建築を必然付けるものを追求していったら、靴べらにたどり着いた

どんな建築も、そのかたちには必然性があるはずです。
そこにはさまざまな要因が含まれており、特定の建築家のアイディアによって非凡なものが建ちあがったとき、「作品」と呼ばれてメディアに取り上げられたりします。
建築「作品」について語るには一定の教育を受けていることが求められ、建築を扱うメディアには、建築に素養のある論者によるテキストが並ぶことになります。

結果的に建築の知識がないと、なぜその建築が革新的なのかがわからなかったり、そもそも書いてある内容が理解できなかったりして、建築が「わかる」人以外を遠ざけてしまう結果となっています。
建築のとらえ方として、専門知識がなくてもワクワクできる方法はないのだろうか? というのが本記事での問いです。
そしてその答えとして、建築を特定の建築家の「作品」としてとらえるのではなく、人類の活動総体が生み出した創造物としてとらえてみるのはどうだろうか、と考えています。

※以下はまだかたちになっていないアイディアレベルの備忘録です。実績として公表できるようになるまで、有料設定で置いておきます。

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