見出し画像

『職業遍歴。』 #5 ヒマすぎるラーメン屋

筆者が過去に経験した「履歴書には書けない仕事(バイト含む)」を振り返るシリーズ第5弾。浪人時代にバイトしたヒマすぎるラーメン屋の話です。

5.ラーメン屋店員

地元・仙台での大学浪人時代。カラオケBOXのバイトをたった一日で辞めた私は、急いで次のバイトを探した。予備校があった国分町にあるラーメン屋だ。チェーン店ではなく町中華という感じの、ちょっと懐かしい雰囲気のラーメン屋さん。だけどできたのは比較的新しい。そんな店だった。平日の夜はあまりシフトに入れなかったので、主に土日の昼に出ていた。今浪人時代を振り返っても、あまり勉強をしていた記憶がない。

私はホールの担当だった。注文をとったり、できた料理を運んだり、レジを打ったりというのが仕事だ。調理とか仕込みは厨房担当の人がやる。ホールの仕事自体は単純で、すぐに覚えることができた。最初のうちは、厨房に向かって声を張り上げて「ラーメン一丁!」とか言わないといけないのが恥ずかしかった(まだ10代の乙女だったので)。でもそんなことにはすぐ慣れて、じきに私は「ハイ1番さん、ラーメン一丁に味噌一丁、餃子二丁ッ!」とか声を張り上げるのが面白くすらなっていた。

店内はラーメン屋にしては結構広く、カウンター席以外は座敷席になっていた。けど、満席になるようなことは一度もなかった。それどころか、何時間もお客が来ない、ということもよくあった。

別にまずいわけでもなんでもなく、味は普通においしかった。醤油ラーメン、味噌ラーメン、ネギラーメン、チャーシュー麺、それに餃子やチャーハンといったごく普通のメニューで、価格も普通。なぜお客が入らなかったのだろう。繁華街にあったのだけど、通りに面してなくてちょっと奥まったところにあったからか。まだ新しい店なのに宣伝もとくにしてなかったからか。まずくはないけれどこれといって特徴がなかったからか。

昼の時間帯は、ホール担当が私と高校生の女の子2人(2人は友達同士)の3人、厨房担当は20代後半くらいの男性が主にやっていてそこに若い中国人が時々加わる。夕方になると店長が来て、別の年かさの男性とともに厨房に入る。ホール担当も夜の部は男性。夜遅くまで営業しており、遅い時間のほうがお客が入るようだ。繁華街にあったから、酔客が多かったのだろう。昼の時間帯は、12時台とかを別にすればほんとにヒマで、それなのになぜホール担当のバイトを3人も入れていたのか謎だ。

飲食店のホール担当って、ヒマな時間帯に何もやることがなくても、お客が来たら即対応しないといけないからその場を離れるわけにはいかず、ただ突っ立ってボーッとしてるしかない。その待機の時間も、時給が発生している以上、仕事は仕事。ところが若かった私は、何もやることがないヒマな時間が続くと、次第に「無駄な時間を過ごしている」という気持ちになっていった。

思い余った私は、厨房担当の男性に「お客さんを待っている間に、本を読んでいてもいいですか?」と聞いた。今考えるとあり得ないが、その店はゆるくて、男性は「店長が見てないとこだったら、いいんじゃない?」と。

で、お客の来ないヒマな時間に、私はレジに座って文庫本を読んだり、居眠りしたりしていた。もちろんお客が入ってきたらちゃんと対応したし、店長がいるときはちゃんと仕事をしているふりをしていた。

客層は、土日の昼間だったから家族連れもいたけれど、男性の一人客が圧倒的に多かった。おとなしいお客ばかりで、私が生ビールをほとんど泡の状態で運んでも(ホール担当がビールサーバーから生ビールを注いで運ぶ)文句すら言われなかった。当時の私はすごく若くておとなしそうな女の子だったから、何か言ったら気の毒だと思ったのかもしれない。レジに座っていたら、男性客に突然「首相の名前は?」と聞かれたこともあった。なぜそんなことを聞くのだろう、と訝しみながらも「羽田孜」と答えると、男性は「へえ、知ってるんだ」と言った。若い女の子は首相の名前を知らない、と世の中の男性が思っていることに、ショックを受けた。

バイト先の人間関係は良かった。嫌な人は誰もいなかったし、年上の男の人が多く、可愛がってもらえた。カラオケBOXのバイトのときは、若い男の人が多かったから、あれこれ聞かれたりしてちょっと面倒だったけれど、そういうことは一切なかった。私は、平日夜のホール担当だった30歳くらいの男の人をちょっと好きになったりした。優しくて話の面白い人だった。その人と一緒に働きたくて、夜のシフトに入れてほしいと店長に頼んだりもしたけど、夜は出ている人が多かったこともあり、ほとんどシフトには入れなかった。

飲食店でバイトすると賄いがつくのもありがたい。その店ではラーメンなどの中華はもちろん、パスタとか、魚料理とかが出たこともあった。私はその頃から食いしんぼうだったので、賄いが楽しみだった。そんなわけで、私はこのバイトを楽しんでいた。仕事は楽だし、人間関係も良いし、美味しいものが食べられる。私にとっては良いことずくめだった。

そんなある日、突然、皆が店長に集められ、店を閉めることになったと知らされた。これだけお客が入らないのだから、当然の流れであると、今なら思う。けれど、当時の私にとってはショックだった。この前にバイトしていた占いハウスも潰れてしまったし、なんだか私が働くところって潰れる運命にあるの・・・?とまで思ってしまった。けれども、時期的には、私はそろそろバイトを辞めて受験勉強に専念しなければならない時期だった。

ヒマすぎるラーメン屋は潰れた。私はバイトを辞め、数ヶ月は勉強し、見事東京の志望大学に合格したのだった。上京した私を待っていたのは、更なるヘンなバイトの数々だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?