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東京の電車混みすぎぃ

まるで新社会人の叫びのようだが、そうではない。
年に数回しか朝の電車に乗らなくなった私が、改めて実感したはなし。

たまに通勤ラッシュに揉まれると、あまりの人の多さに「東京の朝はどうかしているぜ…」と冷静に思う。
通勤通学で毎日乗っていた頃は、最初こそ辛くてもいつの間にか慣れたもの。
同じ時間、同じ車両、同じ場所を確保してルーティーン化すると不思議と何も感じなくなる。
「慣れる」という現象は、生きていくために備わった脳の適応なんだなと感じる。
冷静に観察している自分以外は、この状況にすっかり慣れた人たちである。
ヘッドホンを着けたりスマホを凝視したり、居眠りしたりとなんと無防備なこと。
もし私がナイフを振り回したら、刺さらなくても勝手に転んで骨折くらいするかもしれない。
転んだ先が線路ならケガじゃ済まない。
ちょっと揺さぶりをかければ簡単にパニックになるだろうに、何事もなく過ぎていく日々に感心する。
同時に、日本人の持つ協調性が不思議でならない。

美談として語られがちな協調性

災害時、多くの人が階段に座って休んでいる写真を見たことがある。
幅いっぱいにではなく、わきには歩行者用の通路がきちんと確保されている。
こういった譲り合いを自然と行う日本人はスゴイ、という内容の記事が添えられていたような気がする。
日本人が日本人を絶賛するのはみっともないと思ってしまうが、この気持ちこそ日本人の気質にも思えるのでもうなんだかわからない。
自分は海外に行ったこともなければ外国人との接点もないので、よく言われる「日本人らしさ」の程度が実感できない。けれどこれが全員アメリカ人やベトナム人だったら同じ光景にならないだろうから、その差分がらしさなんだろう。

日本の風土が作った気質

「そういう国民性」という言葉は、説得力がものすごくあると同時にものすごく曖昧。
なんせ当事者なのでそういうもんだよねで通じはするけど、もう少し言語化したい。
あるとき、たまたま読んだ本に興味深い説明があった。

大半の地域で稲作が行われてきた日本では、個人よりも集団の意思を尊重した方が“生きやすい”社会が築かれてきたと言えます。

『ブラックマーケティング 賢い人でも、脳は簡単にだまされる』中野 信子, 鳥山 正博, KADOKAWA

また、悲観的で将来起こりうる災害への準備をできる個体の方が、生き延びやすくもなります。つまり、楽観的では“生きにくい”のです。

『ブラックマーケティング 賢い人でも、脳は簡単にだまされる』中野 信子, 鳥山 正博, KADOKAWA

耕作できる土地が少ない上に、稲作は工程が多く協力が必要であること。
常に天災に備えて警戒する必要があること。
これらの風土が日本人の気質を形作っているという内容だった。
今はそのような体験をダイレクトに受けることはなくても、長い年月をかけて形成された気質が急に変わることもないのでしょう。
そういえば、大地震のときに何故か焦らず能天気な人がいた。
代表的な現状維持バイアスだ。
昔より災害が恐ろしくなくなったために、楽観的な人が増えたのかもしれない。

とはいえ混みすぎ

節度を持って整然とできるのは素晴らしい。
でも数分遅延しただけでホームから溢れるのはどうかと思う。
慣れない舞浜で少しのんびりしたときは、駅前が帰宅困難者の群れのようになって驚愕。毎日こうなのか。まじか。
余裕のある人量(?)で、何かあっても対処しきれる街がいいと思う。


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