだろう藤沢周平と共に好きな作家だ。
さて表題の『花の咲かないリラ』である。

札幌のリラ


簡単な内容を書けば、『時は先の大戦中から戦後の純愛を貫いた男女の物語』
・・南方の地獄の戦線、玉砕を報じられた部隊から奇跡的に助かった主人公、麻川来太が、帰還後直ちに訪ねたのが大学の恩師宅である。
その家に婚約者杉浦富美子が下宿先として暮らすが、そこから物語は始まる。

真っ先に恩師宅に向かったのは出征前将来の約束を交わした富美子が待っているからであった。
然し彼女は宮城の田舎に引っ越した後であった。おそらく来太の部隊全滅の報を知ってすべてを諦めたのあろう。

出征前、来太の郷土北海道縁の花、リラを恩師宅の庭に二人で植え、木札を近くに立て「また逢う日まで」と小さく二人で書いた。

「抜き棄てたのか、それとも、持っていったのだろうか」リラの木はそこにはなかったのだ。無残にも「また逢う日まで」の木札が抜かれていて、掘り起こし跡に置かれていただけだった。

 5年前きっと帰ってくると富美子に誓い、それを聞いて彼女は激しく泣いた。その思い出に、来太は何事かを思い呟やいたが言葉にはならなかった。
五年まえの秋の、あの日のことが痛いほど切なく想い返されたのだ。

戦地で死にかけた来太は、彼なりに日本及び日本人が戦前戦中アジアに対し自国中心の植民地戦争を仕掛け多大な迷惑をかけたことを反省していた。

自分の専門である農業科学をもとに新生日本が目指さなければならない新たな国づくりため今まさに生き残りの5人の部下を連れて、郷里の北海道に酪農王国建設を目指していたのだ。

部下たちを先に行かせ自身は、富美子が帰省したという宮城の実家へ一人向かった。彼女の現況を確かめるためであった。

面会した豪農で土地の名士であった父親は消息を語るどころか剣もほろろの応対であった。

その家の作男を質すと、富美子はシスターとして土地の教会にはいったという。父親は耶蘇教の尼僧となった娘をひどく世間に恥ていたのだ。
直ちに教会に向かう来太。
二人は5年ぶりに再会を果たすも・・・富美子には教会を離れる気はないという。
そのわけを聞く来太と苦し気に話す富美子だった。

「帰ってきました」来太は先ず、しずかにそう云った、
「……そしてこれから北海道へ帰り、いつか話した酪業農場の経営を始めます、どうかすぐ教会離脱の手続きをとって僕といっしょに来てください」

富美子は目を伏せ「……お願いします、どうかわたくしのことはお忘れくださいまし」
「僕の眼を見たまえ」来太は命令するように云い、両手をテーブルに突いて半身をぐいと前へ乗り出した、「……そして理由を聞こう、それだけの権利は僕にあるはずだ。面会時間は三十分だといいましたね、しかし断わっておくが、僕は納得のゆかぬうちは二時間でも三時間でもここを動かない、わかりましたか」そう云って烈しく富美子の顔を見まもった。

「……申し上げましょう」やや久しくして、彼女はうつむいたまましずかに口を切った、
「……ここへ入る決心をした最大の理由は、あなたのいらしった部隊が玉砕したという報知のあったことです」
「その点はいま解決したはずだ」
「わたくしそのとき生きる希望を喪うしないました、正直に申します、それまではあなたという方がそれほど自分に近いとは想像もしませんでした、招集されたあと、もしかすると戦死をなさりはしないか、そう思ってみるときでさえ、堪えられないほどの苦痛や悲しさは感じられなかったのです。

……それが、玉砕したという知らせを聞いたとき、もうあなたには二度とお眼にかかれないのだ。決して決してお会いすることはできないのだ、そう思ったとき、わたくしは」
そう云いかけた言葉は、激しくせきあげる嗚咽のために途切れた。

「こんな云い方を許していただけるでしょうか」と、ようやく泪なみだを押えながら、富美子はやはり面を伏せたまま云った。
……わたくしの心と感情は、そのとき死んでしまったのです。

