2023年最近のお気に入りアルバム10枚

去年の暮れ頃から新譜やdigにあまり囚われず、自由に聴きたいアルバムを聴く時間を割と頻繁に取れるようになりました。去年のこの記事もその習慣あって書いたものということで、引き続き今年も最近のお気に入り10枚について色々と自由に書いていきたいと思います。

The Who「The Who by Numbers」
The Whoの中では特に地味ながらもファンからは根強く支持されている印象のあるアルバムがこの「The Who by Numbers」。地味である理由は明白で、このアルバムに至るまでの作品といえば、世界のロック史における最重要作の一つであるロックオペラ「Tommy」、バンドが最も脂の乗っていた時期の最高傑作と名高い「Who's Next」、緻密かつ完成度の高いアーティスティックなコンセプトアルバム「Quadrophenia」。そしてその次が極めてシンプルなバンドサウンドに回帰した本作という一連の流れで、そりゃ並大抵の作品では埋もれてしまうというもの。3分程度の派手さの無いこじんまりとした楽曲が中心で、テーマもソングライターのピート・タウンゼントの私的な内容が多く、前述の3作にあるような物語性のあるドラマティックさは鳴りを潜めている。しかしそれゆえに、The Whoの豪快なバンドサウンドに対比された繊細な一面がよく出ている作品である、ともいえる。いかにもな玄人好みの逸品。
個人的にはサウンドの面で耳に染み付いている作品と言えます。元々自分は良い音とか良い録音とかには全く興味がないところから音楽ライフがスタートしたので、未だにサウンド面の感覚で四苦八苦しているところですが、その何も興味が無かった時から”なんか気持ちいい音がするなあ”と感じていたのが本作でした。そこからこのアルバムも気持ちいい音、あのアルバムも気持ちいい音、という風にこれ以外にもいろいろな作品が追加されていくわけですが、後にそこにはロニー・レインズ・モバイルスタジオ、もしくはオリンピックスタジオでのレコーディング作品であるという共通点があることに気付きます。本作ももちろんロニー・レインズ・モバイルスタジオでの録音。そしてさらに後になって、 ロニー・レインズ・モバイルスタジオもオリンピックスタジオもブラックヘリオスと呼ばれるミキシングコンソールを用いている、ということまで知ることとなりようやく音の秘密の一端が解明されることとなりました。
こういったように、歴史的録音物はその付随する情報を辿っていく方面でも楽しいものだし、”これとこれは共通点があるんじゃないか?”というぼんやりとした直感が当たってたりするとかなり気持ちいい。いや、冷静に考えてみると歴史的録音物に限った話でもなく、ネット上の音楽でもこれはあの人の曲っぽいとか、そういうのが当たったりすると楽しくなれる。そういう意味で楽しみ方というのは昔からそう変わってはいないのかなと思うところでもあります。
また、こういった録音に関する辺鄙な話なんて気に留めなくとも、特にキース・ムーンのあまりにも特異なドラムをできる限り自然に記録したのが本作であると個人的に感じるところ。ぜひこのダイナミズム溢れるバンドサウンドを耳にしてみては。


The Rolling Stones「Exile on Main St.」
何をいまさらというくらいの歴史的傑作です。ロックバンド二大巨頭といえるビートルズとローリングストーンズが新作を発表した2023年ですが、聴きなおしてみるに、やはり黄金期とされるジミー・ミラープロデュース時代のローリングストーンズは抜けて良いし、なんだかんだ言ってもこの最高傑作と名高い本作が特に良い。
思えば自分がロックに目覚めた中学生だった頃に、押しも押されもしない名作のこのアルバムの存在を知るわけです。果たしてオープニングナンバーの「Rocks Off」を初めて聴いた時の衝撃は未だに覚えています。如何わしく混沌とした音だけど妙に惹かれる、懐かしさがあるようでいて他に全く聴いたことのない響きのするサウンドとビート。この時にロックンロール(notロック)とは何かということが頭では無く魂に刻み込まれたようなもの。後になってその感覚はリズムアンドブルーズを由来とするものだったり、キース・リチャーズ特有の6弦外しオープンチューニングがもたらすものだったりすることを知るわけですが、とにかくそんなことはどうでも良かった。
改めて聴いてみると、やはりトータルアルバムとしての完成度からして名盤と呼ばれるに相応しい。本作に対する評価としてよく言われるのはラフな作りであるということ。確かに緻密な作りこみが垣間見られる「Beggars Banquet」「Let It Bleed」「Sticky Fingers」と比較するとライブ感のある粗削りなサウンドであるように感じられる。にも拘らず、トータル的な統一感であったり曲の流れの巧みさはそれらの作品に何一つ劣ること無く仕上がっています。特にオリジナルレコード盤におけるside twoにあたる「Sweet Virginia」~「Loving Cup」までの流れはローリングストーンズの底知れなさを高揚感とともに表し切っている、そんな数分間と言えます。ロックンロールのみならず、ルーツミュージックへの傾倒も見せるその姿はロックバンドというより自由闊達な楽団とも言える。自分がメトロファルスのような楽団的なバンドが好きなルーツはもしかしたらローリングストーンズにあるのかもしれません。
ロックとロックンロールは別物、ではその違いはどうやって知るのか?私はこれで知りました、というのがこの「Exile on Main St.」。それでいてロックンロールに留まらない。まさに傑作中の傑作です。

