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そのレクチャー動画、本当?バッハの装飾の弾き方

 あるピアニストさんがYouTubeでJ.S.バッハ「インベンション第4番」の装飾法について解説しているのを目にしました。
Ⓐ「プラルトリラー(長いトリル)の場合、音が減衰したら途中でまたトリルを入れ直したりする」(動画の4分30秒あたり)と言っていますが、そのような入れ方は聞いたことがなかったです。
また、Ⓑ「短いトリルの前後は音を切る(アーティキュレイションする)ことが多い」(動画の1分03秒あたり)とも言っていますが、それも初耳でした。
このピアニストが言う「バッハの装飾の弾き方」は“正しい”のでしょうか?

 まず、Ⓐ「長いトリルの場合、音が減衰したら途中でまたトリルを入れ直したりする」について。
 ーーーもし、途中でトリルを入れ直すとしたら、J.S.バッハの曲を沢山取り組んでいる方なら「おそらく、バッハはそのように装飾記号を書き込むんじゃないか」と考えるでしょう。また、このインベンション4番の長いトリル2箇所は、いずれもオルゲルプンクトにつけられています。途中でトリルを入れ直すと、その効果が薄れてしまうのでは?とも個人的には考えます。

 私が子供の頃ピアノで習ったインベンション4番の楽譜(原典版・カワイ出版)を引っ張りだして来たら、長いトリルは音価の最初から最後までびっしり32分音符で均等に埋まっている譜例が出ていました(↑この記事のトップ画像にあるものです)。これは今ではチェンバロの先生の間では鉄板ネタとなっている「マシンガン・トリル」ですね。やってしまうと「マシンガン撃ってる!」と笑われてしまいますので注意。しかし、子供の頃は本当にこの譜例の通り弾いていた気がします。もちろん、今はこんなトリルの弾き方はしません。

 話がそれますが、ピアノに比べ「チェンバロは音が小さくてすぐ減衰する」と思っている方は多いですが、実際チェンバロを弾いて音を丁寧に観察してみると意外に残響が長いことがわかると思います。ピアノはペダルで響きを長く残せますが、ペダルを使わずピアノを打鍵した場合、音の減衰はチェンバロとあまり変わらないのでは?と思いますし、音量もピアノには劣るかもしれませんが、チェンバロもよく鳴る楽器は弾いててうるさいくらいです。

 仰る通り、ピアノでバッハの作品を学ばれる方にはチェンバロでの演奏(古楽を専門とする奏者の演奏)を聴いてみること、もっと良いのは出来れば実際にチェンバロで弾いてみることでしょう。「チェンバロは音が小さい、すぐ減衰する」という固定観念がある方はきっと覆されると思います。特に、アーティキュレイションについてはチェンバロが弦をはじく楽器だからこそこの細かなアーティキュレイションが必要なのだ、ということが実感できると思います。例えればチェンバロで全くアーティキュレイションしないのは、入れ歯を外してしまってフガフガなにを喋ってるかわからない、という状態です。ちなみにオルガンの場合でもかなりアーティキュレイションします。

 次の、Ⓑ「短いトリルの前後は音を切る(アーティキュレイションする)ことが多い」というのは、ピアノの場合「できるだけ軽く弾きたい」ということのようです。チェンバロの、音の軽いイメージを表現したい、ということらしいですが。しかし、私がチェンバロを弾いていてトリルの前後は音を切ることが多い、などとは全く思ったことありません。チェンバロの場合、細かなアーティキュレイションは奏者によって違います。「音でどうやって喋りたいか」は自分で決めていくものです。その場合、フレーズがどうなっているか、細かいニュアンス、盛り上がるか収めるか、よく観察します。トリルなどの装飾記号を一度取っ払ってそのフレーズを弾いてみるのがよいでしょう。つまりは、アーティキュレーションをどうつけるかは「装飾記号」に関係ないのです。

↓こちらが「マシンガン・トリル」の例

 さて、このようなレクチャー系の動画を観るにあたって警鐘を鳴らしたいのは、観たものそのまま鵜呑みにしてしまう人が実に多いことです。動画の中で弾いてる人が、留学歴やコンクール入賞歴がある人なら、観る人は何も考えずに「この人はスゴイ演奏家だ。信用できる」と思う人もあるかもしれません。しかし、厳しい言い方ですがすぐにこのような動画に飛びついて答えを求める人は言わば「思考停止」の人であり、自分で考えたり努力して答えを出さない、自力で技術や知識を身につけない人です。動画配信するほうも、沢山の登録者を集めて稼ぎたい、有名になりたい、という欲のある人もたくさんいます。音楽で仕事をしていくのは大変なことですから。
 バッハの装飾については、バッハ自身が譜例を示しています。今はネットで楽譜の部分のみをダウンロードしてしまう。バッハ自身の装飾の譜例が載っている楽譜もたくさんありますし、多くの学者が本を書いています。YouTubeなどの配信サイトに音源がなければ、図書館にも資料はたくさんありますし、演奏会に出かけるのも大事なことです。自分で調べる手立てはいくらでもあります。

★音楽を学ぶことは、じっくり自分と、そして自分の出す音と対峙すること。

動画に飛びつく前に、スマホを手放し、ピアノの前に座って音楽と向き合いましょう。楽譜をじっくり読み込みましょう。すると、動画では得られなかった沢山の発見があることでしょう。そして、他の誰でもない、自分だけの音楽が創り出せるはずです。

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