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蝸牛山


 蝸牛山

そんなに硬く
石もとぐろを巻く

山の形して
ゆるゆると
歩いたりもするのか

らせんの夢は
天まで遠い



蝸牛山というのは、勝手につけた愛称です。三段の大きな岩盤で、山の公園の外れにあり、右手に世界最大という地球儀時計が見えています。こういう形の築山は栄螺山などと呼ばれるのですが、海から遠く、やや荒々しい風貌ながら、どこか牧歌的なところもあるので、カタツムリの名を採りました。

あたりは昔は山と田圃。町外れで子供の頃はあまり足を向けたことがありません。今は数少ない散歩コースの一つで、この岩山には訪れる度に親しみを覚えています。手前の池には、稀少植物のアサザが生育し、カワセミやバンの姿を見ることもあります。このあたりではハヤブサ、ミサゴなどの猛禽からルリビタキ、ジョウビタキ、ホオジロ、アオジなどの小禽まで、ざっと五十種ほどの野鳥に会ってきました。

蝸牛山に惹かれるもう一つの理由は、この岩山は高室石で、ここは石切り場ではなかったのか、ということにあります。そうすると謎の石仏たちにも関係してきます。ここが石切り場だという遺跡はもう少し先の山中にあって、こちらは何の構われもされていませんので、違うかもしれません。いかにも何かありそうで、けれど話題にも上らず、ただ丈夫な体を持っただけのデクノボーのような風貌に惹かれたのでしょうか。
山向こうの公園は長いローラー式すべり台が人気で、休日は家族連れで賑わいますが、蝸牛山に誰か来ているのは見たことがありません。



 山百合

山は
岩をむき出して
蝸牛のように這う
岩は岩の
殻に閉じ籠もり
火と水を懐かしむ
覚えていないか
螺旋へ続く山径に
百合が一本咲いていて
少年ひとり
花に向かって
何かぶんぶん唸っていたことを


何度か訪れているうちに、少年の頃、この辺りに来たことがあるのではないかという気がしてきました。一度は地区の青年たちに連れられて山に分け入り、池にトタン張りの舟を浮かべたこと。
小山の連なる盆地なので、どの山どの池だったかは覚えていません。郷里を長く離れている間に、田は宅地に代わり、道が付けられ、山は公園に病院にと切り拓かれ、今も浦島太郎のような心境でいます。

もう一度は、少し手がかりがあります。町を外れてしばらく歩き、斜めに伸びた山径を登った……途中に開き加減のヤマユリが一輪だけ咲いていた……というものです。
池に沿った道から蝸牛山へと登る坂。その方角、その勾配がいつも懐かしい感じで、ある日、ふっと一本のヤマユリの幻影が見えたのでした。あ、ここだ。

何がここかというと、二人のちびっこ中学生が人目につかない場所を探して弁論の稽古に来たのでした。学校行事の大会で嫌だと言っても受け付けてもらえません。誘ったのは友人。彼はずんずん登って奥の方でさっさと始めます。ぐずぐずしていた私も、どうせ逃げられないのだからと観念して、ヤマユリの方を向いて……。

不思議なのは、栄螺型、蝸牛型の山の記憶がまるで無いことです。ヤマユリは鮮明に覚えていて、坂の雰囲気もよく残っているのに。






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