「何がうれしいのか」の何がうれしいのか。

◆数学書においてたまに出くわすのが「~の何がうれしいのか」という設問です. 他の場所では滅多にお目にかからないにも拘わらず, なぜこの言い回しは数学書には根強く現れるのでしょうか.

 質問箱を始めて約半年の間に, だいたい160個ほどのご質問に返答したようです. マメな方ならここでパッと正確な数字が出てくるのかもしれませんが, ぼくはこういうときに過度に正確な数字は必要でなく, 1日に1個弱という程度さえ判れば充分と考える性分です.
 さて, その160個ほどのご質問に答える中で, いくつか大勢の人に好評を頂いた返信がありました. それらを並べてみると, ある共通点に気付きます. それは

「なぜ~を考えるのでしょうか?」

という形の問いであることです.

 数学者が自著の中で, 自分が導入した概念に対するこの問いについて説明するときに、しばしば用いられるのが「~の何がうれしいのか」という設問です. そう,「~の何がうれしいのか」とは「なぜ~を考えるのか」という問いを言い換えたものなのです.

 そして, ぼくは, この問いこそが「高校までの数学」と「大学からの数学」を分けるものだと思っています.

 高校までの数学に出てくる概念というのは, おしなべて具体的で強力なものばかりです. 三角関数, ベクトル, 初等的な確率, そして微積分. これらの概念は強力で具体的であるがゆえに, 学ぶ側の理解度の深浅は別として「なぜ, その道具が必要なのか」とあらためて問う必要はあまりありません. わざわざ語らなくとも, それがもたらす豊かさは自ずから明らかである, または明らかになると考えるからです. 実際, 数学の腕に多少のおぼえがある人なら, これらの概念のそれぞれに対して具体的な応用例をいくらも挙げることができるでしょう. それらのひとつひとつが「うれしい」ことなのです. 自ずからわかることをわざわざ語らないのですね。

 一方で, です. 大学に進学し数学科に入って, 最初に2つの基本的な空間概念「線形空間」と「位相空間」に出会うとき, はたと気づきます.

「なんで, こんなものを考えなきゃいけないんだろう?」

 線形空間はまだベクトルの空間だという具体例があるので「なぜ?」という心理的負担は少ないかもしれません. しかし, 有限次元空間だけならアファイン空間を論じれば充分なはずで, あらためて線形空間を公理から説き起こす必要性は疑わしくなってきます. 不必要に難しくしているのではないか、ということです。
 位相空間とて, 距離空間の一般化であることは定義にしたがえば解ります (距離空間から定まる位相は最も基本的な位相空間の例を与えます). しかしそれが判っても, 距離空間でない位相空間の例がどれほどあるでしょうか. 実際に数学の研究の中で (アブストラクト・ナンセンスな極端な例ではなく) 位相空間として存分に存在感を発揮したものがどれほどあるでしょうか.

 ここに至って, ぼくたちは件の問い「(抽象的な) 線形空間/一般の位相空間の何がうれしいのか」に突き当たります. これに答えられてこそ, 線形代数や位相空間を学んだと胸を張って言えるはずですが, 実際にはそこまでたどり着けない人も少なくありません.

 一つ理由を挙げるなら, 線形空間や位相空間は「場」だからです. その中で、あるいはその上で、さまざまな議論を展開するものだからです。位相空間の公理系からさまざまな性質を導出する練習はします. しかしそれができても, その空間がなぜそう定義されねばならないのか、公理系自体の意義を問う暇はなかなかないのが現状です.

 これは線形代数や位相空間に限ったものではありません. 言うなれば, 大学において数学を学ぶとき, つねに「何がうれしいのか」を問い続けなければなりません. それが解って初めて, ぼくたちの中に概念が根付き, 豊かな実りへと育ち始めます.

 このnoteでも, 折に触れて「何がうれしいのか」をお話ししたいと考えています.

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。