Stevie Wonder「Songs in the Key of Life」
こちらも押しも押されもしない名作です。ですが、個人的な好みでいうとスティーヴィーワンダーは「Talking book」(Tuesday Heartbreakが好きすぎる)が一番好きですし、同じく最高傑作としてよく挙げられるアルバムとしては「innervisions」(He's Misstra Know-It-Allが好きすぎる)の方が圧倒的に好き。本作はそれらと比較すると嫌いではないし、素晴らしい作品なのは分かるけど、なんか好きになれない感覚がやけにふんだんに盛り込まれてるアルバムだなと感じます。
めちゃくちゃポップで一番最高な「Ebony Eyes」ですらトークボックスを用いた間奏が冗長すぎるしやりすぎでうるさいし、超有名曲「Sir Duke」のクロマチックなBメロは初めて聴いた時なんか気持ち悪くて未だにその感覚を引きずってる気がするし、「Isn't She Lovely」はキャッチ―すぎて有名である以外なんの引っ掛かりもないしょーもない曲だし、「Village Ghetto Land」のシンセは今の感覚だと安っぽいし「Knocks Me Off My Feet」のベースは気持ち悪いし…と、挙げだすとキリがないほどここ好きじゃないポイントが多すぎます。
それなのになんで最近のお気に入りアルバムとして挙げているのかというと、まあこれでいっかという感じで聴けるようになってきたからです。好きじゃないポイントは全然好きじゃないままだし、恐らくそれはこれからも変わらないだろうなという気がしています。でもそれも含めておおらかに聴くのもありかなと。稀代のミュージシャンであるスティーヴィーワンダーがその能力を縦横無尽に発揮したアルバムという視点ではやはり本作の右に出るものがないのは間違いないことを考えると、好きじゃないポイントも含めて音楽はこれくらい自由にやってもいいんだろうなという思いにもなります。そして結局、エキストラとしてのラストになる「Easy Goin' Evening」にて大げさにならないで切なく締めるのはこの上なく好き。やっぱりここぞというところ、特に最後の曲が良いと後味が良いし好きじゃないポイントのもやもやも吹き飛ぶというもの(と言いつつ、この曲の終わり方もあんまり好きじゃなかったりするけど。なんだこの消化不良のスタッカートは)。
ところで色々と好きじゃないポイントを列挙しましたが、このアルバムを聴いたことがない方におかれましては、その内容についてあまり真に受けないようにして欲しいなと思います。昔の自分はこういうのを読んで、ああそういうものなんだなと納得してしまい自分なりの聴き方を捻じ曲げてしまった記憶が無限にあります。人の聴き方は人の聴き方なのであまり影響を受けすぎるのもよくない。まあ後出しでこれを書いてる時点であまり深刻には考えてないのですが。そういう経験も悪くはないと思うので。