その前と後とでは富美子という私は人間が違ってしまいました。
生きてゆくというだけの気持の張りさえなくしてしまいました。
そのうえに戦後のこの国の悪徳と虚偽に満ちたありさま、救いようもなく汚れてゆくありさまを見まして、わたくしはどうしても世間に立って生きる自信がありませんでした。
これからもその力はございません、わたくしにはございません」

「わかった」来太はいった。
……生きる希望を喪った原因の一つは、僕が帰ったことで解決されたはずだ。次の問題は現在の日本が虚偽と悪徳に満ちている、救いようもなく汚れてゆく、だから世間を捨てて修道院の中で清浄に生きたい。……こういうのだね。よし、それではこんどは僕に云わせてもらおう。

現在日本の国土はほとんど維新当時の狭さになった、その原因は簡単ではないが、多くの同胞を殺し、国土を喪い、そのうえ厖大な対外債務を作った責任は誰でもない私たちなのだ。
……私たちが祖国をこんな状態につき墜おとしたんだ。そして、そんな荒廃を子供たちに押し付けたんだ。

私たちの子や孫は、この息詰まるような狭い国土の中で、おそらく五十年も百年も、国家の復興と親たちののこした債務のために苦しまなければなるまい。
しかも子供たちにはなんらの責任もないというのに」

 来太はぎゅっと唇をひき結び、こみあげてくるものを抑えるようにしばらく言葉を切った。

「事ここにおよんだ理由や原因を千万ならべたところで、この責任がわれわれにあるという点はいささかも軽くはならない、せめて出来ることは、そういう苦難を与える子供たちのために、われわれはなにかをしなければならぬということだ、自分にできる限りなにごとかを子供のためにしのこさなければならぬということだ。
……なんの罪もなく生まれ成長する子や孫が、どんなに苦しい困難な生き方をしなければならぬか、それを考えれば、われわれには、自分ひとりのために生きる時間はないはずだ、少なくとも僕はそう信ずる」

「……富美子さん、立ちたまえ、君に生きる力がなければ僕が手を貸す、君は僕について来ればいいんだ」
 富美子は顔もあげず身動きもしなかった。

来太は青函連絡船の乗船場で部下たちと待ち合わせていた。「時間がないんだ、早くしたまえ」と云い、床の上から自分の鞄を取った。しかしまだ富美子は動こうとしない、……とそのとき、来太の後ろの窓から、「いつまで問答を続けるのかね」という声がした。来太が振り返ると、窓の外に富美子の父、杉浦氏が来て立っていた。

「君の説はここで聞いたよ」と、杉浦氏は癇の強そうな顔に微笑も浮かべずそう云った、「……それ以上なにも云うことはあるまい、君はけさわしの家へずかずか踏み込んで来たが、どうして今あの手を使わんのかね」
 来太は大股に窓へゆき、
「黙っていてください、僕のことは僕がやります」そう云いざま手荒く窓を閉めた。そのとき初めて、杉浦氏の半ば白い口髭がゆがみ、わずかに微笑のゆらめいたことを来太は知らなかった。彼はふたたびテーブルの前へ戻った。
「出かけるんだ、そのかぶっている物を脱ぎたまえ」圧倒するような声だった。
「脱ぎたまえ」
「…………」富美子はたゆたいつつ被衣を脱いだ。そしてしずかに面をあげた、唇がふるえ、眼にはいっぱい泪がたまっていた。

「汽車の時間がある、幸いお父様が来ていらっしゃるから手続きや荷物のことをお願いしよう、それでいいね」
「……わたくし、家へ寄ってまいらなければなりません」
富美子はしずかに被衣を折りながら、しかし今はもう心のきまった眼で来太を見上げた、「……あのリラの木を持ってまいりたいと存じますから」
「ほう、あれは実家へ持って来てあったの」
「花の咲かないということが可哀そうでしたから」
「なにリラは寒い所が合うんだ、北海道へいったらきっと咲かせてみせるよ」
 二十分後、地味なワンピースに着換えた富美子の腕を取って、来太は大股に修道院の門を出ていった。
坂道を下りかかったとき、ようやく中天に昇った早春の日を浴びて、落葉松の芽ぶきだした枝から枝へと鶯の鳴きわたる声が聞こえた。



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