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心にふと寂しさを感じる時は《ディ・レーベリング》してみるといいかもしれない。

私たちは、世の中の全ての者に対してどのくらいレーベルを貼っているか、考えた事がありますか?

どのくらいって、実は、ほぼ全てなんです。

赤ちゃんとして産まれた時から、
「これは、車よ」
「私はあなたのお母さんよ」
「これは、こうやって遊ぶのよの」
と、色々なことを教えられますよね。

勿論「あ、この人は私のお母さんなんだ」と認識して安心感や信頼感が育まれる。
遊び方を教えて貰って安全に遊ぶこともできる。

一方で、その1人の女性は「お母さん」というレーベルが貼られ、
お母さんとして接していくようになる。

しかし、それらのレーベルを教えられる前、
赤ちゃんは周りのものをどのように見ているでしょうか?

レーベルではなく、五感全てで、全身全霊でその対象を見、興味と好奇心のみでその対象と繋がるのではないでしょうか?

何のカテゴリーもなく、その対象物そのものをそのものとして
本質として見ているのではないでしょうか?

人であれば、学歴も、職歴も、肩書きも関係ない。
その人の本質。その人の中の、光を見る。

勿論カテゴライズする事で、レーベルを貼ることでの利点も沢山あります。

でも、本質に戻った時、
その対象物と、対象の人と本当に純粋に繋がりたいと思った時、

貼ってあるレーベルを取り除き、
その中にある光のみを見ようとする事で、
実はそれまで見えていなかった、
表だけでわからなかった
ものすごく美しいものが
見えてくるのではないでしょうか。

そして、そのように見てもらえた対象物は、
今までにも増して光り輝くことができるのです。

そのように見てもらえた対象の人は、
魂が喜び、魂が表現されて、
自分でも気がついていなかった程の輝きで存在し始めるのです。

これは、全てにおいてレーベルを外そうと言う話ではありません。

便宜上のレーベルの利点を認識しながら、
あなたが本当に本質的に繋がりたい時に
本質的に生きていきたい時に、
このように関わることで相互的な魂レベルの喜びが生まれてくるという事。

心にふと寂しさを感じる時、
あなたはもしかしたら
本質的レベルで人と、世界と、関わっていない時かもしれません。

何か満たされていない感覚を感じた時、
あなたの魂が、ディ・レーベルの世界での光を求めている時かもしれません。

まずは身の回りのものから、始めてみてください。

「もしも今鏡の中の私が、貼っているレーベルをとったらどんな光が内側にあるのだろう」

「もしもこれが《りんご》だと知らなかったら、私はこの対象物をどのように見、触り、感じ、味わうのだろう」

そんな、馬鹿げた遊びのように、
そのものに、そのものとして関わってみる。

関わる人々の中の、光のみに意識を向けてみる。

そうしてみた時の、ご自分の感覚を感じてみてください。

きっと何かが、うずくはず。

何かを感じたら、こそっと私にLINEで教えてくださいね。

「私は、本当のあなたが知りたい」

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