b-flowerの22年ぶりアルバム「何もかもが駄目になってしまうまで」、感想そしてあれこれ

人生で最も待ち焦がれたアルバムと言って間違いないでしょう、2020年11月11日発売のb-flower「何もかもが駄目になってしまうまで」。あまりに思い入れが激しすぎるため冷静に聴くのは不可能なんですが、現時点では2020年屈指の傑作のひとつであり、間違いなく今後も聴き続けることになるだろうと確信しています。

とりあえずこのアルバムの感想を書いていくために、そもそも自分にとってb-flowerとはどんなバンドなのかから書く必要がありそうなのでそこから書いていきたいと思います。極めて個人的な上、長くなります。

b-flowerを初めて聴いたのは最も音楽発掘に熱を上げていた2009年頃のことになります。
今まで中々アクセスしようとすら思わなかった場所に素晴らしい音楽がたくさん存在することに気が付いて、とにかく一心不乱に聴き漁っていた記憶があります。そしてその頃の勢いそのままに現在に至っている感があります。
しかし当時は新たな音楽を次々に聴いていく度に、大きな不安を感じていました。
それは”これから一つのバンドやミュージシャンに入れ込むことは無くなるんじゃないか”ということです。私が音楽を好きになり始めた頃に、とりあえずはと聴き始めたビートルズやらthe whoやらに夢中になっていったような、そういう感覚はもう味わえないのかなと思っていました。そんな時に出会ったのがb-flower「Clover Chronicles I」でした。

とにかく言いようのない衝撃を受けました。いや衝撃という言葉は正しくないのかもしれません。暴力的なロックを聴いた時の全身を吹っ飛ばされるような衝撃とは真逆の、胸の奥にすっと沁みるような感覚。諦念を醸し出しながらも確固たる意志を携えた歌詞、そしてその日本語を最大限生かす伸びやかな美しいメロディー、心地良い虚しさを表現するかのように空いた隙間を感じさせるサウンド。
すぐに全アルバムを手に入れ、さらにはシングルも手に入れて、しばらくはb-flowerが生活の中心にあったようなものでした。同時期には高橋徹也やGOMES THE HITMANなど現在も思い入れの強いミュージシャンに出会うことになりますが、それは自分の中でb-flowerが先陣を切ってくれたからこその発見だったように感じます。

b-flowerは2000年頃から活動休止状態にありましたが、2010年にはLivingstone Daisyとしての「どこにも行けないでいる」のリリース、2012年にはb-flowerとしての「つまらない大人になってしまった」のリリースなどがありつつ、2015年には京都で12年ぶりにライブを行うなどゆっくりと活動を進め始めていました。
実はこの2015年のライブを見に行っていたのですが、その時に披露された新曲の「Another Sunny Day」が本当に素晴らしくて、自分の中で来るニューアルバムへの期待はそれこそ青天井状態になっていました。インディーズ時代へ回帰したかのようなギターポップでありつつ、代表曲に囲まれたセットリストの中でも確かな印象を残すほどにキャッチー。この曲が収録されるアルバムは絶対に傑作になるに違いないと確信したことをよく憶えています。

それから何年か経ち、さすがに「Another Sunny Day」がどんなメロディーだったかほとんど思い出せなくなりました(一回しか聴いてないのだから仕方ない…)。一応ソノシートの形式でリリースされてはいるものの、聴ける環境無いしなあと思いつつ手を出しておらず…。記憶の中の引き出せないところにしまわれてしまったあの曲を聴きたいと思いつつも、中々その時は訪れないままでした。

(ところでこういう話をするとYouTubeにあるカーネーション「Edo River」のPVについているコメントを思い出します。


曲が名曲であるのも当然ながら、このコメントも大変素晴らしいものであるので一度目を通してもらいたいなあと思います。)

今回「何もかもが駄目になってしまうまで」の3曲目に配されたことで実に5年ぶりに「Another Sunny Day」を聴くことになりました。そうそう、途中に下降するベースラインが入ってたなとか、サビ最後は綺麗に力強くコードが解決してたなとか、2015年に聴いたあの時の、なんとなく覚えた仄かなグラスゴーの感覚そのまま。思い出せないだけで忘れたわけではなかったということをあっさりと示してくれた。そして何より、今の耳で聴いても素晴らしいまま。

