溶ける壁と建築的知性

建築という世界において、30年という時間はあっという間に思える。
なんといっても建築は人類の歴史とともに歩んできたわけで、遡れば原始の時代、洞窟や樹木に少し手を加えただけの住居からの起源がある。
そうした自然由来のものであっても十分に住処として成立していたであろう建築も、人類の進化とともにかたちを変え進化してきた。
その長い歴史のなかで、どのように建築は進化してきたのか。それを考えることから30年後の建築について、思考をめぐらせてみたい。

はじめに断っておくと、建築が機能を満たすためだけに求められるのであれば、すでにその役割は終えている。
乱暴な言い方になるが、四角い箱に空調・照明をはじめ必要な設備を設置してしまえば、どのような用途にも対応可能なわけだ。
世界中どのような場所であっても最低限の人間活動が行える「空間」を、誰にでも効率的につくれるようになったのは、近代建築運動の功績によるものとされている。
それ以前は各地に独自の建築文化が根付いていて、建築のつくられ方もそれぞれ独自の方法が連綿と継承されていたわけだから、これは長い建築の歴史にあっても事件といって良いパラダイムシフトであった。
イメージとしては何千年もの間世界各地で各々の言語が話されてきたなかで、ある時期から数十年間で世界中どんな国や地域に行っても英語が通じるようになった、というくらいの変化だろうか。

そうして世界中に必要十分な建築が行きわたった今、建築家は何と格闘しているのだろうか?
ひとつには、まさにコピー&ペーストされるように世界中に広がっていった均質で画一的な風景から、その土地独自の風土や文化を取り戻そうという動きがある。
こう書くと勘違いが生まれそうなので補足しておくと、これらは懐古趣味に走る歴史原理主義とは違う。
あくまでも20世紀が生み出したさまざまな成果は踏襲した上で、元来の文化を失わずに未来へ継承するためのものだ。

また変化の激しい社会においては、これまで想像もしなかったような建築の用途が生み出される場合がある。
たとえばシェアハウスやシェアオフィスなどがその例だ。そのような建築の使われ方はこれまでにもあったけれど、最初からその目的で建築をつくるようになったのはここ最近だろう。
こういうニーズに対しては、建築家は驚くほど高い創造性を発揮する。
ときには社会の変化に先回りして新しいビルディングタイプを設計してしまうことだってある。
発表された時点ではだれにもその意味するところがわからなかったものが、数年経ってみて気づけばだれもが当たり前に認知しているビルディングタイプになっていたというように。

技術という側面についても考えたい。
新しい技術が世に生み出されるとき、それによってはじめて発想される建築がある。
反対に建築の発想が先にあって、技術が追いついたことで実現される建築がある。
建築の進化と技術の進化には切っても切れない関係があるわけだけれど、これだけ技術革新が目まぐるしい現代において、建築の進化はそれに追いついていない印象も受ける。
なにしろ建築は長い時間をかけてつくられる。
着想段階で最新技術を採用したはずが、竣工時点ではさらなる新しいものに更新されてしまう。
また一つひとつの建築に関わる人数を考えると、だれかの一存で前例のない不確定要素の多い挑戦がしづらい環境もあるかもしれない。
特にITインフラといった、一企業だけで導入しても他社とのやり取りで使えない場合あまり意味を成さない類の技術は業界全体の動きをお互いに伺っている印象がある。
ひとりの天才の発想がなかなか実現に至らないというのは建築のひとつの特徴ともいえる。

こうした建築の動きは、高度に専門化が進んだ近代を越えて、専門性を溶かしていく行為とも捉えることができる。
〇〇の近代化、と接尾語をつけてみるとわかるように、近代においてはあらゆる分野で専門分化が進み、分野の壁が高くなっていった。
農業の近代化、教育の近代化、政治の近代化、等々例を挙げればイメージがしやすいだろう。建築においても同様である。
さらに建築という分野の中においてさえ、専門性を盾にお互いの領域を守り合うような状況にあるといえるかもしれない。

こうした壁を溶かして、お互いの専門性を武器にこれまでできなかったことに取り組もう、新たな課題にチャレンジしようという動きが、近代が飽和した世界で起こっていることだ。
領域横断的な発想が、これまでひとつの分野に閉じこもっていては解決できなかった課題を解く糸口になる。
建築に限らず、あらゆる分野でさまざまな取り組みが行われている。

こうした状況が加速していくと、建築的知性は相対的にかなり優位性をもっているのではないかと考えている。
というのも、専門性の洗練が推し進められた時代にあっても、建築は他の分野と常に浸食し合ってきたからだ。
分野を越境する際にどのような手が有効なのか、その試行錯誤の蓄積は計り知れない。

願わくば、これからさらに加速すると考えられる領域横断的な動きに、建築もついていって欲しいと思う。
恐らくこれまでの常識では建築の出番ではないようなケースに建築的思考が有効な場面も出てくるだろうし、建築が扱う領域に、適切な分野の専門家との協働が求められるケースもあるだろう。
もはや建築のことだけわかっていれば良いという時代にはないことを、痛感させられている読者の方もいるのではないだろうか。

建築の専門誌を見れば、ワクワクするような建築は日々生まれている。
その一方で、世の中のワクワクするような新しい動きに建築が首をっこんでいるケースは少ないように感じている。

30年後の未来にも、建築でワクワクしたいのだ。
その時につくられる建築は、真に社会が求めるものであって欲しいと思っている。
そして建築のコンテンツに関わる者として、最前線の動きを常に読者に届けられるよう、書くことだけではない方法を模索しながら精進していきたい。

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建築編集者ロンロが行く

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