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人付き合いが苦手っていうお話し。


※タイトルと写真は関係ありません。

おはようございます😃
ロンです。
今日のロン地方(神奈川県の西の方、ギリギリ湘南かな。)はめっちゃ快晴です☀️


今日は「人付き合いが苦手っていうお話し」というテーマで少し書いてみたいと思います。

僕は愛媛県(四国の左上の県ですね)で生まれました。
父は愛媛県、母は福岡県の出身で、二人は遠い親戚だったそうです。子供を作る際に言われているのはあまり近親者同士が結婚して子供を持つと良くない、ということです。
これは近親者同士が子供を作ると先天異常リスクが2倍以上になるというデータがあります。
必ず何か異常が出るというほどのものではないようですが、確率が2倍に上がるという事ですね。僕の父と母は従兄弟よりもさらに血が薄い親戚だったようなので(細かい関係は母に聞いた事がありましたが正直忘れました😅)ほとんど問題ないレベルですね。

話がいきなり横道に外れてしまいました。
僕は愛媛県の八幡浜市というところで生まれました。2歳までそちらで暮らしていて、父の仕事の関係で神奈川県へ移り住みます。

僕は8人兄弟の7番目で、上に兄が3人、姉が3人、妹が1人です。

といっても、実際に僕の母から生まれたのは、6歳離れた兄と僕だけ。その上は先妻の子、後は後妻の子と養子縁組した子です。
それでも8人はすごいですかね😅

僕の人格形成にとても影響した事がいくつかあります。
まず、通っていた小学校です。数日前のnoteにも書いだのですが、当時茅ヶ崎の海辺に住んでいて公立の小学校へは歩いて30分くらいはかかりました。ところが、実際に通った私立の小学校は道を挟んだ向こう側がもう既に学園の敷地でしたので、歩いて5分程度の近距離だったんです。歩いて30分もかかるところには危なくて通わせられないと両親が(特に母が)考えて、至近距離の学校を選んだのです。

小学校は私立のキリスト教の学校

僕が通ったのは私立のキリスト教の学校でした。キリスト教学校教育同盟という団体に所属していて、プロテスタント、カトリック、聖公会などの隔てはなく、神さまに結ばれて建てられている学校という位置付けでした。
毎朝礼拝があり、聖書の時間もありました。各自お弁当を持って行くのですが(給食ではなかった!)、食べる前に必ず神様にお祈りしていただきます。クリスマスミサ🎄もありました。
そんなロン少年が通った学校は、1学年に1クラスしかなく、人数も25名でした。途中で転校しちゃったり転入してきたりもありましたので、瞬間的には25名前後になっている事もありましたが、おそらく公立の小学校からすると考えられないくらい少人数だったのです。

友達を作るのが苦手だった

そんな小さな世界で幼少期を6年間も過ごしましたので、自然と僕は仲良しの友達を作るのが苦手な子になっていきました。
そりゃそうだと思います。だって、友達作るも何も自分以外の子が24人しかいないんですから。放って置いても友達になりますよね。
誕生日会なんてのも招待したりされたりありましたが、全員参加が普通でした。
まぁかなり遠いところから来ていた子もいたので(大船や戸塚)、必ず全員が揃うというわけにもいかなかったんですけど。それでも、まぁみんな仲良くさせてもらいました。
結婚してからも同窓会があったり、今でもSNSとかでやり取りのある友達もいます。
そんなこんなで、友達をわざわざ作る必要がない環境だったわけで、コミニュケーション能力が発達しようもないという感じですね汗

近所の子も同じ学校に通っている子が多かった

我が家の住んでいた浜辺沿いの住宅街は、いわゆるお金持ちが多く住んでいて、近くには別荘地もありました。今でこそ茅ヶ崎といえばサザン、サザンビーチとかあって観光スポットも増えましたが、当時は昨日もちょっと触れたんですが、尾崎紀世彦さんとか、加山雄三さんなどの有名人は排出していたものの、観光地というほどでもなかったです。
とにかく海だけは近かったので、サーフィンをやる海が近くにあって、サーファーがウロウロしていました。ウェットスーツの上だけを脱いだだらしない格好で砂だらけで歩いている人がたくさんいました。こんな事を言うとサーファーの方には叱られてしまうのですが、僕はサーファーはだらしない人というイメージが強くて、大人になってもああいうだらしない大人にはなりたくない!サーフィンは絶対にやらない!と拒絶反応が植え付けられてしまいました。今で言うチャラい男ばっかりのイメージだったので、そういうのも手伝ってか?いろんな人と関わるのはとても苦手な子でした。

