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樹を巡って、榎その他

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一本の大榎を中心に。纏まれば小冊子にする予定です。
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背高桜林

背高桜林

西か東か、三鬼の忌。
でも北に行った。
山裾の桜林。
鷽(ウソ)に会いたかったのだ。

 (略)

さて、背高桜林。
猪対策の柵だらけで、径は一本。畦を伝って池から登る。
暢気に鷽と蕾を愛でるつもりが、七分か八分の咲きよう。
この東屋を桜の書斎にしたいと夢見たこともあった。
誰も訪れないのか、二面ある大机はうっすら緑の苔か黴。
ウソ吹きはいなかったけれど、キツツキが来た。

(以上は、2014年4

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桜の書斎

桜の書斎

(2012年4月14日のブログから)

里山斜面の桜林を見つけてから、
花の間ここを書斎にして通ってみたい、
何を書くかは桜を目の前にして——
そんな夢想をしてみたが、
その頃から坂道で息が続かなくなり、
イノシシの出没も激しくなってきた。

いつからか三つの池の土手に金柵が設けられ、
最寄りの峠道からは行けなくなってしまった。
ぐるりと遊歩道を迂回するしかないが、
その山径にもイノシシの足跡はあ

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ユリノキ

ユリノキ



 百合の木
山の麓に昔
女の子が生まれて
一本の木が植えられた
花を育てる小さな村から
溜池の連なる峠道に出ると
その木は目立って美しい
誘われて畦道をゆくと
いつか見覚えのある葉の形
枯れた実も残っていて
田舎には珍しいユリノキであった
主に聞いてみると
楓(フウ)だという
「植木屋がそう言った
何かいい木をと頼んだらこの木で
もう三十年経つ」
花の頃にもう一度見せてほしいと
花の頃に来て懐

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バショウ

バショウ


芭蕉

禅寺への道端に
一株の芭蕉が生えていた
気儘に
破れ加減で
そのあたりだけ空気が旨かった

でもさ
芭蕉ともあろう木が
なんで境内に入れないのか
不許葷酒入山門
そう言えば
風に乱れた様なんぞは
飲んだくれのようで
ちょっと見危ないものね

これじゃ
芭蕉じゃなくて
路通だね
自然体が不穏で放縦で
どうかすると
ばさばさと鳥のように羽ばたく

庭前の柏樹子ならぬ
門前の芭蕉樹
せっかくだ

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サザンカ

サザンカ

2010.11.30

詩 サザンカ村の入口に
咲くサザンカはもう無い
大きな木の
ましろの
百千の花は空中に帰った
切株では
体は休めても
魂はやすらがないだろう

切株町を抜けて、サザンカの大木の跡に寄った。
白い花をいっぱいに着ける名木であった。

ふうらが一人切り株の上に立って、往年の花を夢想する。幻視する。

こういう村の出入口に立つ木は、みんなが歩いていた時代には
とても大切にされ、愛

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鳥と木

鳥と木

アベマキまで木は散歩の宛てであり、ともだちです。思い思いに立って、それを巡るのはこちら。この星の同じ生物でいながら、あちらは植物、こちらは動物。

一番散歩したコースというと、やはり長年住んだ金沢の犀川河原。キョウチクトウの家を出て、宛ては優しい樹形のタチヤナギでした。道中にスズカケ、トチ、エノキ、ポプラ、ニセアカシア、キリ、ハンノキなどを見ます。川向うの高台に立派なケヤキが一本ありました。

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雨の日の伐採

雨の日の伐採



八月八日に、北条小学校の大榎は伐採されました。
この日は葉っぱの日だからか、笑いの日だから明るく見送ろうなのか、隣接の五百羅漢の千灯会に合わせたのか。

またこの日は、小学校の大先輩でもある柳田國男の命日でもありました。未来の民俗学者が校庭で運動をしたり遊んでいたりした頃(1885年)、榎はどんな大きさで枝を広げていたのでしょう。

