「ボカロ好き」は結局何が好きなのか?を考える(アンケートの結果と考察)

(注:はっきりした結論はありません)

先日ツイッター上でこのようなアンケートを行いました。

ただの思いつきのアンケートでしたが非常に多くの人から回答いただきました。大真面目に答えようとするならしっかり理解してしっかり考えなければならない設問なので、それなりの労力が必要だったと思います。ありがとうございました。
通知を見る限りでは、私に近い、とにかく新曲を漁りまくるリスナー界隈だけでなく、いわゆるミク廃的な界隈の方からも回答をいただいたようで、かなり広くサンプルが取れているのではないかと推測します。思いつきだったとはいえこのままほったらかしではもったいないので、色々考察していきたいと思います。

ただし、質問そのものがかなり曖昧なものであるということはまず留意しておかなければならないでしょう。ここでいうボカロって何処から何処までの範囲を指してるのか?とか、ボカロ曲ってどういう定義?とか、好きではない曲って何?とかですね。
設問の意図としては、自身のイメージに基づいてどう思っているかということを尋ねたかったので、個人の判断で回答をいただければ十分だと思っています。例えばトロッコ問題が超絶偉い人が考えたとは思えないガバガバ設問であるように、あくまで思考実験特有の極端な前提であるとご理解いただけたらと思います。

ではアンケート結果について考えていきます。
やはり驚きは「好きではない曲しかなかったけどボカロ好き」が約1割もいることですね。そもそもは前提に当てはまってしまい回答できない人がいるかもしれないと思って作っただけの回答でしたが、とても興味深い結果だと思います。

しかし注目したいのはなんだかんだで「好きになっていなかったと思う」が多数を占めているということです。「好きになっていなかったと思う」と回答した人は本来的には結局何が好きで、果たしてこのきっかけと一致しているのかということです。

ボーカロイドを取り巻く文化の中で最も奇妙で面白い(あるいは歪なとも言えるかもしれません)と個人的に思っているのは、文化の中心に据えられていると言えるボーカロイドを用いた楽曲、すなわちボカロ曲を製作している人はあくまで一ユーザーにすぎないはずが、一方でそれはボーカロイド技術や関連ソフトウェアの公式が供給しているものであると勘違いされることがあることです。例えば、ボーカロイドには製作委員会的な組織があって、その人たちがボーカロイドのために全ての曲を作っている、という勘違いがたまにあることなどが挙げられます。これは楽曲が文化の中心にある=それは公式であるという早とちりから生まれるものと考えられます。
また、この製作委員会的な勘違いとまでは行かなくとも、大なり小なり多くの人が楽曲とボーカロイド公式を結びつけて捉えていたことがあるかもしれないと想像します。例えば初音ミクが「初音ミク」というアーティストだと捉えられていることもその一種でしょう。それぞれの捉え方の違いという意味でutakikiさんの言うボカロシーンの歪みやKqckさんの言うボカロシーンの倒錯性とも関わる話かもしれません。

ユーザー/消費者側が中心になるというのはいわゆるCGMと呼ばれる構造ですが、CGMとしてよく例に挙げられるブログ、SNS、動画投稿サイト、口コミサイト辺りはユーザーと公式を混同することはほぼほぼありえないはずです。ボカロ文化と度々比較されるVtuber文化でさえ、例えば某人物がキズナアイとなって動画をアップロードしましたがほぼほぼ完全否定されるなど(例えが悪いかな?)、公式とユーザーの線引きの認識がはっきりされる活動が基本となっています(その辺り、バーチャルボカロリスナーの御丹宮くるみさんは度々外見を誰かに貸して御丹宮くるみ同士で対談したいと語るなど、公式とユーザーの感覚はボカロ文化的なものを持っているなと感じます)。

ここでアンケートの質問を読んでみましょう。

【ボカロ好きへ質問】ボカロ曲が自分の好きではない曲しかなかったとしたら、あなたはボカロを好きになっていたと思いますか?

ここでいう「ボカロ曲」とは立ち位置としてはアニメ、ゲーム、漫画等における同人に近いものであると言えます。あくまでボーカロイド公式が提供しているわけではない場合が圧倒的多数だからです。一方で「ボカロ曲」は単なるファンアートに留まるものではないと回答者の皆さんは捉えたと思います。「ボカロ曲」はボーカロイドイメージソングだけではないですし、そもそもイメージソングだったとしてもその本質は音楽であり、その時点でイラストや設定で構成されたキャラクターとはある程度の距離が生まれるはずです。
もう何度も語られてきたことではあると思いますが、ボカロ曲は非公式でありながら文化の中心の一部(もしくは大部分)であり、かつボーカロイドという技術や関連ソフトウェアの公式と混同されやすい立ち位置にいることは意識せずとも無視できないだろうということが考えられます。そしてこのアンケートはその非公式かつ中心の一部がどれだけ本質全体に影響を与えているか見ているものである、と言えるかも知れません。結果を見るに、その一部とは約7割を占めているのだろうと考えることが出来るかもしれないですね。そしてその中に公式とユーザーを混同した感覚を持っている人がどれくらいあるか気になりますね(もちろん自分もそういう感覚を持っているかもしれないことは否定できませんね)。