環境が人格形成にとても影響していた

当然ですが、そんな環境が僕の人格形成に多大な影響を及ぼしたのは言うまでもありません。
ただ、人数の少ない小学校に通い、周りはチャランポランなサーファーばかり、というだけで、友達作るのが苦手な子供が出来上がるということでもないでしょうけど。おそらくは、先天的なもの、つまり先ほど書いたような近親者同士の子供に見られる稀有な遺伝的な事もあったかも知れません。
とにかく人付き合いが苦手でした。
転校する前の中学校もそこまでマンモス校ではなく5クラスだったと思います。ひとクラスに40人弱かな。そんな感じの性格なので、仲良くなるのは自分のクラスの極々少数の人と、ブラスバンド部の同じ楽器(トランペット)を吹いていた数人(先輩含む)くらいでした。

隣町の中学校への転校

2年生から隣町の中学校に転校する事になりますが、ここはマンモス校でした。12クラスありました。とてもじゃないですけど、自分のクラスこ友達の名前を覚えるのが精一杯でした。
他所のクラスの子はほとんど話した事がない状態でした。そんな中でもとても仲良くしてもらった友達が3人いました。登下校の道が近かった二人と、もう一人は偶然自分と名前が被った子でした。それも話しかけられても最初は無視するというとんでもなく失礼なガキでした。
時間が経つうちに打ち解けてきて、その3人とは仲良くなりました。当時の恋バナや遊び、漫画の貸し借り、夏休みのグループ研究なども一緒にしていました。

高校時代も友達は多い方ではなかった

県立の普通高校に通っていたのですが、僕の学年は4クラスしかなくて、グループで近い友達はいましたが、180人みんな知っていると言うわけにはいきませんでした。
そんな中、高校2年生の時に仲良くなった親友は、一緒にデュオバンドを作って演奏していました。ですが、ここでも人見知りを発揮して、バンドメンバー以外は通り一遍的なお付き合いにとどまりました。
3年生の時にお付き合いした女の子がいるんですが、それが今の女房です笑。
親友とは別にやっと仲良くなった女性が、伴侶になったので(つまり友達ではなくなった)、やはり仲良しの友達は少なかったと思います😅

大学、社会人になっても変わらない人見知り

大人の階段を駆け上っても、その傾向は全く変わりませんでした。
大学時代の仲間は居るにはいましたが、卒業後はほとんど付き合いがなくなりましたし、会社に入っても特に仲良しの人は出来ませんでした。

要するに自己完結していた!という事でしょうか。友達は多い方がいいという人もいるのですが、僕は少数精鋭が理想的だと今でも思っています。
実はロンは周りからは人あたりが良い活発そうな人に見えるらしい(以前から何度もそう言われることがありました)です。特に社会人になってからはそう言われるケースが増えました。
おそらくそれは技術営業マンという職種に起因するものだと思います。正々堂々とした態度で自社製品をPR出来なければ営業は務まりませんからね。お客様に対しても、先輩後輩に対してもまあまあ饒舌でうまくやっていたのかもしれません。
ただ、いま定年を迎えて36年間以上の会社員人生を振り返った時に、この人は一生付き合って行く!という人は残念ながらいません。会社を退職してしまえばおそらくなんのお付き合いもしなくなる人ばかりだと思います。

今は特に中途半端に人と会いたくない

僕は、定年前の昨年の10月から精神的に少し病んでしまい(モンスターなお客様とのトラブルで)、対人恐怖症みたいになっています。
ある程度気心の知れている方とは大丈夫ですが、中途半端なお付き合いの人とはむしろ会う事が出来ません。ですので推し活(僕の推し活はインディーズミュージシャンの応援なんですが)についても、ファンの方との接触がどうしても辛くて、それと人の多い場所も苦手で、駅で待ち合わせとか絶対に無理で。

そろそろ締めに入らないといけないのですが、なかなか話をまとめられませんが、先ほども書いたのですが、友達は少数精鋭で良いと思うのです。何も何十人も仲良くしている人がいなくても生きていけるので。自分の事を心底わかってくれて、自分もこの人の事は特別大切だと思える人がいてくれたらそれだけで構わないと思っています。

という事で、本日もコミ障のロンの長いお話しにお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます。

あなたは友達は多い方ですか?
コミニュケーション能力はありますか?
ちょっと俯瞰的に自分を見つめるのも悪くないと思います。

それではまた👋

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