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免許証の数=自動車保有台数

仕事帰り。自転車。星空。

今晩は魚かなあ・・・。もし魚だと後で腹が減るから、マクドナルドでハンバーガーを買って帰ろう。マクドナルドには2、3週間に一度行く。体重を増やしたい時期、夕食が魚料理と予想される日に夜食として買って帰るのだ。

おや、今日はやけに車が多いな。ドライブスルーか。駐車場にも車が溜まっている。これは堂々と自転車を店の横に乗り付けることはできそうにない。仕方ないから歩道橋の下にでも隠しておくか。

そういや昨日もここ(マクドナルド)に来たんだったな。晩飯に魚が出るんじゃないかと思ってマクドに寄ろうとしたけど、財布を持っていないことに気づいたんだ。カードだけは持っていたから結局向かいのドラッグストアでカップ麺とかお菓子とかいろいろ買ったんだ。どういうわけかマクドナルドではクレジットカードみたいなオンライン接続のカードが使えない。電子マネーの類は交通系ICみたいなのしか無理だと言われたことがある。今どき向かいのドラッグストアでも対応しているというのに。とはいえ、あのドラッグストアでカードを使おうとすると、いつだってどの店員もまるで初めて見たというような調子で扱いやがる。レジスターの溝でスラッシュする店員もいれば、番号を手動で入力する店員もいる。

結局昨日は向かいのドラッグストアで買い物をして帰った。でも晩飯は予想を外れ、魚ではなく、まさかの仙台の牛タンだった。先月俺が東北旅行の土産に買ったやつだ。わさびを付けて食べた。弾力があって肉厚で美味しかったな。

多分今日こそ魚料理が俺の帰りを待っていることだろう。昨日は夜食に赤いきつねを食べたから、今日は麺じゃないほうがいい。魚料理は醤油か塩っ気の強いものが多いから、夜食は甘めで少々重みのあるもので攻めよう。てりやきマックで決まりだな。でも一つだけだと愛想が無いからもう一つ適当に買って親父にでも食べさせよう。

じゃ早速店に入ってと、おや?入口の扉、こんなに派手派手しかったか?何やらロゴのようなものが点々と付いている。iD、VISA、Master Card....あれ?マクドナルドはクレジットカードが使えないんじゃなかったか?それともこの2週間ほどの間に何か変わったんだろうか。とにかく入ってみよう。

あのカウンターの上に見えるのはカードリーダー?この間来た時には置いてなかった。あったら気づいているはずだ。どうやらこちらの店でもカード決済ができるようになったらしい。だが、今回はあえて現金を使わせてもらおう。なにせ今日はここでハンバーガーを買うためだけに一日財布を持ち歩いていたんだ。

「いらっしゃいませぇ」

「てりやきマックを一つ」

「てりやきマックがおひとつ」

「...ビッグマックを一つ」

「ビッグマックがおひとつ」

「以上で」

「かしこまりましたぁ。店内でお召し上がりですか?」

「いえ、お持ち帰りで...」

「っお持ち帰りでぇ」

おや?なんだ、このいつもの違和感は。「店内でお召し上がりですか」という言葉である。どうも前々からこの店で気になっていたことがある。確かに「店内でお召し上がりですか?」と聞いてくれているのだが、どうにも「店内でお召し上がりですよね?」という風に言われている気がする。この50代半ばくらいの女性クルーの意識の中では、俺がお持ち帰りする可能性というのを一切排除していて、どうせここで食うんだろうが、マニュアルがあるので一応確認だけとっておいてやるか、といった調子で「店内でお召し上がりですか(に決まってるよね)」と問いかけてくる気がするのだ、どうしても。なぜそういう言い方に聞こえるのだろう?まあ俺の想像が過ぎるのかもしれない。それがわかったところでどうにかなるものでもないし。なんでこんなくだらんことを考えているのだろう。いや、でも「お持ち帰りで」と言った後の、コンマ何秒か置いてのこの対応、その間(ま)の理由はおそらく予想外という意味だったんだろう。だが、誰が飲み物なしでてりやきマックとビッグマックを店内で食べるというのだ?

「お時間少々いただきますのでおかけになってお待ちくださいぃ」

最寄りの席でおかけになって待つとしよう。

ドライブスルー、まだ待ってるのか。店内で注文した方が早いじゃないか。

ああ。わかったぞ。

「店内でお召し上がりですか(に決まってますよね)」と言われる理由。それは、ドライブスルーだ。店員さんは、ドライブスルーしない人は則ち店内で食べる人だと思っているに違いない。こんな田舎では車でやってくるのが普通だ。徒歩や自転車で来るのは高校生以外ほとんどいない。店員は、俺が自転車でやって来たことを知らない。多分、車で来店したと思っている。それでドライブスルーをしないのだから、選択肢としては「店内で召し上がる」以外ない。だから「えっ、お持ち帰っちゃうの?」みたいな顔をするんだろう。この辺で俺くらいの歳の人間が車を持っていないのは珍しいだろう。

この間、職場の忘年会で冬の通勤はどうするのかと聞かれた。12月も半ばになると朝夕は0度を下回るから路面が凍結する。自転車だと少しでも体勢を傾けると転倒してしまう。雪も降るから歩道は使えず車道を走ることになる。そうなると自動車にも迷惑をかける。冬の自転車は危険であり迷惑なのだ。だが、ウチには車が一台しかない。当然、俺が独占することはできない。この田舎町で一家に一台というのは非常に珍しいと思う。この辺りではひと世帯当たり、免許証の数=自動車保有台数というのが相場だろう。農家であれば、それに軽トラやトラクターが付く。

「仕事行くんに『軽トラだけでも貸してくれやぁ』とか言わんのけえ?」

「ウチは一台しか車ないっすからねえ。農家ちゃいますし...」

通勤。朝は、真っ白な光を背にした粟鹿山を遠くに見る。円山川の霧に体を濡らす。手を叩いてトンビを驚かしてみる。夜は、真っ暗な堤防で星空を眺める。暗闇に向かって全力で歌う。冷たく澄んだ空気に肺が洗われる。日常を振り返ってみると自転車通勤も悪くないと思う、そういうときもある。どこか遠くの人は、理想的なライフスタイルだ、田舎暮らしいいなと言ってくれる。でもそんなイメージ、ひとたび雪が降ってしまえば全部忘れる。車が欲しくなる。この町では野菜の値段に理由を求めるが、車を買うことに理由を求めたりはしない。

冬。

「自転車で帰るんか」

「もちろん。自転車で来ましたから、帰りも自転車ですよ」

「正気の沙汰やないなあ...」

そう思う。理想的とは言い難い。田舎暮らしがどこのことを言っているのか知らないが、「憧れの田舎暮らし」という言葉を聞くといつも心配になる。その憧れの中には、霜焼けや顔に刺さるみぞれの痛みは無い。そして心のどこかで、憧れでよかったねと思う。俺は好き好んでチャリンコを乗り回しているわけではない。どこへ行くにも車を使わない人は正気ではないというのは理解する。春夏秋冬。

20キロ離れた自宅から会社に通う人がいる。流石に自動車なしでは通勤できない。先日帰宅途中、鹿とぶつかってその人の車は大破した。通勤に必要だからすぐに新しい車を買った。今はローンを返済するために働いている。

正直、それも正気とは思えない。いろいろ思うところはある。車社会なのだ。

「てりやきとビッグマックのお客様〜」

あーあ、マクドに寄ったら遠回りだから家に帰るのが遅くなる。今日は運動は辞めよう。

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