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帰納法で神を見つける~抽象と具体のバランス~【調査法】

【写真】河口湖インターです。お子が車からとりました。間違いなく写真なんですが、なんか質感が変ですね。

調査法って、ほとんどの学生さんは好きな教科にはあがってこないと思います。でも、この教科こそが、社会に出てからもっとも汎用性のある知識が得られるんです。

そして、調査法の授業の中でぜひ習得してほしいのは、まずは、帰納法的
思考です。帰納法ってやつは、ビジネスの現場や、日常生活に欠かせない方法なんです。

帰納法
りんご、みかん、なし ってあったら、これらって、果物だよね、とか、いくつか見たカラスが黒いから、「カラスは黒い」って考えるっていう考え方が帰納法です。つまり、いっこいっこの事象から共通項を取り出したり、法則をみつけたりするのが帰納法です。かんたんですね。かんたんすぎたかもしれません。

福祉の分野で求められることは下のような場面から、文脈の共通性を読み取るってことです。

「子育てしながら、介護のほうもやると、なんだかんだで1日ずっと、時間をとられるんですよね。どこかに出かけてもらうっていったって、どっちかはいるわけだし、時間がきまっているわけだから」

民明書房刊『ダブルケアとダブルパチンコ』

「だんだんと、ヘルパーさんが何をしてくれるのかもわかってきましたね。まえは、お願いすると、私はお手伝いじゃありませんから、なんておこられましたけど、今は、先にお伺いを立ててっていうふうに」

民明書房刊『「個人情報を書いていいんですか?」これ、俺の創作だよ』

っていう話があったとして、上は、介護や子育てで自分の時間がないっていう話で、下は、訪問介護の利用方法が最初はうまくいかなかったって話なわけです。
これがどう共通しているかって、答えは一つではありませんけど、たとえば、「介護生活のルーティン化の課題」とかいう共通項は見いだせますね。
たまたま、共通項が見出だせたとか、私があらかじめ、共通の話題を並べたわけじゃありません。

あまり知られてはいないことなんですが、どんなものが列挙されても、かならず一括りにできます。これ、ものすごい大事なことを言っています。
その原理は、「意識は無前提に同一性を主張する」ってことなんです。簡単に言うと、意識はいろんなものを「同じ」とみる働きがあるってことです。しかも、無前提ですからね。
めんどくさいから引用は示しませんが、養老孟司『人間科学』や『唯脳論』を読んでください。
(養老先生は、「違い」を見分けるのは感覚:センスだといってます。)

意識の働きにまかせて、なんでもまとめてみちゃおう
たとえば、何万っていう虫の種類がありますけど、最終的には昆虫かクモってまとまりになるでしょ。で、昆虫とクモを総称して虫っていいますね。

虫とレッサーパンダは同じく、生物でしょ。

生物と森ビルは、同じく、存在でしょ。

希望とか、優しいとか、時間っていうのは、同じく、概念でしょ。

概念と、ニュース報道っていうのは、同じく情報でしょ。

存在と情報っていうのは、同じく、神の思し召しでしょ。

「全ては、神の思し召し」ってまとまりましたね。私は特定の宗教を支持しているんじゃないです。神が、存在と言葉を作ったっていう教えもあるけど、その反対方向に、人間の意識っていうものの働きが、さっきむにゃむにゃ言った原理に従っているので、どんどん、おなじおなじって積み上げていって束ねる言葉をつくっていけば、最終局面では「存在」と「情報」になって、さらにそれを束ねた結果、神って言葉ができたっていう考え方もあるよってことです。どっちだって話はしていません。信じるか信じないかはあなた次第です。
それから、田中小実昌って人の短編小説に「ポロポロ」っていうのがありますが、ある宗教を信仰している人たちが、いつも一生懸命ポロ(たぶんパウロのこと)って唱える生活を送っていると、だんだんと普段の会話の中に不随意にポロっていうのがまざってきて、それがエスカレートして個別の名詞も動詞もポロになっていって、最後、ポロポロしか言わなくなっちゃいます。だって、全てはポロなんだから、ポロポロでいいポロ。

