すんzりヴぇrPから紐解くボカロシーンの原形?「喫茶ロック」

今年5月にゲスの極み乙女・indigo la Endの川谷絵音らによる学生気分がボカロ曲を投稿して話題になりましたね。残念ながら大物Pたちの久しぶりの新曲や初音ミク10周年ですぐに話題の外になりましたが、まあボカロシーン、特にメジャーなところは圧倒的ガラパゴスなので仕方ないですね。

あるいはスッパマイクロパンチョップさんがボカロに関連した活動を行い始めており、即座にディープな内容を取り扱っていることに対して、一部で大きな反響を生んでいます。

学生気分【学生気分(川谷絵音✕休日課長)】恋のこと
半魚人 feat. 滲音かこい

しかし、音楽作品を流通に乗っけた経験のある人々がボカロシーンにやって来るのは初期の頃から珍しいことではありませんでした。その最初期の例はすんzりヴぇrPです。ボカロデビューは「トライアル」ですが、まずシーンに大きなインパクトを与えたのは「ハイブリッド」でしょう。

【鏡音リン&レン】 ハイブリッド 【オリジナル】

相当にひねくれたポップスがスマッシュヒットを記録したことは当時のシーンでは中々衝撃的で、極々一部では語り草になっているようです。最初期の鏡音代表曲として現在も確かな支持を受けています。

そのすんzりヴぇrPのボカロ外の活動が、P名をちゃんと半角入力したsunzriver名義です。ローザルクセンブルグ・ボガンボスのどんとから賞賛されたという紹介のされ方が多いようです。唯一のアルバムは「ストーミーサンデー」といくつかのコンピに参加した際の音源が残っています。またact2としてニコニコで新曲がいくつか聴くことができます。

個人的な話をすると、初めてsunzriver氏の曲を聴いたのはTeenage Symphonyのコンピ「Smells Like Teenage Symphony」に収録されている「電線」という曲です。「Smells Like Teenage Symphony」自体、非常に良質なポップスが多数収録されており、聴きごたえ十分なのですが(Nirvavaっぽさは全くないです)、特に「電線」は他の曲と比較しても一筋縄ではない捻くれっぷりが印象的です。ただアルバムは通して聴くとやや散らかったイメージで、一枚の作品としてみると個人的にはやや評価は低めです。

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Smells Like Teenage Symphony(amazonリンク)

コンピの中で秀逸なのはまずトップを飾る初恋の嵐「涙の旅路」。持ち味の美しいメロディーと歌詞が存分に発揮されており、21世紀版はっぴいえんど「抱きしめたい」と評しても違和感のない傑作です。またこれが初恋の嵐の中心人物、西山達郎の死の直後のリリースということでもある意味で重要な一曲です(CDには追悼文が付録されています)。

そしてコモンビルの「また日を改めて」。かつて西山達郎も在籍したバンドのスタンダードといってもいいほどのシンプルなカントリーロック。プロデュースはカーネーションの直枝政広で、素晴らしいサウンドプロダクションが充実したバンドの音を記録しています。ちなみに2nd「Commonbill」収録バージョンも是非。このアルバム、音が滅茶苦茶悪い上に演奏も前のめりで迫力が凄いです。

そしてラストのG.A.P.C.「Rooftop Star Tripper」がやはり頭一つ抜けた名曲です。G.A.P.C.?聴いたことないな?とお思いの方が大半だと思いますが、これは実はGOMES THE HITMAN、advantage Lucy、PLECTRUM、cellophaneというスーパーバンドたちのコラボレーションだったりするのです。どうでもいい話でもありますが、私のnoteのアドレス等に使用している「rooftopstar」はこの曲を元ネタにしています。

2000年頃はこの「Smells Like Teenage Symphony」のような良質なポップスを収録したオムニバスアルバムが多くリリースされました。「Smells Like Teenage Symphony」との双璧とも称して良い「喫茶ロックNOW」。そして「Smells Like Teenage Symphony」と「喫茶ロックNOW」を企画したメンバーSmiley Smileによる「The Many Moods of Smiley Smile」「Younger Than Yesterday and Today」の2枚のコンピが代表的でしょう。そしてこれらのコンピに参加したミュージシャンの楽曲は「喫茶ロック」などと呼ばれ、一ジャンルを形成していました。

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喫茶ロック NOW(amazonリンク)

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The Many Moods of Smiley Smile(amazonリンク)

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Younger Than Yesterday and Today(amazonリンク)

喫茶ロックとはその名の通り、喫茶店で流れるのが似合うような穏やかな音楽であると言えます。フォークロックやソフトロックをルーツに持つ、アコースティックなサウンドや文学的歌詞が特徴です。そのため、90年代以降の、例えばサニーデイサービスやくるり等によるはっぴいえんど再評価の流れの一つであると言えます。