ここまで書いておいてですが、正直何の結論もありません。 ごめんなさい。
ただ色々考えていて、少し前の踏み台の騒動はこの公式とユーザーの感覚の違いも原因にあるのかなと思いました。それに公式非公式って何処から何処までだよとかも思いますし、また最近なんか皆色々物申してるけど一人一人前提が違うから議論にもなってないよ、という意見もたくさん見かけられます。
そこで、これである程度前提が考えやすくなるかなと思い、以下のように要素を分けてみました。

■公式要素
1.技術/ツール/楽器
2.設定/キャラクター
3.外見

■非公式要素
4.音楽/シーン(/音楽ジャンル?)
5.イラスト/3Dモデル
6.ストーリー/二次設定
7.流行
(8.歌い手?)

一つ一つ説明していきましょう。まず大きな分類としての「公式要素」「非公式要素」は文字通り、ボーカロイド公式(YAMAHA)や例えば初音ミク等製品の公式(クリプトン等)側が提供しているかそうでないかの要素です。本noteではこの分類に従って公式/非公式を分けています。
ここからさらに細かい分類を見ていきましょう。まず1.技術/ツール/楽器。これもそのまま読んでもらえれば分かると思いますが、ボーカロイドの音声合成技術に関連する事柄です。技術としてある程度自由に歌わせられる面白さであったり、あるいは楽器として鳴る音のフォルマント、トランジェントや倍音構成(つまり歌声)が好きという人もいるでしょう。
次に設定/キャラクター。初音ミクで言えば、年齢:16歳、身長:158 cm、体重:42 kgという設定のことです。ちなみに初音ミクの公式設定はほとんどこれだけで、性別すら設定されていないことは有名ですね。
そして3.外見。これは言うまでもないですね。人類にとっての緑髪のツインテールという概念は既に初音ミクに支配されていると言っていいほど外見の影響力は大きいですね。また初音ミクに限らず、根強い人気を持つ容姿を纏うボーカロイドは少なくありません。
非公式要素に移りますと4.音楽/シーン(/音楽ジャンル?)。アンケートで「好きになっていなかったと思う」と答えた方はつまりこれがきっかけなのだと思います。それに加えて、ボーカロイド文化の構造が生む音楽シーンそのもの(恐らく私の周辺の方はここが好きな人が多い)やもしかするとボカロを音楽ジャンル的に捉えており、それが好きだという人もいるかもしれません。
アンケートを読み解く限りでは、きっかけとしては少数派の5.イラスト/3Dモデルも根強い人気があるように思えます。初音ミクを始めとするボーカロイドのイラストは楽曲にも負けないほど数多く公開されていますし、3Dモデルに至っては主要ソフトであるMMD(MikuMikuDance)の名前の由来が初音ミクであることからも大きな影響力が窺えます。
6.ストーリー/二次設定はユーザーがボーカロイドを使って曲を作ることそのものを指すことが多いでしょう。少し言い換えると、いわゆるボカロPとボーカロイドの関係性のようなものです。「恋スルVOC@LOID」や「ハジメテノオト」などのボーカロイドイメージソングはこの要素を作品側まで引き伸ばしているといえます。またボカロP的な存在が一切登場せず、キャラクターだけを描いた作品も多く見られますがそれもストーリーの内に入るでしょう。ボーカロイドを用いたゲームもここに入ると思います。あるいは初音ミクはネギが好きといったユーザーが付加していった要素もここです。
次に7.流行です。流行に好みが左右されるというと悪いことのように思えますが、諸行無常の現世において移り行く流行に本質を見出すことは別におかしなことではないと思います(?)。いずれにせよここの層がボカロシーンの趨勢を握っていてもおかしくないですし、そもそも流行りものしか聴かないからといって馬鹿にするのは間違ってるのでそれは諌めたいですね。ただしマイナーを見下すクソ野郎にはガンガン喧嘩を売りますのでどうぞよろしくお願いいたします。
最後の(8.歌い手?)はもちろんこれをボカロの一要素に入れるのはおかしいのですが、ボカロ好きと言いながら歌ってみたの動画を挙げる人もいるそうなので(?)付で入れました。なんだかんだでボカロと歌い手は相互に影響を与え合っていることは無視できないので仲良くやれるようにやっていけたらいいなあと思ってます。

以上のように分けましたが実際はもっと細かく分けられたり、反対に厳密には不可分であるところも多いということを留意していただきたいと思います。不可分であるがゆえに色々と拗れやすいのかなと。
(誤りや抜けがある場合はお手数ですがご指摘お願いします)
(ちなみに、自分はやはり1と4の人間でしょう)

(2020/7/4改訂 軽微な表現の修正)

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