【凡人はチャレンジしない】
世の中「凡人」が9割だ。残りの1割を天才と呼ぶ。
自分の意志を持って生きて、幸せに生きるために頭を使って努力してる人は残りの1割の中にやっといる。
人間として成長できるのはそういう人だけで、9割の人たちは毎日平和に生きるために精一杯の凡人だ。
みんなが「頭を使わずに生きている」なんて言いたいわけじゃないけど
そりゃみんなきっと、自分なりに考えて生きているだろうけど
努力が正しい人と正しくない人がいて、
正しい努力の仕方に気付けるのは運だ。いい本やいい記事いい人に出会う運がなかった人が「凡人」のままでいる。
それはもう仕方ない。
6,凡人ははっきり言っておもしろくない
人との会話だけが得意な人もいるし、人から言われた作業をこなすことだけが得意な人もいる。
他人に迷惑をかけて生きる人もたくさんいるし、礼儀正しく無難な人生を過ごしている人もたくさんいる。
だけどそこに腹を立てても仕方ない。
そこに「〇〇にチャレンジしろ」なんて言っても何も起きない。
僕はそれを覚えた。
僕は天才側なので今までいろんなことをいろんな人に勧めてきた。
自分と同じことをできる仲間が欲しかった。
けれど誰もそれにチャレンジをしない。テクニックで「とりあえず受け入れさせる」ことはできても凡人からはその先が生まれない。
5,変化しない人
凡人はぜんぜんチャレンジしない。
知らないことを知るのは怖いから、やったことないものは避けてばかりだ。
「いや自分は〇〇をした!」「自分は〇〇に挑戦している!」なんて大きなチャレンジを誇りたがる人がいるけれどそういうことじゃない。
そんなことはどうでもいい。
富士山の山頂まで登ったとかダイエットで〇〇kg痩せたとかそういうどうでもいい話は誰だって興味がない。
面接で話してみろ、「つまりそういう趣味の一般人ですね」と思われるだけだ。
4,凡人のいうチャレンジは「チャレンジのモノマネ」のことだ
誰かがやったことのあるようなチャレンジをする。その結果で何かいいことがあるのがわかっているチャレンジをする。
人はそれをみて「わーすごいねー」とだけ言うかもしれないが内心なんの感情も湧いていない。それができてもできなくてもどうでもいい。
「チャレンジのモノマネ」が成功しても凡人は凡人のままだ。
正当なチャレンジとは目の前の小さなチャンスを欠かさず拾い続けることだ。
「目の前の小さなチャレンジ全てをこなす能力」が才能というものだ。
そういう人間は毎日違う日々を過ごしている。
毎日いろんなチャレンジをするからいろんなことができる。
天才は何でもやるから何でも出来るのだ。
3,とはいえ凡人は悪じゃない
「凡人」は人間性の軸のことだ。
「変化しない安定した人」そういう特性だ。
その特性をベースにしてに個性が乗る。
「変化しない特性+個性」を持っているのが凡人だ。
変化しない人が個性を磨くとどうなるか想像がつくだろうか。
(変化しない+個性)×人生経験=???
答えは「一般人に寄りつつ、個性はまっすぐ伸びる」
絵を描けば絵が上手くなっていずれはイラストレーターになるかもしれない。
料理をしていればいずれ料理人になるかもしれない。
でもとりあえずはサラリーマンにはなる。
とりあえず家も車も買う。
独立するのは30歳くらいからの話だ。それが普通だから。
そんなことをしているから大して伸びはしない。変わったことも起こらない。
イラストレーターを目指す人は理想のイラストレーターに近づくだけで終わる。
料理人を目指す人は地域のちょっとした食堂程度で終わる。
それが凡人の個性というものだ。
中学生や高校生あたりで「人生はこういうものだ」と悟った凡人は
その通りの人生を進む。
道をそれるのは凡人には難しい。それはチャレンジというものだ。
逆に言えば道に沿って歩くのが得意な凡人は理想通りの人生を歩める。
そこは素直に羨ましいと思うよ。
2,天才の苦悩
天才は毎日職場に通って8時間働いてそれを週5日繰り返すことができない。
天才は「イラストレーターになる」と決めても「イラストレーターに近い何か」になっていることが多い。
僕は天才側の人間だからむしろこのつらさの話ができるけれど
「あまりにも働きたくないから働いていない」
「あまりにも努力が嫌いだから1つのスキルの向上が少し遅い」
正直つらいことで、安定収入と呼べるものが何1つない僕は毎月生きることに必死だ。
なにかが起きて出費がかさんだら支払い切れる自信がない。
そのときは人に頼るしかない。
だから凡人の安定性にはやっぱりそれなりに羨ましさはある。
それでも僕は天才側で良かったと思うけれど。
1,凡人を許す
僕はもう凡人にチャレンジを期待することはない。
なにか仕事を頼んで、それをこなしてくれることを期待しない。
期待するのは安定性だ。
「できたことを前と同じようにやってもらう」
「会話でいつものくだらない話をする」
そういうことだけを期待して僕は凡人と関わる。
昔は凡人が嫌いだった。
僕が当たり前にできることを凡人は何一つ出来ない。
やれば簡単にできるのに「いや俺はやらなくていい」と言い切って一切チャレンジしない。凡人のそういうところが嫌いだった。
だけどもう凡人は凡人なのだと割りれる。
毎日怒っている人はこれからも毎日怒り続けるだろうし、メンヘラはメンヘラのまま生きていく。
それならそれでいい。世の中全員が天才だったらそれはそれで生きづらくてしょうがない。社会が回らないのがよくわかる。
天才は天才として、凡人は凡人として生きるだけだ。
心理学でも勉強して凡人の社会で楽しく強く生きていこうじゃないか。
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