過去のコミュニティーによる自己形成

これはあくまで経験談に過ぎないが、じぶんの現在の姿を見つめ直して、地球が同じ速度で太陽の周りを回転しているのと、同じくらいの偶然性を有するかのごとくぴったりと、その過去に自分が帰属していた共同体の空気感の重複された人格が自分個人の現在と一致していることで記事を書き、みんなに発震するとともに自分のためにも記しておきたいともに思い、いまに至る。
なぜ自己の内面を分析しようと思ったのかのキッカケは、Facebookでシェアされてまわってきた、一記事を読んだからだった。1999年に製作されたコンテンツで、当時ロックミュージシャンだった、デヴィッドボウイが今日のインターネットを予言していたというものだった。インタビューする方は、デヴィッドの先見性に懐疑的でインターネットがそれほど重要なデバイスだとは認識していなかったようだ。いまの私たちからすれば、どれほどインターネットが世界に劇的に影響を及ぼしているかは痛く理解しているが、当時、人々にとっては、インターネットはただのゲームに近いマイナーなものだったらしい。インタビューするほうの意見や態度のほうが当時は甚だ正当性を帯びたものだったのだろう。
彼はデヴィッドに「電話が発明されたときに比べて、インターネットの発明はそれほど社会に賞賛されてはいないように思えるが。」と質問したところ、デヴィッドはそれを遮るかのように、まだまだ氷山の一角に過ぎずこれからだ。と意見していた。
70年代などの一元的で白か黒しかない世界では決まり切った社会であり、すべてのモノが一律にサイクルしているようだったらしい。自分は生まれてないからなんとも言えないが、そんな確立された社会に対するアンチテーゼとして、ロックンロールは盛り上がった。混沌的であり、無秩序で可能性を秘めたロックに沢山の若者が熱狂した。インターネットは、ロックンロールの性格をそのまま受け継ぎ、次世代の「変革機」として、機能している。
このように、一見、全く異なる両者が同じ性質を付随するという奇跡的なことを私は目撃したような気になった。
なぜこの記事が気になったのだろうか?その答えを数秒間、心中を探り考えた。来月にとある面接を控えていることもあり、より加速的に数日前から自己分析を無意識にしていたという要素が補助的役割をした可能性もある。とにかく空を見ながら思考し、解答はすぐに出た。それは言葉として、じぶんの脳に伝達されたわけでなく、イメージとして浮かびあがってきた。
そのイメージとは、3歳の頃、滋賀のど田舎に生まれ、いたずら好きで、よく小石をアスファルトに叩きつけて遊んだり、引っ越して兵庫に移り住んで祭りの賑やかな街でスポーツに熱中したり、大阪の自由な校風の高校で、授業をサボって、いわゆる虚偽の自由を謳歌して規制された社会へのアンチテーゼを表現してみたりした過去の出来事だった。そしてインターネットに対し、なにかしらの愛情を感じているいまこの瞬間。すべてが一気に土砂降りの嵐のように、ブワッと頭の中を埋め尽くした。
その瞬間の”気づき”は、ニュートンがリンゴの木からリンゴの実が地面に落ちた不意の出来事から重力の法則を発見したかのようなものだった。
もちろんそんな大それた発見に比べたら規模の小さい”気づき”だったが、じぶんにとってはかなり新鮮な気持ちになり新たな可能性を感じることができた体験になった。
このような経緯で、インターネットに興味を持ち始めた謎がきょう解けたが、その理由は過去の積み重ねなんだなということだった。
じぶんの周りの友達の空気感がロックンロールやインターネットと同じ質感を持っていて、その空間に過去に費やしたお陰でいまの自己が形成されていることに喜びと発見で感謝の気持ちで溢れかえっている。
それから学んだことは、自分に合う同じような空気感を持つ空間や物質を追求したり浸ることこそ人生を有意義に過ごすコツなのではないかと思う。創造性や生産性の観点からみても、適応する環境にいるかいないかでは、月とスッポンほどの差が数年後に結果としてあらわれるのではないかと考える。

おしまい。

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