起きあがる頃

 

 部屋のカーテンが揺れる気配を感じて目を覚ますと教室の中だった。机の上の細かな木目、半分脱げた上履き。
 国語の時間に初めて触れる鬼一口という物語は、簡単に説明すると、雨の夜、男が愛する女と逃げ出し、見つけた倉の中で一晩過ごそうとしていたところ、男が気づかぬうちに倉の奥に潜んでいた鬼に女が喰われてしまう。暗い倉の中、雨音に声を重ねて女に呼びかけるが、女の返事がない事に男は女が居なくなったことに気づき、倉に潜んでいた鬼に女が食べられてしまった事を知る。男は行き場のない悲しみに襲われ、途方に暮れる、と言う具合の話。軽快に黒板に文字が連なるリズムが、チョークの削れる硬い音で頭に軽く響く様に伝わってくる。鬼に一口で女が食べられてしまうというのだから、どれだけ大きな鬼が潜んでいて、それに気づかなかった男は何に気を取られていたのだろうかと不思議に思った。

 さっきの時間の体育は水泳だったから髪はまだ濡れていて、椅子の背もたれに少し湿ったタオルを掛けてある。乾きかけの髪を指先に少し巻き込んで頬杖つくクラスメイトが可愛くて、"高校生"という期限つきの今を生きる生き物としての儚さを私は今、この席から静かに、少し重たく、少し柔らかく見守っている。私はただの"今だけ"という時間のなかで"出来るだけの事を"と思い、この席から見渡せる全てに思いを馳せている、ただそれだけ。

 国語の教科書は他の教科の教科書より分厚くて二回りほど小さい。順番に起立して音読するなら恥じらわず、はきはきと読むのが気持ちいい。浮かんでくる物語の中の情景をそのまま声に出す。みんなに伝わればいいなと思って声に出す。


--- あばらなる倉に、女をば奥におし入れて、男、弓、胡簶を負ひて戸口にをり、はや夜も明け なむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけ り。「あなや」といひけれど、神鳴るさわぎに、え聞 かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば率て来 し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし ---




 カーテンが揺れて、光がひらひら部屋の中へ行ったり来たり。風通しの良い部屋の中、チョークの削れる硬い音を遠くに感じながら目を覚ます。目を覚ますとみんながいるような安心感を覚えていたけれど、目線の先には私の部屋の天井、聴き慣れた秒針の音。体が覚えているベッドの余白。
 さっきまで、ものすごい雨が降っていた様な、ここではないどこかで確かに誰かといたような気がしてる。だけど、やっぱり私は私の部屋で眠っていただけなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?