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[西洋の古い物語]「木靴」第2回

Merry Christmas!

いつもお読みくださり、ありがとうございます。
昨日の続き、「木靴」第2回です。
ご一緒にお読みくださいましたら幸いです。

※ 画像はジョルジュ・ド・ラ・トゥール 「大工の聖ヨセフ」(1640)の一部です。聖ヨセフの職業は大工さんだったそうです。イエスの小さな手が持つろうそくの明かりが画面に陰影をつくりだし、深い精神性を感じさせます。パブリック・ドメインからお借りしました。

「木靴」第2回

 冬の気候に備えて十二分に着込んだ少年たちは、誰ともわからないこの子には全く無関心で通り過ぎました。その多くは町の名士のご子息だったのですが、彼らがこの子にちらりと投げたまなざしには、富める者が貧しき者に対して、また満ち足りた者が飢えた者に対して抱くありとあらゆる軽蔑の念が読み取れました。

しかし、最後に教会から出てきたウォルフ少年は、深く心を動かされ、眠っている美しい子供の前で足を止めました。

「ああ、なんてことだろう!」と小さいウォルフは心の中で考えました。「あんまりだ!可哀想にこの子は、こんなひどいお天気なのに靴も靴下も無いなんて。それに、もっとひどいことに、この子には木靴さえ無い。今夜眠っている間にそばに置いておくと、小さな幼な子キリスト様が何か良いものを入れて下さって、この子の惨めさを和らげてくださるんだけどなあ。」

そして、愛にあふれる心に動かされ、ウォルフは自分の右足から木靴を引っ張って脱ぐと、眠っている子の前に置きました。そして、ぴょんぴょん跳んだり雪で濡れた靴下にもたつきながら、できるだけうまく歩いて叔母さんの家へと帰ったのでした。

 少年が靴を履いていないのを見ると叔母さんは激怒して「このろくでなしめ!」と叫びました。
「靴をどうしたんだい、このちび悪野郎め。」

小さなウォルフにはどう嘘をついたらよいかわかりませんでした。そこで、がみがみばあさんの激怒を見て恐怖でぶるぶる震えながらも、彼は起ったことを話そうとしました。

しかし、けちんぼの老女はまるで恐ろしい発作のように突然笑い出しました。

「なるほどね!つまり、うちの若紳士は物乞いのために自分でお脱ぎになったわけかい。なるほどね!うちの若旦那は裸足野郎に履かせるためにご自分の靴の片方を分けてやったというわけかい!確かにこれは新趣向だねえ。いいだろう。そういうことなら、残った片方の靴を煙突のところに置いてみよう。朝になったらお前をぶつための何かを今夜幼な子キリスト様が入れてくださること請け合いだよ!明日の朝はお前にはパンの皮と水しかやらないよ。そして次のときも、偶然居合わせたみなしご野郎にお前が靴をやるかどうか、こりゃ見ものだねえ。」

そして意地悪な叔母さんは可哀想な子供の両耳をげんこつで殴りつけると、屋根裏部屋へと上がらせました。そこには彼のみすぼらしい狭い寝場所があるのでした。

惨めな気持ちで子供は暗闇の中寝に行きました。彼はすぐに眠りにつきましたが、枕は涙で濡れていました。

 しかし、どうでしょう!翌朝、寒さで早く目が覚めた叔母さんが階下に降りていきますと、ああ、なんという不思議でしょう、大きな煙突にはピカピカのおもちゃや素晴らしいキャンディの袋やあらゆる種類の宝物が一杯に詰め込まれていたのです。この宝の山の前には、少年があの哀れな子供にあげた右の木靴が置いてありました。そして、その傍らには、子供を叩く鞭用の枝の束が入るようにと叔母さんが煙突のところに置いた、もう片方の木靴がありました。

叔母さんの叫び声にびっくりしたウォルフ少年は、素晴らしいクリスマスの贈り物を前に子供らしい喜びにうっとりしながら立っておりました。すると、大きな笑い声が外で聞こえました。叔母さんと子供は一体何ごとだろうと走って見に出ました。するとなんと、町中の噂好きの人々が共同用水場の回りで立ち話をしていました。一体何が起こったというのでしょう。それは、ああ、実におかしな、途方もないことなのてす!町の最も裕福な人々の子供たちは、ご両親はこの上なく素敵な贈り物で彼らを驚かせるつもりでしたのに、自分の靴の中に鞭用の枝しか見つけることができなかったというのです!

 年老いた叔母さんと子供は、家の煙突の中の宝物のことを考えると恐ろしさでいっぱいになりました。そこへ突然、司祭様が姿を現しました。司祭様は驚愕の表情を浮かべておいででした。司祭様は、教会のドア近くのベンチの古びた石の、前の夜、白い衣服の子供が寒いにもかかわらず裸足のまま可愛らしい頭を休めていたちょうどその場所に、黄金の円環が埋め込まれているのを見つけたのでした。

それから、皆は、大工道具を携えて眠っていたあの美しい子供はナザレのイエス様その方であったとわかり、敬虔に十字を切りました。イエス様は、ご両親のおうちで働いておられた頃になさっていたように、一時間だけ地上にお帰りになっていたのでした。そして皆はこの奇跡の前に恭しく頭を下げました。この奇跡は善良なる神様が小さな子供の信仰と愛にお報いになるためになさったことなのでした。

「木靴」の物語はこれでおしまいです。

今夜はイブ、明日はクリスマスですね。
中には苦しみや悲しみの中に打ちひしがれ、クリスマスどころではない、という方もいらっしゃることでしょう。
世界は時にとても残酷で、人の心は凍りついているように思われることもありますが、それでもやはり、真心からの親切や温かな思いやりをお互いに贈り合いたいものですね。

イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。(『マタイによる福音書』22章37―40節)


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