説明はほぼ不要と思いますが、はっぴいえんどについても一応解説しましょう。はっぴいえんどが結成された1960年代後半は未だに日本語でロックができるのか、ということが真面目に議論されていた時期です。中にはロックは英語でなければならないという原理主義者も存在し、現在にも「日本語ロック論争」と呼ばれる議題として伝えられています。

そんな中リリースした2ndアルバム「風街ろまん」はその完成度から日本語ロック論争を終わらせたとされ、様々な音楽雑誌等の歴代邦楽名盤ランキングで度々第一位に選出されるほどの高い評価を得ています。日本のロック・ポップス史上最も重要なアルバムであると言っても過言ではありません。ただ実際のところは日本語ロック論争はほぼ言いがかりのようなものであったとも言われてますし、やや神格視されて現代に残っている節もあります。逆に、そうした物語が作られるほど「風街ろまん」は継続的に参照され評価されてきた作品であるとも言えます。

またその後の日本の音楽界に大きな影響を与えたメンバーが揃っていたことも語り草です。この辺りは省略します。

80年代はボウイやブルーハーツ等を中心としたシンプルな8ビートのロックがシーンを支配していましたが、90年代半ばには反動のようにはっぴいえんどのようなフォークロックが再評価されるようになります。

その筆頭は先述のサニーデイサービスです。特に「東京」と題された、レトロな空気に溢れる桜を写したジャケットの2ndアルバムが高評価。初期衝動を残したサウンドと渋谷系的視点からの評価も相俟って、90年代を代表する一枚です。never young beachなど多くのフォロワーが台頭しているなど、現在のシーンにも大きな影響を与えています。そして90年代後半には、あるいはくるりであったり、キリンジであったり、続々とはっぴいえんどフォロワーが登場します。

何故はっぴいえんど再評価が進んだか、という問いに対する答えはいくつか考えられますが、その一つとして世紀末の空気に対するカウンターの一種であると捉えられることが挙げられます。地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災等が発生するような殺伐した世の中から、少し距離を置いた穏やかな姿勢が受け入れられやすかったという考察です(これはフィッシュマンズの評価に関しても同様に適用されるものと思われます。)。

元々「風街ろまん」は東京オリンピックで失われた風景をモチーフにしており、それが世紀末へのカウンター的な姿勢とリンクしていたと考えられるでしょう。そしてもちろんその世紀末の空気は、音楽以外のアニメ等の文化にも影響を与えたことももはや一般的な見解ですね。

さて話を戻して、00年代に突入するとこのようなはっぴいえんど再評価の流れから喫茶ロックに辿り着きます。その名前の由来となった喫茶ロックNOWはリリースが2002年であり、もはや世紀末が過ぎ去った時期です。はっぴいえんどフォロワーが評価される時代は過ぎ、ただその音楽だけが残ったという形でしょうか。とにかく様々なミュージシャンたちが、個性的にアコースティックなサウンドを鳴らしており、それが喫茶ロックNOWとしてまとめられました。

良いものか悪いものか判断するのは難しいですが、この流れから、先述のTeenage Symphony等と合流し、Smiley Smile諸作品が誕生することになります。Teenage Symphonyというレーベルは基本的にジャンルレスであり、あらゆる種類のポップスを輩出していたため喫茶ロックと親和性の高い音楽を多く提供していました。そのため、喫茶ロックというジャンルは喫茶ロックシリーズのコンピに参加していたミュージシャンに限らない音楽を指す言葉になりました。これは喫茶ロックコンピに楽曲が収録されていないLampが喫茶ロックに分類される傾向があったことが証明しています。

こうした良質なポップスであることを条件とする緩やかなまとまりのもと、アマチュアリズムに近い精神が所々で発揮されていたように個人的に感じます。参加ミュージシャンはメジャーもインディーズも関係無く、また若手も中堅もベテランもごちゃ混ぜになっており、実に彩り豊かな音楽が揃っています。深みのある演奏、下手な演奏、軽快な曲から地に足ついた曲まで、まさに玉石混淆です。

この辺りにボーカロイドシーンと類似したものがあるように思います。ボカロもまた、アマチュアリズムを基にして盛り上がりを見せてきましたし、過去も現在も緩やかなまとまりが基盤となって、彩り豊かなシーンを形成してきたはずです。しかも、喫茶ロックに分類されてもおかしくない音楽も多々存在しているように思います。
例えば

