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クリムトとジャポニズム

19世紀末のオーストリアハンガリー帝国首都ウィーンは華やかさはパリに負けない文化都市でした。当時のウィーンで興っていたモダニズムは、パリのモダニズムとライバル関係にあり、互いに意識し発展を競っていました。

フランスのモダニズムは、目に見えるものをモダンな知性と創造力で描く印象派なのに対して、ウィーンモダニズムは人間の存在の描写に力を注ぎ、フロイトを筆頭とした医学の進歩からくる人体へのアプローチで、タブー視されていた性的表現の改革・発展も伴うものでした。

19世紀末のオーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンで、ウィーンモダニズムの旗手として活躍したグスタフ・クリムトは、写実的でアカデミックな画風から出発し、金箔を多用する「黄金様式」を経て、装飾的で抽象的な色面と人物とを組み合わせた独自の画風を確立した画家として特筆されます。

感受性性豊かなクリムトは多様な美術品や伝統工芸、建築などからも刺激を受けて、作品に盛り込んでいた。この記事の主題である日本との関わり、欧州で流行していたジャポニズムからも多大な影響を受けていた。

グスタフ・クリムトの代表作「接吻」を見ている。恋人達が静寂の中で接吻をしようとしている何とも官能的雰囲気の作品である。文様化された足元の花々。西洋絵画の伝統である立体的表現ではなく日本絵画のような繊細な線による輪郭、それを際立たせる金箔を散りばめた背景と豪華絢爛たる装飾性の極み。

尾形光琳を代表とする琳派に多くの影響を受けたといわれるこの画には光琳の紅梅図に描かれた流水紋、渦巻き紋も書き加えられている。この画は発表されると同時にウイーン市民に圧倒的賞賛を浴び即、政府に買い上げられた国宝級名画である。

また、クリムトが晩年に制作した「生命の樹」は生命の系統図に似せた樹が大地に根を下ろし、吸い上げた生命力を拡散させるかのように渦巻状の枝を四方へと伸ばしている。

生命の逞しさ、永遠性を単純なフォルムの様式美に昇華したクリムトの才能も然ることながら、縄文土器文様との類似性に私達日本人は、驚くのである。

クリムトの祖国オーストリア・ハンガリー帝国のハルシュタット湖畔にある遺跡は、古代ヨーロッパ文明の基層文明であるケルトの遺跡といわれる。紀元前数百年前から数千年以前インド、イラン周辺から西へイングランド、アイルランドに至る広大な地域を駆け抜けた文字を持たないが世界で最初の鉄器を使い、死を恐れない勇猛な民族がケルト民族といわれる。

ケルト民族といっても固有の民族ではなくケルト語を話す人々と呼ぶのが正確らしいが、そのハルシュタット文明の遺跡に多く残されているのが、ケルトの生命観の象徴渦巻き文様である。

国家というものを持たず森の民といわれたケルトの人々は、万物に神と精霊を認め、万物の生成と生滅に独得の考えを持っていた。

時代が移り、オーストリアの様に大陸のケルト(ガリア人)と呼ばれたものは、ローマ帝国とキリスト教文明に吸収され、遺跡にその面影を残すだけになってしまったが、島のケルト(ブルトン人)とよばれるものはウエールズ、スコットランド、アイルランド(フランスのブルターニュも含むブリテン諸島)にキリスト教伝来後もそれらと巧みに融合して今日的文化として生き続けているのである。

十八世紀のヨーロッパの美術界には、ジャポニズムといわれた日本美術がセンセーションを起こしており、芸術家達にその技法や構図が大きな影響を与えていた。

それら日本の美術品の中には高度に様式化された伝統的文様として渦巻き紋が使われている。それを見たクリムトは自分たち先祖、ケルト人も使っていた聖なる文様の類似性に驚き、親近感を抱いた筈である。それが名画「接吻」を彼に描かせた一つの動機であったのだろう。

そして、それを鑑賞する後世の私達日本人は、その画に光琳や縄文土器への想いを馳せるのである。

♦生命の樹

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この作品からはエジプトと日本の影響を受けていたのがわかる。四角や三角、目のような模様、中央の鷲もエジプトの模様に似ている。

