見出し画像

神社の根源性をダチョウ倶楽部とマルローは読み取ったのか

【写真】この間の関東の雪で、車がこんなんなりました。

神社にいくと、鳥居があって参道があって、お宮があって、という神社に共通するもの(構え)がありますね。これら神社まわりのことがらをあわせて考えると、母体や受胎を模しているんじゃないかって気がしたことないですか?

神社と受胎の対応関係
全部の対応関係は、はばかって言えませんけど、参道は産道だし、本殿とかの宮は子宮ですよね。
そういう対応関係でみていくと、賽銭箱の上にぶら下がってる鈴も、男性器を抽象化しているようにもみえます。
さらに、伊豆稲取のどんつく神社についても、西宮神社の福男が1番を競うことについても納得できるし、辻褄が合ってきてしまうように思うんです。

「それってあなたの妄想ですよね」
神社って母体信仰みたいのと関係があるんでしょうか?
神社は先祖崇拝に係るし、古事記でもイザナミが神々を「産んでいる」わけだから、神社が「産む」ことに関係した意匠としていても不思議ではないような気がします。
でも、ネットで調べると、質問箱みたいのでちょろっとそういう話がみられるくらいのもんです。
また、Chat gptに聞くと否定されるので、ネット上ではそういうような言説が少ないことがわかります。
以前に、宮司の人にも質問したことがありますが、「初めて聞いたわ、そんな話」といわれたので、神社業界でもそんな話にはなっていないようです。ほいじゃあ、わたしの勘違いなんでしょうか。
ひろゆきに話したら、それってあなたの妄想ですよねっていわれちゃうやつなんでしょうか。

慎太郎とマルローとダチョウ倶楽部
石原慎太郎が、国会の代表者討論の中で、政治家で作家のマルローが熊野の新宮を訪ねた際、なんの説明も受けていないのに、そこで祀られているご神体が滝であることを言い当てたという話をしていました。
そんな話を聞くにおよんで、きっと、わきあがってくるような根源的な意匠や営みには、意識や意図をしなくても、なんか人間全体に通底する構造が内包するようになるんじゃないかなと最近では思うようにしています。先の西宮神社のも、自然発生的に興ってきたみたいですね。
ダチョウ倶楽部には、股ぐらに向かって柏手をうつギャグがありますが、あれが発想されたのも、それで笑えるのも、その通底する根源性を読み取っているからなんじゃないんでしょうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?