伐採は午後一時から。雨模様の中、百人以上のこどもとおとなが集

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権現平の桐

権現平の桐


桐の木ぽつんと立つ木を
鳥は好む
見晴らしのいい木を
人も愛する
雨風はきついが
雷は恐いが
日光は浴び放題だ

北へ散歩すると
権現平の
崖っぷちの桐の木までゆく
そこが終点になったり
さらに山の池を目指したり
夕日と
桐の木のシルエット

伝説では
鳳凰が唯一翼を休める木
いやあれは梧桐の方だと
いろいろに言う
ぼくが見たのは
一羽の便追が
枝の上をとことこ歩く姿

            

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星と樹

星と樹


星と樹夕闇のネムノキ。葉は閉じて眠りにつきかかっている。花はシルエットでそれとわかる。見上げていると、ぽっと赤い星が灯った。牛飼い座のアルクトゥールスだった。

小学校校庭の病死した大榎。ばっさり伐られて、いまは太い枝を短く挙げるのみ。それも来月には根元から伐採されるという。近寄ると、両手を広げたような枝の中に星が入った。スピカ、火星、土星の三つの並び。これが最後の風景になるだろう。

    

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蝸牛山のコナラ

蝸牛山のコナラ



  古里は楢の若葉に沈むのみ遠く異郷にあって詠んだ句です。
小学校、中学校の校章はナラの葉と実をデザインしたものでした。高校もそうだと思い込んでいたら、こちらはカシワでした。それで市のシンボルの木はカシだから、なんだかよく分かりません。ま、それはともかく、小さな盆地はドングリのなる木に囲まれています。

  心はつねに ならの木の
  木の実のごとく けん実に

小学校の校歌は河井酔茗の作詞。

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蝸牛山

蝸牛山


 蝸牛山そんなに硬く
石もとぐろを巻く

山の形して
ゆるゆると
歩いたりもするのか

らせんの夢は
天まで遠い

蝸牛山というのは、勝手につけた愛称です。三段の大きな岩盤で、山の公園の外れにあり、右手に世界最大という地球儀時計が見えています。こういう形の築山は栄螺山などと呼ばれるのですが、海から遠く、やや荒々しい風貌ながら、どこか牧歌的なところもあるので、カタツムリの名を採りました。

あたり

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大榎アルバム

大榎アルバム

エノキは推定150年の樹齢で、2013年の春に最後の花を咲かせましたが、秋の実は着けませんでした。
帰郷してからの10年、折々に撮りためた写真から思い出のアルバムを作って
みました。これまでに発表したもの以外で10枚あります。

2005.12.22 雪が積もるのは年に一度あるかないか。この年の夏頃から支柱と柵が出来ました。

2008.1.6 雲一つない静かな正月休み。

2011.11.15 

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老樹抄

老樹抄


ならの実大運動会羅漢寺手前の小学校では「ならの実大運動会」。イーハトーヴの童話にでも出てきそうな名称で楽しい。らかんたちがいつもより小さく見えたのは、童心に帰っていたのだろうか。

この運動会を毎年見守ってきた樹齢150年のエノキの寿命がとうとう尽きたらしい。春にわずかな新芽を着けていたが、それも枯れ果てた。高学年の120メートル走のゴールは、エノキのちょうど手前。エナガの群れが翔けてきて、遊ん

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最後の花

最後の花

ブログからの再録に写真を追加しています。
2013年4月19日、5月26日。

エノキの最後の花 4.19
小学校のエノキは黄色い花を着けていた。
けぶるようにとはいかないが、やさしい色である。
この日は浮雲もうんと春らしい。
青い空と、白い雲と、エノキの樹影。
その上に淡い半月が浮かんでいた。

センダンの花盛り 5.26

クローバーを見に行こうと誘われて夕べの散歩。

途中、小学校の大榎に寄

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