そんなわけで、どんなものでもグループ化できちゃうってことで、グループ分けの営みは必ず成功するってポロなんですが、そのときに、抽象性を上げているってこともわかりますよね。

だから、逆から考えてみると、どんなものでも抽象性を上げればグループ化できちゃうんだったら、むしろ大事なのは具体性をどこまで残せるかっていうことで、そこに知力や教養が問われるってことになってきます。
能條純一の昭和天皇物語でも、「雑草なんて草はない」っていうくだりがありましたよね。

世の中って結構ポロポロ
さっきの、ポロポロのところ、「くだらねぇ」って思った真面目な方も多いと思います。そうかもしれませんポロ。
じゃあテレビのタレントコメンテーターが、なんか複雑な事件がおきたら、なんでも「ありえない事件がおきてしまって、ほんと信じられません。」っていって終わりっていうのは、ポロポロと比べてどうでしょうか?

そんで、なにかっていうと「ソーシャルワークの価値を大事に、クライアントに寄り添って」みたいなことしかいっていないソーシャルワークの現状は、どうなんでしょうか、ポロポロではないですか?
価値を大事になんてことはポロとしか言ってなくって、大事なのは、その価値を大事にするために、具体的に何をポロるかってことでしょ。
下では、抽象化しすぎた言説を具体性の方に引き寄せる演習をします。

演習 「ソーシャルワークの価値を大事に、クライアントに寄り添って」の具体性を深めていきましょう

「えー、じゃあ、自己決定の尊重が大事です」
じゃあその方向性で具体化していきましょう。でも、それでは、まだポロポロです。自己決定をサポーロして寄りポロためには、何をポローする必要があるんですか?

「えー、適切な情報を伝えて、一緒に考えることです。」 
まだポロでしょ!もっと具体的にポロして!寄りポロの部分もポロ―して!

「えー、3つくらいの選択肢をつくって、それぞれのメリットやデメリットを一緒に考え、選んだ選択肢について、あなたらしいねってフィードバックして、失敗しちゃったときには、どういう風にカバーしていこうかってことも一緒に考えていくってことかな」 
よし。ポロ!短文にまとめよか。

「複数の選択肢を提示して、あなたらしい選択とその結果をサポートしていく、でいいっすか?」
ポロ。そこまで具体性をポロしておけば、実践で活用できそうでしょう?

帰納法的な推論は、具体的なことがらから、抽象化していくプロセスになりますが、抽象性を高めすぎてしまうと、「それ、神」「やばい」「かわいい」みたいな、ガッデームって俺ってなんにも言ってねーっていう言説になっちゃうので、抽象性―具体性を調整することが大事です。

まとめ
帰納法で物事を考えるっていうのを、ごく簡単に説明したつもりです。実践現場で、なんらかの課題を、課題として言語化するっていうのが、帰納法的な推論を多分に用いているってことも感じ取ってもらえたと思います。現場には、自己決定なんて言葉は転がっていないですよ。

また、文脈を判断してグループを作るっていうことをしましたが、そういう分析を、質的分析っていいます。ちなみに、これAIぜんぜんダメです。AIはあくまでもパターンを計算しているだけで、欲望がないからです。意味を見つけることができないわけです。意味の意味ていうのは、欲望を満たしうることがら、ってことだから、欲望がなければ意味は生じません。
AIに、地球を席巻しろとかいって、何らかの志向性をプログラムしておけばAIにとっての意味ってものが生じるかもしれませんけどね。なんの話や。

調査法の話で、なんで神が出てきたり、宗教が、みたいな話が出てくるんや、っておもった人もいるかもしれません。でも、宗教に隣接しえない学問なんて、底が浅い証拠ってことでしょ。

調査法では、アブダクションの推論まで習得してもらおうと思っており、演繹的な推論を学んだ後、アブダクションを説明します。


















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