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優雅な読書が最高の復讐である/The Goodby People


The Goodby People/Gavin Lambert

この本には因縁がある。

コロナ前の2019年、メキシコ旅行でのことだ。

私は父の仕事で幼少期の重要な二年間を過ごしたクエルナバカを訪れた。

そこでロバート・ブラディ・ミュージアムを知った。

ロバート・ブラディはアイオワ生まれのアメリカ人の画家で、1962年にこの土地にやって来て、16世紀の修道院だった建物を買い取り、そこに自分が集めてきた美術や民芸品を飾って終の住処にしたという。1986年に彼が亡くなると、そのコレクションと建物は市に寄贈されて美術館となった。

私は子供時代、絶対に街の広場でロバート・ブラディにすれ違っているはずだ。

美術館は素晴らしかった。ボヘミアンの同性愛者らしい美学が梔子の花かポマードのように匂い立つ場所で、私はそこで小品ながら、今まで見た中でも最良と言えるタマヨやディエゴ・リベラ、フリーダ・カーロの作品を見た。

ブラディ本人が親友であるペギー・グッゲンハイムを描いた肖像画や、やはり後に親友となるジョセフィン・ベイカーにまつわるコレクション。

中でも私が夢中になって写真を撮ったのが、ロバート・ブラディの本棚だった。ミュリエル・スパークやゴア・ヴィダルの小説、アニタ・ルースの自伝に混じって知らない本が多数あり、他のラインナップから類推するに、それらは全部私が好きな本であるはずなのだ。

写真に収めた本の中で、私の読みたかった本の筆頭がこのギャヴィン・ランバートの「The Goodby People」(1971)だ。

ずっと古本で探していたが、昨年にニューヨークの書店マクナリー・ジャクソンが始めたレーベルから再発された。驚いた。

それを今年、ハワイの書店で見つけてようやく手に入れたのだ。

実は私(気がついていなかったが)ギャヴィン・ランバートの本を既に一冊持っていた。国書刊行会から翻訳が出た「ジョージ・キューカー、映画を語る」である。

イギリス生まれのランバートは大学時代に友人たちと(後に「サイト・アンド・サウンド」誌に発展する)映画雑誌「シークェンス」を立ち上げ、映画批評家として活躍した後、ニコラス・レイのアシスタントとなってハリウッドに渡った。アシスタント、というか、当時は愛人だったらしい。そこで(10代の頃やはりニコラス・レイの愛人だった)ナタリー・ウッドを紹介されて親友になった。ランバートはナタリー・ウッドのために「サンセット物語」(1965)の原作と脚本を描いた。「The Goodby People」は彼女に捧げられている。

1971年、マンソン・ファミリーがサマー・オブ・ラブを破壊し、新世代の監督がハリウッドで活躍し始める直前。「The Goodby People」は愛の夏とハリウッドの栄華が去った後の気だるく、倦んでいて、それ故にどこか優しいロサンゼルスを描く連作集だ。語り手はランバート本人を思わせる、映画業界の仕事を手がける作家。

有名なプロデューサーと結婚した後、長い未亡人生活に入った伝説の美女。ベトナム戦争の徴兵逃れで、男女を誘惑しながらヨーロッパやアジア、アメリカ中を逃げ回っている両性愛者の美青年。そして地方からロサンゼルスに家出してきて、40年代のハリウッドで活躍した女優のイメージに生き霊のように取り憑かれるティーンエイジャーの娘。

その三人が全員、最後には語り手の目の前から消えてしまう。

夏の終わりに読むのにふさわしい小説だった。街とファッションの描写が素晴らしく(青年の着ている“ウィスキー色”のサマーセーター!)、ギャビン・ランバートの小説をもっと読みたいし、彼が脚本を手がけた映画ももっと見なくてはと思った。

ランバートは日本では全然知られていないような気がしていたが、今日、カリフォルニア・オデッセイの「ハリウッド幻影工場」を読んだら、海野弘先生がかなりのページを割いて彼の短編集「ザ・スライドエリア」を紹介していた。ひれ伏すしかない。

クリストファー・イシャウッドが絶賛したというこの短編集には、「大砂塵」におけるニコラス・レイとジョーン・クロフォードの確執をモデルにした一編があるという。そんなの、読みたいに決まっている。いつか絶対に手に入れる。


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