Ballaké Sissoko、Vincent Segal「Musique de Nuit」
マリ共和国からはコラ奏者のBallaké Sissoko、フランスからはチェロ奏者のVincent Segalの両名によるセッションを記録したアルバム。謎に「夜の音楽」という邦題も付いてます。二つの楽器が心地よく響きあう、プライベートでアンビエントな一品。
やはりまずはコラという楽器について説明しなければなるまいでしょう。西アフリカの民族楽器であるコラはアフリカのハープとも呼ばれる撥弦楽器で、ギターの原型の一つともされているそう。見た目的には確かにハープに似たところがありますが、個人的にはそれよりもリュートのような響きをより硬質にしたような音であると感じます。エスニックな撥弦楽器としてはマンドリンやブズーキ、シタール、ダルシマー、琴などと比較するとポップスのフィールドではあまり聴くことが無いのではと思います。しかしながらその独特でありながら奇抜というほどでもない落ち着いたサウンドは、もっと広く使用されていても不思議ではないように思える、一聴しただけで親しめるような楽器だと思います。
そんなコラですが、弦を弾いた時の何処かコロコロとした可愛らしさを感じる音とチェロの格調高い響きとの組み合わせが素晴らしく絶妙。その中で「Niandou」に見られるポップさで、「Samba Tomora」に見られるアグレッシブさで、「Prélude」に見られるダークさ。様々な顔を見せながら二つの楽器が縦横無尽に描き出す夜の音楽。いずれにせよどこを切り取っても音を鳴らす喜びに満ちた、音で語るアルバム。

Carlos Aguirre 「Orillania」
昨年のAca Seca Trioに引き続き、同じく現代のアルゼンチンフォルクローレ周辺の代表的なミュージシャン、Carlos Aguirreからは2012年作。静謐かつ繊細なサウンドから時折顔を見せるポップさ。個人的にはややweather report的なフュージョン系のニュアンスを感じつつもやはりアルゼンチン音楽特有の美しさと雄大さが混ざり合います。
”現代のアルゼンチン音楽ってどういう感じなの?”という疑問を持つ方にはまず真っ先に3曲目「Preparativos del viaje de la ratita Amelia a casa de su tia Clelia」をおすすめしたい。流麗なピアノの旋律はまさにいわゆるコンテンポラリー・フォルクローレの一面をポップに体現した小粋な一作。あるいは「Caracol」も同様にピアノとフルートのみの単純なインストではあるものの、軽妙なリズムとメロディーが音数の少なさを感じさせない色鮮やかな快作。翻って「Naufrago en la orilla」~「El diminuto Juan」辺りの静かなアンデス的なフォルクローレやラテンやジャズを行ったり来たりしながら、じっくりと聴き入るような音を紡ぎ出す。全編を通じて息を吞むような繊細な音が延々と続く。70分を超える大作の中でこれほどまでに美しい瞬間が続くとは、と感じさせる類稀な大傑作。
ところで「Con los primeros pajaros de la manana」の別バージョンが最後に収録されていますがこれはボーナストラックの扱いのよう。ただ個人的にはこのトラックでアルバムを締めるのが丁度いい感じがして好き。リプリーズ的な感覚で。こういうボーナストラックを含めて聴く方が好きな作品って結構ありますよね。

Lalo Rodriguez、Machito Orchestra「Fireworks」
アフロ・キューバン・ジャズの旗手の一人、キューバ出身のMachitoと当時19歳のシンガー、プエルトリコ出身のLalo Rodriguezによるサルサ盤。Machitoからはクラシックなポップス的50年代の作品もよく聴いてたし、そちらもキューバ的なニュアンスにも留まらないレトロな魅力あふれる作品なのですがあえてこちら。
考えてみれば、ほぼ日刊イトイ新聞のmother音楽特集サイトでこのアルバムが紹介されていたのが本作を知ったきっかけ、なんならサルサという音楽ジャンルを初めて意識したのもこの時だったと思います。その後にFania All-Stars、ひいてはFania Recordsを知ったりして。そういうわけもあって、なんとなくサルサの入門盤としては濃すぎもせずちょうどいいんじゃないかと思ってたりします。実際のところ前述のFania Records周辺とかの方が一般的なところなんだと思いますが(そのあたりで田中宏和氏も「標準的な選択ではないかも(笑)」としているのかなと)。
個人的には何といってもラスト2曲。「Macho」は13分にも及ぶ大曲。ダイナミックな演奏が続く情熱的でアグレッシブなラテンミュージック。そして「Soy Salsero」は圧倒的キャッチーでピースフルなポップス。長尺の間奏で溜めに溜めてコーラスに入るのが得も言われぬ高揚感。ロマンチックでどこか程よく軽めに楽しめるのがまさに本作のちょうど良さ。ここからサルサに入っていくというルートも、単なる自分個人の経験だけで保証できたりするかはわかりませんがあるといえばあるのかもしれません。

