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心と体 意識とは何だろう

初めに
現代でも基本的にはあまり変わっていないかもしれないが、古代ギリシャでは、魂や精神を重視し、身体を二義的に扱い、人が死ぬと魂は神々の下に帰る、すなわち霊魂は生命の元と考えていました。

この哲学的霊魂観が、霊肉二元の宗教思想と結びついて西洋の思想的な中核が形成されていきます。

二元論と近代科学
 デカルトは「われ思う,故にわれあり(cogito, ergo sum)」と言い、ひとの本質は意識の主体、心にあるとしました。

心や心がからむ複雑な問題は科学的に扱えないことが多い。
全ては数式で解明できるという前提で成り立つ科学は心の問題を切り離すことによって問題を科学という俎上に載せて発展した。

言い換えれば、人の精神現象は科学の対象とはならないとしたのだ。
 
近代合理主義や近代科学は,このような心身二元論と出会い発展普及してきたのです。

医学の分野でも如かず、身体を精神から分離し、機械論的な見方をすることでめざましい発展を遂げたのですが、移植、再生、遺伝子治療などの先端医療分野ではそれに収まらない問題も発生してきている。

心身二元論への批判
私が思うからできるのは、この身体があるから可能であり、心身の関連を抜きには成りたたない。この矛盾に、「近代人は身体の重要性を忘れている」と一元論者たちから、デカルト的心身二元論の批判がおきて
きました。
 
そして、多くの批判論議を経て第二義的にみられていた身体は、「生きられる身体」として現象学の主題となったのです。

2へ続く


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