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伊吹山

以前、山仲間のMさんより伊吹山花旅の誘いがあった。  深田百名山伊吹山は標高こそ1300m台しかないが、滋賀 岐阜 両県に跨る 名峰であるが現在ではドライブ道が山頂付近にまでつながりいわゆる登山の山ではなくなった。

  関ヶ原古戦場近くのドライブウエー 入口から山頂に向かう。高い通行料だ。 3千円を払い山頂パーキングに到着した。
水曜日であるのに人出が多い。日本武尊伝説、高山植物の宝庫、大和朝廷薬草採取地とうの宣伝が行き渡っているのだろう。

早速、西遊歩道から東遊歩道への定番ハイキングを 開始した。天気はこれ以上望めない快晴。 感謝、感謝である。山頂部から東遊歩道に抜ける鞍部の素晴らしい風景を写真に収めたが名物の下野草の群落は疎ら咲きで残念だった。

伊吹山は日本神話のヒーロー、日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説の地でもある。山頂にその尊像が建てられている。

第12代景行天皇の皇子。武勇でその名を知られている。大和朝廷全国統一のために命令を受け西方と東方に遠征、勝利を収めたが、帰途に伊勢の『能ぼ野』で没した。

日本武尊が東の国征伐から帰る途中、伊吹山に荒神がいることを聞き、その荒神を征伐するために伊吹山に登った。
山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため、尊は弓矢で威嚇してさらに進んだ。

しかし、なぜか急に毒気にあたって熱を出し気を失った。実はこのイノシシは山の神の化身で、その怒りにふれたのです。
従者は、尊を背負って退散し、麓の清水が湧くところで尊に冷水を含ませるとたちまちに目が醒めたというのです。

以来、この地は醒ケ井(滋賀県米原町醒ヶ井)と呼ばれ、その後尊は伊勢の『能ぼ野』に行き、ここで亡くなったとされる。

この白い巨大な猪は宮崎アニメの『もののけ姫』を連想させる。四本牙を持つ劇中の巨大な白い猪神。嗅覚と洞察力が鋭く、人間のたくらみを見抜く能力を持ち、敵対する人間を死に追いやる毒気を持つ。伊吹山の猪神そのものだ。

人は時として神ともなぞらえる自然さえも破壊する。「たとえ我が一族が悉く滅ぼうとも、人間に思い知らせてやる」という白い猪神のセリフは立場を変えた自然から人間への挑戦ともいえるのだろうが、古事記、日本書紀にそのような思想があるのかはわからない。

史実的には武力一辺倒の平定は時として土地の豪族の反撃にあい、無用の争いが発生した。それが日本武尊の死であった。

尊に勝利した豪族は多分、継体王朝系で、彼らは、主として湖北を中心に活動をしており、日本武尊の属した旧い大和政権にとって代わろうとして衝突をしたのだろう。記紀編纂者はこのような形で勢力交代を暗示したのだろう。

日本武尊が最期に読んだとされる4首の歌の内もっとも有名な歌が、

大和は 国のまほろば たたなづく 青垣、山隠(こも)れる大和しうるはし
です。

尊は東国平定のとき、浦賀水道で一行の船が海神によって航行を妨げられると、海中に身を投じて海神を鎮め船を進ませた最愛の妻「弟橘媛」おとたちばなひめを最後まで懐かしみ亡くなりました。訃報を聞いた家族は『能ぼ野』に駆け付けました。

すると御陵から大きな白い鳥が天空高く飛び立っていきました。尊の魂は白い鳥となって恋しい故郷の地へ飛び立っていったのです。

白い鳥は西の方に飛び去ります。大和を越えて更に飛び和泉の国に降り立ちます。そこで神として鎮まりました。そこが和泉の国大鳥大社です。

以降人々はそこを白鳥(しらとり)の御陵(みささぎ)というようになりました。

鳥を死者の霊魂の運び手と捉え、日本武尊の白鳥伝説を誕生させた背景とは何だったのだろう。京都の伏見稲荷大社の創建に関して、白鳥が稲や田の神の象徴となっていますので、白鳥は農業と深い関係があることが分かります。

日本の国つくりの礎は農業であり、その国を統一国家として礎を築いた英雄、日本武尊は白鳥にシンボライズさられたのではないだろうか。農耕の最高神ともいえる白鳥神として旅立ったことに意味がつながるのでしょう。

私の生まれ育った静岡県焼津にも日本武尊伝説がある。

古事記では、相模の国、相武国造に荒ぶる神がいると欺かれた日本武は、野中で火攻めに遭う。そこで叔母から貰った袋を開けると火打石が入っていたので、草那藝剣で草を刈り掃い、迎え火を点けて炎を退ける。生還した日本武尊は国造らを全て斬り殺して死体に火をつけ焼いた。そこで、そこを焼遣(やきづ=焼津)という。我が故郷焼津の地名の起源を示すものだ。

日本書紀では駿河が舞台で火攻めを行うのは賊だが大筋はほぼ同じで、焼津の地名の起源を示すものも同じだ。ただし、本文中では火打石で迎え火を付けるだけで、草薙剣で草を掃う記述はない。注記で天叢雲剣が独りでに草を薙ぎ掃い、草薙剣と名付けたと説明される。火打石を叔母に貰った記述はないがこの草薙は地名として今も静岡市に残り草薙神社もいつの日かは知らないが今もこの地に鎮座している。

画像はWebより

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