見出し画像

大切な人の死を乗り越えて感じたこと

わたしの実家は代々続く飲食店を200年近くやっていて、5代目の父が26年前ですい臓ガンで3ヶ月で亡くなり、それからは弟と母で店をやっていたのだが、4年前に母が同じくすい臓ガンになった。

ガンがわかったその日から母は店に出なくなり、弟と店の従業員さん達とではお店が回らなくなったので、わたしはそれまでやっていた自分の仕事を最小限に減らして実家に戻り、店を手伝うことにした。

母が病気になってもう長く生きれないとわかった弟は酒に溺れ、肝臓のガンマGTPの数値が1500(成人男性の通常数値約30倍)を超えてお酒に心も体もボロボロになった。

そんな弟を見て、母は自分の病気のことを心配するよりも弟のことばかり心配していた。

私はそんな母を安心させたくて、

「弟は私が守るから安心して」

と約束をし、商売や弟、家族のことで何があっても、弟を守るため、母との約束を守るために一心不乱に頑張ってきた。

でも、昨年の10月15日、弟が急逝。

母が亡くなる前からお酒をやめていた弟は、昨年の夏にガンマGTPの数値が正常値の30まで下がり、かかりつけ医にお酒は少しだったら飲んでもいいと言われて3年ぶりにお酒を少しずつ飲み始めていた。

一昨年からの糖尿の数値も下がっていたので安心したのもあると思う。


亡くなる前日の夜、コロナもあって久しぶりに来店した同級生にすすめられた酒を弟はとてもうれしそうに飲んでいた。

「ハイボールお代わりちょうだい」

と、うれしそうな弟の顔を見て、今日は弟の友達が連れて返ってくれるって言ってるし、たまにはいいかなと思ってグラスにできるだけたくさんの氷を入れてハイボールを渡した。

そして閉店時間になってもなかなか帰らない弟と同級生に、「バイトの子を送って行くから先に帰るね、あんまり飲みすぎんでね」と言って弟に告げて店を後にした。

弟はすごくうれしそうに「わかったよ」と笑顔で返してきた。


それが元気な弟の姿を見た最後となった。


翌日の朝、警察から電話があり、弟が川で発見されたと聞いて病院に駆けつけた。

警察によると、弟は友達が車で送ってくれるのを断って他のお客さんと一緒に飲み続け、お客さんと別れた後、真っ直ぐ歩けないぐらいベロベロに酔っ払っていたそう。

そんな弟をたまたま知り合いが見つけ、家の近くまで車で送ってくださったらしい。
弟は家の近くでいいと言ったそうで、車を降りたのが家のすぐ近くの川沿いで弟が川の堤防に座っていたのを見たのが最後だったとわかった。


弟が発見されてからの3日間、弟の死が事故なのか、他殺なのか、自殺なのかわからず、警察から弟を返してもらえず、わたしはその3日間、食べれず、寝れず、水も飲めずで家のカーテンを閉めきり一人でずっと泣いたりぼーっとしていた。

結局弟の死因は特定されず他殺でないと断定され、3日目の夜に弟を返してもらった時には、悲しみや後悔、不安や怒りなどの感情よりもやっと弟の近くにいれることでホッとした。


それからのわたしは、弟を失って実家の店を続ける意味がなくなり、店を閉めることを決めて従業員やアルバイトの人達を全員解雇してお店も閉店した。

小さい町でいろんな噂が流れる故郷では人目が気になり、コンビニやスーパーに行くのも怖くて出歩けず、広島市に逃げるように帰ってきた。

それから一年以上が過ぎ、やっと心が落ち着いてきた。


身近で大切な人が亡くなるのは、本当に辛い。

父と母がガンで亡くなった時も苦しく辛い日々がしばらく続いたが、ある日突然目の前から別れも言わずいなくなる方が何百倍も何千倍も辛い。

だから、今日、今、会いたいと思う人には、会いに行く。
もう後悔はしたくないから。

会って特に一緒にやりたいこと、話したいことがなくても、その人と一緒に今を生きていることを実感するため、そして出会えた奇跡と共に生きてきた人生の軌跡に感謝して。

当たり前のことなんてない。
明日が来るかもわからない。

だから、今を精一杯生きよう。

もし、明日あなたの一番大切な人が目の前からいなくなるとわかったら、あなたは今何をしますか?

あなたとあなたの大切な人達が今日も笑顔で穏やかな1日を送れますように…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?