苦手だった人のご葬儀で

 2ヶ月も放置していたマガジンおまけコラムの一本目でこの話題か、と自分でも思うのですが、先月の末に知人の葬儀に出席しました。雑談で話す以外プライベートのことはほとんど知りませんでしたが、仕事上では随分とお世話になった人でした。リタイヤしてから約20年弱、前職に関わることから町内会に至るまで公私に渡って精力的な活動を続けてきた人でしたから、それぞれ関わりがありお世話になった人たちが詰めかけて、田舎にあっても実に盛大なご葬儀でした。

 そのご葬儀が始まる前、まだ参列客が揃うか揃わないかの頃、祭壇の前のスクリーンで思い出の写真が映し出されました。ぼくは並べられた椅子に知人と並んで座り、これまで知らなかった、父親として、祖父として、町内の一員としての姿を初めて見たのです。
 ぼくが見ていた(つまりぼくの仕事関係の)彼は、もうそれだけで手一杯になりそうな大量の仕事を抱えていました。ときに周囲(ぼくも含む)のやる気の無さに声を荒げながらも、ぼくですら出ていかないような(つまりは上の方の)会合にも出て歯車を回していました。それに加えて、町内会の役員を務め、大量の本を読みこんで勉強不足のぼくたちを叱責する。そのバイタリティがどこから出てくるのか、ぼくには不思議でなりませんでした。それと同時に「家族はどうしているんだろう?」などと余計なことを思ったりもしたものでした。

続きをみるには

残り 1,301字
このマガジンでは、数学、特に代数学の考え方、手の動かし方、定理の使い方がわかり楽しめる題材を扱います。継続購入の感謝を込めて、不定期にエッセイも載せて参ります。

『龍孫江の数学日誌』別館では、代数学の基本的な問題を毎週4問ずつ取り上げ、ポイントとなる定理とともに解説するテキストをお届けします。大学で…

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。