しかし注目したいのは日本の影響である。生命の樹は尾形光琳の作品から影響を受けているといってもいいのだろう。

にじみの表現を使った「たらしこみ」と余白を含めた大胆な構図、そして二曲一双(にきょくいっそう)という、二つの面の屏風を二つ並べて対照的にしているのが尾形光琳などの琳派(りんぱ)の特徴なのだ。この特徴の描写が素人目ながらはっきりとわかるのが「生命の樹」である。

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尾形光琳の紅白梅図の両サイドの木と生命の樹の両サイドの人は立ち位置がが類似している。真ん中に流れる川は生命の樹では木が立ち、木の枝の渦巻く様子が川の渦巻きに似ている。

古びた両サイドの木は死の表現、空間の余白と木、川の構図はバランスよく配されている。そして美しさの中に静けさが、静けさの中に美しがある。簡潔にそれを表現すれば「わび・さび」なのだ。

生命の樹は西洋では珍しい何もない余白としての空間が枝と枝の間に無数に存在する。それは儚さと静けさの中の美しさであり非常にパワフルな感情を見るものに与えてくる。

この静中の儚なさが日本画の技法なのだ。日本のわびさびは抽象であり静けさの中の美しさと悲しさとシンプルさの調和である。

わび・さびは自然と調和することによる禅の悟りの境地にも通じるのだ。クリムトはこの感覚を西洋のアートに取り込もうとしていたにちがいない。

真ん中の木は地球を覆うかのような大きな広がりが空に到達している。根っこはしっかりと地面についている。それは人間の大きな愛であり優しさなのだろう。

クリムトの作品には日本の美学や各国の美学も取り込まれている。これは多様な文化が同じ場所で共存し、文化と文化の調和ということの意味もあるのだろう。

生命の樹には多種多様の文化(エジプト、キリスト、ビザンティン帝国のアート、日本の美学)があり、それらが見事に調和している。この表現法をもたらした紅白梅図は「一即多」「多即一」の仏教的和の精神の表現であり、矛盾対立する事象が実は共存することであるとする大乗仏教の神髄を絵に込めた琳派の表現法なのだ。

クリムトの作品から見える日本の美学とは禅の思想だ。わびさびという美の哲学であり、生と死という哲学だ。

禅は悟りを開く思想であり哲学だ。自分の考えをゆがめているものに気づき、ありのままを悟ることなのだ。西洋美術ではリアルに描くことが伝統的に求められてきたが琳派の作品は抽象が主題なのだ。

琳派の主題はわびざびであり質素で静しつなものだとした。そこには質素と静を見すえる構図、配置、色、形、大きさなどが計算され描かれている。それに無常なるものの要素が加わることで儚いものこそが尊とき美しきものと感じさせるのだ。

生と死の哲学はわびさびとも関連しているがそれは刹那的な美しさの表現なのだ。桜は見てただ綺麗と思う矢先にハラハラと散る。そこに儚い命があり今だけしか見えないことを見る極限の美を感じるのだ。それが日本の美学であり生命感なのだ。クリムトの生命の木を見てこんな発想に浸り饒舌になってしまった。

クリムトの代表作接吻は金箔色と装飾的な模様を多用した豪華で特徴的な画法で2次元の平面的で遠近法のない空間、屏風を連想させる金の縁取り、人物の顔や身体には写実的描写を混合させたクリムトのオリジナリティー高い表現が特徴ですが19世紀末のユーゲントシュティール(象徴主義)の代表となったこのクリムトの画法が、実は日本画家 尾形光琳の影響を受けていたと明らかにしてきた。

光琳は屏風などの背景には金色のみを使用し、人物や風景などの写実的な要素に、本来の職業、呉服屋からのパターン化された着物のデザインや家紋のような装飾を取り入れて2次元的に表現しています。絵画というよりはデザイン画の要素が多いのが特徴です。

クリムトはパリ万博に出品された紅白梅屛風を真近にみて刺激され、生と死の『命』、男女間を意識した『愛と性』をテーマにした絵画を沢山描き続けた。その原動は絵画を通して表現したいテーマが光琳と同じだった事に他ならないということが私の実感である。


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