見出し画像

いま求められる図書館ってどんなものだと思う?

こんにちは、ロンロ・ボナペティです。

普段どのような空間で読書を楽しんでいますか?
自宅やカフェ、あるいは移動中の電車などさまざまだと思います。
僕もいろんな場所で本を読んでいますが、今回は読書空間としての図書館について、考えてみたいと思います。

図書館という施設の歴史を遡ると、世界的には紀元前にすでにその原型があったようです。
いずれも収集を主な目的としており、大量の資料を収集することに重きを置いていました。
こうした閉鎖的な、知識の集積を主眼とする図書館のあり方は、中世ヨーロッパの修道院図書館まで継続します。
それらの資料にアクセスできるのはごく限られた知識人であり、資料そのものも非常に貴重なものであったため、持ち出すことができないよう管理されていた形跡も残っています。

転換点となったのは活版印刷技術の発明。
これにより書籍の製造が廉価になり、短期間に広範囲に書籍が広まっていくようになりました。
民衆の間で組合制の図書館が運営されるなど共有財産として書籍が位置づけられていきます。
そしてフランス革命後には王室図書館が一般に公開され国立図書館になるなど、身分に関係なくだれでも無料で資料にアクセスできるようになっていきます。

こうして収集・分類が重要だった図書館は、利用範囲が広がることにより貸出の機能、すなわち検索性が必要とされるようになっていく。
社会のあり方、人間という存在のあり方の変化とともに図書館の機能が大きく転換していますね。
そしてさらに、近代化の進展とともに図書館のあり方も変わっていきます。

近代という社会において重要だったのは、「公共」空間がどうあるべきかという問題でした。
支配階級が民衆に対し施すものとしての建築から、市民が税金というかたちで共同出資者となり、協力し合って運営していくものへシフトしていきます。
そうすると、公共施設というものはだれもが平等に、一律な公共性を享受できることが重要になりますね。
したがって老若男女問わず、また全国どこでも図書館という施設に接することができるよう、整備されていきます。
こうした平等性は施設のあり方にもあらわれており、個性を打ち出さない平均的な選書やどの図書館に行ってもあるキッズコーナーやヤングアダルトといった世代別のゾーン分け、そして図書館が備える蔵書・閲覧・市民活動といった機能が均等に割り付けられている点などに見受けられます。

蔵書以外の機能が必要となったのも近代的な動向のひとつです。
市民の一人ひとりがアクセスできる空間というのは、それぞれの収入や居住地によって大きく異なります。
お金持ちだけが快適な住宅で読書を楽しむことができたり、大きなオフィスを借りて事業を展開できる状況は平等とはいえない。
そこで少しでもその格差を平準化するために行政による公共施設が環境を整えてきたというわけです。
全国の都道府県立あるいは市区町村立の中央図書館などを見ると、近代的な図書館のあり方がおわかりになるでしょう。

こうして機能面では完成を見たかに思われた図書館ですが、今度は図書そのもののあり方が変わってきたことでバージョンアップが求められることになります。
そうです、情報化社会への対応です。
言うまでもなくこうした時代の動きによって「図書」を管理・公開する図書館がどうあるべきか、再び模索されるようになっていきます。

情報を広く伝播させるには本が最適だった時代から、インターネットを通じてさまざまな形態で情報を届けられるようになったことで、相対的に物理的な本の重要性が低下していく。
いまはまだ紙の本でしかアクセスできない情報が多かったり、情報機器を使いこなせる層が限られていたり、本の価値がなくなったとは言えない状況ですが、いずれその時はくる。

そうした危機感(あるいは新時代への希望)がよくあらわれたプロジェクトがあります。
建築関係者にはおなじみの、「せんだいメディアテーク」です。
1995年にコンペが行われた、仙台市の中心部に新しい図書館を設計するというもの。
「新しい市立図書館、市民ギャラリー、メディアセンター、といった諸機能をひとつにまとめた『メディアテーク』を考えなさい」というお題は、まさに新時代の図書館のあるべき姿を提示するもので、一般公開された最終審査は建築関係者のみならず多くの注目を集めました。
最優秀となった伊東豊雄さんの案が採用され、美しい図書館が建てられましたが、図書館のあり方として新しい可能性を提示して見せたのは次点となった古谷誠章さんの提案でした。