あがた森魚「ミッキーオの伝説」
音楽好きであればあがた森魚の名前くらいは知っているのではないかと思います。キャリア初期からの鈴木慶一氏との親交であったり、代表曲の「赤色エレジー」、細野晴臣プロデュースの「日本少年(ヂパング・ボーイ)」などはよくその名前を聞く人も多いでしょう。70年代を彩るフォーク歌手の一人として一定の存在感を放っていると言えます。
…そう思っているそこのあなた!あがた森魚を単なるフォーク歌手と位置付ける前にこの奇盤「ミッキーオの伝説」を聴いてみましょう。なんせ一曲目の「ミッキーでGO GO GO」(アルバム名やジャケットで抱いた不安が確信に変わるタイトルだ)からしてもうヤバい。パンクやニューウェーブ以降の前のめりな快速ビートから繰り広げられる狂ったテンションのボーカル。というかその固有名詞連呼して大丈夫なのか?と不安にならざるを得ない。一曲目としてあまりにも強烈なインパクトを残してくるし、この独特のテンションというか異様な明るさがアルバムの空気感を決定づけているような気がする。全編を通してボーカルの表現力の濃さが爆発しているのは、傑作「バンドネオンの豹」から続くタンゴ路線からの賜物的なところもあるのかもしれない。
しかし冷静に聴いてみると、ボーカルが異様という点を除けば特に音楽として狂ったところはほとんどない。そのポイントとして渡辺等&長谷川智樹の編曲チームによるところもあるのでしょう。両者ともに90年代以降の邦楽ポップスを聴き漁ればどこかで必ずその名前を見かけることになるであろう名脇役。この編曲の巧みさが音楽としてのバランスを絶妙に生み出しています。メロディーも最初から最後まで間違いのないポップさだし、何度も聴いているとこれ普通のポップスなのでは?と勘違いしそうになりますが、「101匹ミッキー忠臣蔵」を聴いてみてください。やっぱりなにかおかしいです。
こういうアルバムにありがちですが最後の「続・日曜だってダメよ」はやっぱり割と普通の曲で、呑気に後腐れなくすっきりと終われます。でもテンションは相変わらずおかしいよな…と感じつつ。これはこういうアルバムだよな、という納得感がちょうどいいです。はい。

西村哲也「ORANGE」
2023年個人的な再評価アルバムオブザイヤーはこれ、西村哲也「ORANGE」。もちろん元々好きなアルバムではあったけれども、ここ数年何故か聴く機会が持てなかったところ、twitter/Xで流行っていた「私を構成する42枚」に選出するために久しぶりに聴いたのがきっかけ。勢いあまって生涯トップテンの位置にまで食い込んできました。やっぱり何度聴いてもそれくらい素晴らしいアルバムの一つです。
これという一曲を挙げるならもう「蛙」一択で決まり。蛙と帰るをかけたしょうもない駄洒落からここまで感動的なスワンプロックが繰り広げられるとは一体誰が想像できるのでしょうか。絶望も希望も、みじめさも誇りも全てを混ぜこぜにした一番最高の曲。「汚れていても踏まれても 俺は家に帰るさ」…数年越しにこのアルバムへ帰ってきた私の心境そのものです。まさに帰る家のように耳に馴染むアルバムです。
アルバム全体としてはこの「蛙」に代表されるスワンプロック的な泥臭いロックを軸としつつかなりバラエティ豊かな曲が揃っています。欧州風の哀愁に、少し捻ったロックンロール、幻想的なファンクなどを行ったり来たりしながら、最後はインスト「魔法のタンバリン」でアルバムを終えます。ほんの少し軽快で、ほんの少しウキウキとした気持ちを喚起しながら、その裏側に潜む儚さが胸を締め付ける。全編を総合して、繊細かつ大胆、静謐かつ喧騒に満ちたロック。ある意味目指すべき場所はここなんだろうなとも思わせてくれる。こういうアルバムさえ聴ければそれでいいんです。