この「Another Sunny Day」が代表するかのように、本作「何もかもが駄目になってしまうまで」は初期の「ペニーアーケードの年」や「ムクドリの眼をした少年」を彷彿させるほどに、何処か粗削りで純度の高さを感じさせます。
一方で確かにキャリアを積んだb-flowerの音楽であるという芯の強さが、ひけらかすでもなく滲み出ています。音像の大きさ、キックの低さ(約40Hz以下の迫力)を始めとして音は現代的で(当たり前だけど)初期と比較すると力強く、またボーカルもその少年性を深化させたかのように存在感が増しています。一方で深化したというあり方そのものにある種の老獪ささえ感じます。歌詞の繊細さ、そしてその一方で垣間見える過激さも限りなくb-flowerらしい。「グラジオラス 胸に抱いて」と歌いながら(そう、「グラジオラス」ですよ)、「総理大臣よりも 大統領よりも 国家主席よりも 僕を信じて」と歌う。歌詞カードを読みながら、ああこの感覚だなあと。

22年ぶりの、そして結成から優に30年を超えたバンドによるニューアルバムが非常に純度の高いギターポップを維持したものであることは、それだけで圧倒的な感傷を覚えます。
ギターポップ≒ネオアコがどのような音楽か説明される時に必ず用いられる表現は、エヴァーグリーンや青春、もしくは青臭さとも呼ばれるほどの瑞々しさです。
これは、自分以外の人がどのように聴いているかは知りませんが、パンクへの懐古という一面としての特徴であると個人的に捉えています。Aztec Cameraの「Walk Out to Winter」において"Faces of strummer that fell from the wall"(訳:ジョー・ストラマー(代表的なパンクバンドThe Clashのフロントマン)のポスターは壁から剥がれ落ちた)と歌われたように。


数年で自壊してしまったパンクに対して、その隙間を埋めるようにギターポップが生まれたとするなら、今度こそは長く続いて欲しいと思う訳です。別に自分は全然リアルタイムで経験してはいないんですが。
この辺りのニュアンスに関しては、b-flowerではありませんが、GOMES THE HITMANの「僕はネオアコで人生を語る」という曲がよく表しているんじゃないかと思います。

またこちらのインタビューも補足情報としてとても素晴らしい内容だと思います。

結局私はこの日常の延長にあるということに、大きなシンパシーを感じているんだと思います。だからこそ今の音楽ライフの中心がボーカロイドだったりして、意外と密やかな繋がりがあったりするんだなと思ったりします。

本作はまさに自分の音楽観、そしてこうした一連の流れについて考える契機になりました。
また、小細工の殆どないバンドサウンドを現代で鳴らしつつも、確固たる個性で勝負できる強度を持った作品として、したたかな存在感があります。
そういった意味でb-flower「何もかもが駄目になってしまうまで」は、高橋徹也「怪物」、GOMES THE HITMAN「memori」の他、壊れかけのテープレコーダーズ「End of the Innocent Age」やFor Tracy Hyde「New Young City」などと共に並べられる傑作の一つであると思います。特に高橋徹也「怪物」とは続けて聴くとそれぞれのしなやかな独創性が際立つ。「怪物」を後ろに聴くのがおすすめ。

b-flowerのアルバムというのは、最高傑作がどれかを選ぶのが非常に難しいです(個人的にはSimon & Garfunkelの最高傑作がどれかと同じくらい難しいと思ってます)。その中で今作はかつての諸作品と比較しても遜色のないアルバムであり、全然ここから入っていっても問題ないと感じます。ファンとしては全作集めるべきと思ってしまいますが、ストリーミングと数年前にリリースされたベスト盤と合わせて聴くことでb-flowerの魅力が分かりやすいのではないかと思います。
是非ともこれを機にb-flowerという素晴らしいバンドの音楽を聴き始めてはいかがでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?