どういうものかというと、図書館を本を検索・閲覧するための場所としてではなく、本との出合いの場として演出するという提案。
インターネットによって情報にアクセスできるようになるならば、図書館に求められるのはむしろ思わぬ出合いなのではないか、という古谷さんの予見をもとにデザインされたものでした。
通常書誌コードにより整理されジャンルごとに並べられる本を、「好きな場所に返却して良い」という管理にすることで、個人個人の趣味趣向によって本の並びがミックスされ、思わぬ出合いを誘発するプランです。
いまでこそ特に中小規模の書店では当たり前となっている「本との出合い」という考え方ですが、当時それも図書館でそれを実現しようとした案は大きな反響を呼びました。

結果的には自由に配置が変わる本をどのように管理するのか、有効な解決もなかったことと伊東さんの案が総合的に勝ったことで実現には至りませんでしたが、建築のもつ可能性を改めて認識させてくれたコンペでした。
その後も新しい図書館のあり方の試行錯誤は続いています。
2013年にはTSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブが運営する「武雄市図書館」がオープンするなど、民間との協働が話題となりましたが、こうした議論が真剣に行われるうえで、建築家が提示したビジョンは大きなマイルストーンになっているのではないかなと個人的には思っています。

こうした選書や分類のあり方のほかに、読書空間としての魅力を高めることに力を入れているところもあります。
前述したように図書館における閲覧スペースというのは近代以降重視されるようになった機能ですが、本の価値が相対的に下がるのであれば、蔵書を絞ってその分のスペースを快適な読書空間に充てたほうが良いのでは、という考え方です。
そうすることで本を読むために図書館を訪れる人が増え、結果的に利用の促進につながるだろうということですね。
公共施設はどれだけ利用されているか、が重要な指針となりますから、なるほどこれも一理あるという感じがします。
先日取材した武蔵野プレイスが居心地の良さを重視していたのも、こうした目的によるものでしょう。

図書館建築の新しい動きとしての「本の出合い」と「快適な読書空間の追求」。
このふたつの双方が非常によくあらわれている建築があります。
群馬県太田市にある「太田市美術館・図書館」です。

この建築は美術館と図書館という2つの機能が、小さなボックスに細分化されその間をスロープ状のアクセス空間が取り巻く構成になっています。
スロープを登っていく途中に小さな書棚やソファなどの読書スペースが分散されて点在しており、思わず手にとって時間を過ごしたくなる。

また小さく分けられた美術館では、常に複数の展覧会が行われていて、定期的に訪れてみようという気にさせてくれます。

こうした運営が可能なのは、図書館にしろ美術館にしろ、より規模の大きな施設が大田市内には用意されているため。
したがって蔵書の数や展示室の大きさは最小限に留め、選書を洗練させることや図書機能と展示機能を相互に連携させることに空間とエネルギーを割くことができるというわけです。
モータリゼーションにより閑散としてしまった駅前エリアに歩行者を呼び戻しにぎわいを創出しようというミッションに応えた施設のあり方を追求した結果です。

この建築を見たときに、これを更に展開させていくと本棚単位での図書館というのがあり得るのではないかなーと思ったりしました。
古谷さんの「メディアテーク」時点では技術的に実現できませんでしたが、いまだったら各書籍にICチップを埋め込むことでどの本がどこにあるのか、リアルタイムで管理することができるでしょう。
それをたとえば公共の図書館に限定せず、街中の店舗やギャラリーなど、多くの人に訪れてほしい場所に分散させる。
どこに行けば欲しい本が手に入るかはアプリで見れるようにすれば、本を目的に新しい場との出合いが生まれたり、反対にある場所を訪れた人が思わぬ本との出合いを得られるかもしれません。
契約業者は一定の読書スペースを確保するように義務付ければ、快適な読書空間は行政が与えるものではなく個人個人が選ぶものになっていくでしょう。

そんなことを妄想して、そうなったときにどんな図書館が相応しいか、かたちにして提案してみるのが建築学生が取り組む設計課題だったりします。
面白いでしょう?
ちょうど今は卒業設計や修士設計の提出シーズン。
自ら立てた課題設定に自分で答えを出してプレゼンテーションし、プロの建築家や大学の教授から講評を受ける、そんな次世代の建築家を育てるためのショーが各地で開催されていますので、興味のある方はぜひ覗いて見てくださいね!

この記事が参加している募集

最後まで読んでいただきありがとうございます。サポートは取材費用に使わせていただきます。