お笑い芸人になれなかった私たち

少年のぼくにとって、友達を『笑かす』ことは、それはそれはもう笑いごとではなく、命がけになって相手を笑かしにかかったものだ。
テレビで流行ってたギャグ、校長先生の真似、クラスメートの癖、校長先生の真似、親から伝授された小ボケ、校長先生の真似、あの手この手を尽くして笑かしにいったものだ。大阪という土壌ゆえだろうか。笑かしのライバルは多かった。ぼくはあまり体の動きで笑いをとれるタイプではなかった。むしろ人の体の動きを例える方が向いていた。社会の教科書の端の方に載っていたのを思い出して「お前浮世絵みたいになってるやんけ」と言って笑かしたりする戦い方だった。こういうのは言われてから一秒ぐらい経って思い出せるぐらいの塩梅が肝心だ。ぼくは子供ながらにそれを知っていた。お父ちゃんが熱心にドリフやごっつのビデオを見せてくれたからだ。面白い動きは例えて初めて映像になる。さっきまでの変な動きも、後追いで説明がつくのだ。塾の先生にこっぴどく叱られても、教室の監視カメラを使ったギャグがうまくいった喜びの方がぼくにとっては大きかった。(教室の後ろに監視カメラがある塾というのは今考えると異様な気がする)

大人になった私は相変わらず人が笑うのが好きだった。普通の話をしている時でも、話の腰を折らない程度に会話の世界が広がるような相槌をうった。取引先の担当者と話している時に前の担当者との小話をしたり、友達の買った靴を嫌味にならない程度に独特な表現で褒めてみたりした。話してる相手が表情を崩す瞬間が好きなのだ。笑ってるあいだは自分も相手も世界から許されているように感じる。もしかしたらとびっきりの愛想笑いかもしれない。それでも愛想笑いをしてくれるなら十分だと思えた。
しかし、私がぼくであった頃から変わってしまったことがある。
頭の中の『笑かす』という強い光が消えてしまったのだ。
私が自然に言うことをもし笑ってくれるなら笑っておくれよ。そんな、なんとも受け身な姿勢に変わってしまったのだ。

テレビをお笑い芸人が支配するようになった。私がぼくであった頃にはお笑い芸人が無縁だった討論番組にまで、お笑い芸人は出張って来てコメンテーターの一陣に加わった。お笑い芸人は紹介されてカメラが振られるとお決まりの自己紹介ギャグをやって見せたが、それ以降はギャグは消えて、お笑い芸人は真面目な顔で真面目な発言を続けた。
テレビはいつからか、お笑い芸人を探す場所というより、お笑い芸人以外を探す場所に変わった。
テレビはメディアのひとつで、メディアは常に報道機関として責任ある振る舞いを求められる。(実状はおいておく)
そのテレビの中で主役の立場となったお笑い芸人にも当然、責任ある振る舞いが求められるようになった。お笑い芸人に如何に厳しい目が向けられてしまうかについては最近のテレビを見ていればわかることだろう。
『芸の肥やし』で煙にまける立場ではなくなったのである。

ひとつ、私が疑問に思うことがある。
『お笑い芸人は望んで今の立場を得たのだろうか』ということである。元は新興の芸術文化であった漫才の漫才師から、現在のマルチなお笑いタレントへの変貌、それに伴う責任ある立場への変化。お笑い芸人を目指したはずなのに純粋な芸事への邁進だけでなく、一般人たちの世間とのうまいバランスの取り方が求められる。適切な振る舞いの中で人を笑わせるクリーンな立場。
そんなものを誰が望んだのだろうか。

上岡龍太郎の有名な言葉がある。たしかパペポTVでのものだっただろう。上岡龍太郎は『お笑い芸人とヤクザは同じ』と言い切った。芸人とは世間のはみ出し者であるとも語った。上岡龍太郎は火のついた煙草を片手に持ったまま、ステージの上から優しい口調で語った。
それは過激ながらも芸人への愛が溢れた言葉であった。
それと同時に、視聴者に対しての警鐘でもあった。お笑い芸人を真面目に見すぎるなよという注意の言葉だったのだ。
しかし、お笑い芸人は視聴者によって過剰に持て囃され、野良犬であるから雄々しく逞しかったものを籠の中で牙を抜かれ、おとなしいテレビの飼い犬にされてしまった。
優しいお笑いなどという幻想、好感度ランキングなどというズレた指標、そんなものまで使って私たちはお笑い芸人を面白くない場所まで登り詰めさせた。

そうして、私たちは自分たちのささいなお笑いまで、なにか重大なものだと意識するようになってしまった。ただの人のただの笑いにまでコンプライアンスという誰も望まないカタカナが付いて回るようになってしまった。
そんな中でも、お笑い芸人は面白いネタを作り続ける。YouTubeに上がるM1予選の動画は、タダで見られることが不思議なぐらいに面白い。そして、半端ではないほどに面白いネタを作った芸人たちのほとんどが予選で消えていく。決勝戦まで登り詰めたとしても、決勝用のネタにはコンプライアンスのチェックが入る。お笑い芸人たる者が漫才とはいえ不用意なことをテレビで言うことは許されないからだ。

私がぼくであった頃、人を笑かす時に迷いはなかった。自分が笑っている時はとても幸せだったから、相手も幸せになってくれると信じることができた。好きな子が歯を見せて笑った時には無敵だった。嫌いな奴でも笑ってくれた時には嫌なところも全部許したくなった。
私はそれほど笑かすのが好きだったはずなのに、今では笑ってくれたらありがたいというほどの情熱しか残っていない。当たり障りのない範囲の中で、常識の中で、程ほどのユーモアで、相手が口角を上げることをわずかに期待するばかりである。

それはそうと、お前浮世絵みたいになってるで、と言った記憶だけはあるのだが、あれはどの浮世絵だったのだろうか。おわり。

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