【IA】obrate【まほろば発売記念】

筆頭の一人はやっぱ、やっぱロドリゲスさんです。アコースティックで甘すぎず渋すぎず、生活にちょうど良く溶け込むような。大仰ではないとても身近な感動です。

【響姫あひる】ヘンテコきっちん【オリジナル】

可愛らしく懐かしさを感じるピアノ曲でおなじみのそうさん。毎回毎回、心に沁みる音とメロディーです。ねこみさんの詞とよく合います。

初音ミク - 3号車

職人的ですが玄人以外にも気軽におすすめできるねこむらさん。流れる時間の独特さが素敵で、隔世感が心地よく。

ふたりの食卓【オリジナル曲】【初音ミク】

作風の幅広いポンヌフさんですが、共通するポップさには一貫した「らしさ」があります。この曲も今までにないグルーヴ感でしたが、変わらない歌心。

【猫村いろは】 ずっとそばにいてほしい 【オリジナル】

多くの作品を残し、様々なジャンルを横断している見切り発車Pの最新作。トラップ風リズムですが、良い意味で派手ではなく耳馴染みよく。

以上の作品を聴いても、喫茶ロック周辺のコンピに参加したポップス職人たちと比較したとしても、全く見劣りしない傑作が多く存在しています。

しかし、喫茶ロックはだんだんと下火になっていきます。その原因の一つは、これは個人的な見解でしか無いのですが、その名称とイメージにあったのでは無いかと考えています。喫茶ロックはその名称から「どうせただのファッション的な音楽だろ?」と偏見を持たれがちでした。

それに加えて、単純なはっぴいえんどフォロワーだと称することができる音楽では無かったことも挙げられます。元々の再評価からやや変遷を辿り、その音楽ははっぴいえんどのような本格的なアメリカンルーツロックのサウンドでは無くなっていました。それが聴き手にとっては、喫茶という名前の似合う、本格的ではないある種の軽薄さを孕んだ音楽であると捉えられてしまったと考えられます。

このこともまた現在のボーカロイドシーンによく似ている状況なのでは無いかと感じられます。ボカロと言えば、あの高bpmで、早口で、ナンセンスな歌詞で…既にそんなイメージが一般的なものになっていると言えるでしょう。一部の音楽マニア(老害)からは未だに軽蔑されるべき対象ですし、そのイメージに捉われて、ボーカロイド音楽文化の豊饒さを理解されていません。理解する気もないでしょう(まあこういう人はyoutubeで「昔の音楽は良かった。それに比べて…」というコメントを残してもらって、永遠に引きこもってもらいましょう)。そして10周年は過ぎ、大きなトピックも無くなりつつあります。それではボーカロイドシーンは、例え草の根では素晴らしい楽曲が生まれていようと、喫茶ロックのようにイメージを覆すことは出来ず、地盤沈下していくしか無いのでしょうか?

一つ、ボーカロイドと喫茶ロックとは明確に異なることがあります。喫茶ロックはミュージシャン側が協力的では無かったという点です。例えばLampの染谷太陽氏は喫茶ロックと呼ばれていたことに対してブログで度々不快感を表明していますし、好意的に受け取っていた作り手側の人は殆ど見たことがありません。

一方で、ボーカロイドに思い入れのある作り手は多くいますし、例え協力的でなくとも自身の作品がボカロに分類されることを否定する人はいません。ボーカロイドさえ使っていれば、ボカロ曲であることを否定することは不可能だからです。少なくとも、「売る側の都合」とまで揶揄された喫茶ロックほど忌み嫌われる言葉ではないはずです。

最初の発信源となる作り手が否定的な認識にはなりにくいこと、そしてシーンが草の根からの活動によって支え続けられてきたことを考えれば、まだまだそう簡単には途絶えることは無いように感じます。

ボカロは今まさに喫茶ロックの二の舞になるかどうかの分水嶺ではないかと思います。大物の復活で一時の賑わいも起きましたが、結局底の方から盛り上がったという実感はありませんでした。今後盛り上がるだろう要素もあまり思いつきません。

それでもボーカロイド文化が打たれ強く生き残っていく予感がするのは、地道な活動が根強く続いているからです。色々な出来事が起こりながらも、最も根っこの部分である「つい最近公開された音楽を聴く」という文化は変わらず存在し続けています。個人的にはこの部分にこそ希望を持って、今日や明日に投稿される曲に期待をしていきたいと思います。

最後になりますが、喫茶ロックは既に過去のものとなってしまったと評しても大袈裟ではありません。しかし、決して現在に何も残さなかった訳では無いと思います。

例えば、Polypとして参加した星野源は今や時代を代表するミュージシャン(あのSAKEROCKの星野源がここまで出世するとは!)ですし、Lampのように地道に評価され続けた存在もあります。何より、数は多くないながらも素晴らしい作品群が残されています。日本の音楽史において、決して重要なムーブメントではありませんでしたが、偶には思い出したりしても良いんじゃ無いかと思ったりします。


(2020/7/4改訂 軽微な表現の修正、紹介楽曲の整理)

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