SARO「彼は誰時、極月の魚。」
SAROという名前を聞いても何のことか分からないかもしれませんが、細海魚という名前ならばピンとくる方はそれなりにいるのではないかと思います。キーボーディストとして広く活躍しているその細海魚とマルチプレイヤーとして怪しげな存在感を放つ世奇音光によるSAROというユニットの3rdアルバムです。
SAROはもともと2ndアルバム「ベランダの猫、枝の山鳩。」が極一部で非常に高い評価を得ていることが知られており、かなりの入手困難状態が長年続いています。もちろんこの2ndも大好きなのでこちらの紹介もしてみたかったのですが、手に入れられないものを紹介してもしょうがないということもあり、今回3rd「彼は誰時、極月の魚。」を選んだというところもあります。
この3rdアルバムはリリースは2013年ですが制作自体は90年代には行われていたようです。制作はしたもののそのままお蔵入り状態となっていたものがリリースされると聞いて、相当な期待を持って迎えたわけですが、個人的には2ndより好きかなというくらい好きです。たまにプログレに分類されることのあるSAROとしては少しカンタベリーロック的なポップさに寄りつつ、従来のどこか神経質で気難しそうな側面も十二分に発揮した不思議な曲想を作り上げています。秋や冬をイメージした寂れた音世界が心を揺れ動かすような侘しさを駆り立てる。
そうしたSARO特有の音世界と並び立つもう一つの特徴が、世奇音光氏による歌詞です。難解で捉えどころがないようでいて、所々鋭い言葉を投げかける。一番好きなフレーズは一曲目「ユビュ王の桂冠詩人」から「彼は自分の詩を分かってもらうために 有能な評論家を探している」。人間が社会と関わり合う中での困難を冷めた目線から描き出す(そういえばボカロ周辺でも「この曲のよさがわかる俺カッコ良い」という鋭い曲があるなあということを思い出したり)。「理屈は檻の中でしか通用しない まさか知らなかったでは済まされないよ」も好きだなぁ。アルバム全体の締めのフレーズが「いつしかその部屋を開ける決心が付くだろう」というのも発狂しそうになるほど良い。良すぎる。
この締めのフレーズから長いアウトロの後、ラストのインスト曲「わたすげ」でアルバムはエンディングを迎えます。このインストがあまりにも圧巻。美しくも儚い寂れた音世界。…ところでSAROにはあともう一枚、未発表のインストアルバムが存在するらしいです。このインスト曲を聴いているとあまりにも期待が膨らみすぎます。いつしか聴ける時が来るのでしょうか。

David k anderson「Goodbye」
YouTubeでのみ聴くことができるDavid k andersonの1stアルバム。無機質な打ち込み、異様なボーカリゼーション、そしてポップなメロディー。初期の作品ということもあり瑞々しくも生々しい感覚を記録した唯一無二の傑作。確か当時コバチカさんも一曲一曲のみならずトータルアルバムとして完成度が高いと評価されていた記憶がありますが、まさにその通り、通して聴いた時のカタルシスは計り知れません。個人的に最初に聴いた時にはPink Floydの「The Dark Side Of The Moon」を連想しましたが、これは音楽性とか影響とかの話ではなく、ぼんやりと表現するものの方向性が近いものとしての連想でした。エレクトロなサウンドではあるけれどもロック的な感覚でも聴ける、そういう示唆なのではないかと思うところです。
本作は2017年の「ボーカロイド音楽の世界 2017」でもレビューで取り上げています。思えば楽曲レビューとアルバムレビューの依頼を受けた時に、実は当初はアルバムレビューの方は断ろうかと考えていました。ボカロシーンにアルバム文化はほとんど無いと考えているし、そもそもとして取り上げたいと思う作品にあまり出会ってこなかったから。2016年以前は。しかし一方でその点において2017年は全く例外の年でした。特にyeahyoutoo「[flawless circle]」、キヅミタ「マイルドモンキー」、そしてDavid k anderson「Goodbye」。この三作品の圧倒的なパーソナリティーと芯の太い音楽性は、アルバムで捉えるボカロシーンが明らかに次の段階へ進んだと確信させるものであったし、なによりこれは絶対に他人にレビューを書かれたくないと思わされた面があった。
度々、本当に何回もtwitter/Xでも前述のレビューでも言及しているけれども、とにかく本アルバムのクライマックスに配置されている名曲「We was 4 & watched the fireworks」を聴いてくれと言い続ける人生です。ポロポロと繊細に鳴るピアノから突如として現れる異物感たっぷりで破綻寸前のボーカル。ヒリヒリとした緊張感と高鳴るパーカッション。どこを取っても衝撃的な名作。ボカロにちょっと興味持ち始めてる音楽にうるさい方、他のどんなボーカロイド楽曲も聴かなくていいですよ。全てのボカロ曲、ボカロ文化はこの曲のために存在しているのですから。これに比べると世に溢れるボカロ曲は全部カスや。珠玉の逸品であるはずの比較対象を貶す京極さんの気持ちがわかりますよ。
一つだけ言うならば、ラストの「Goodnight」だけはニコニコ動画で初出のバージョンの方が良かった。もう既に聴くことは叶わないわけで、言っていてもしょうがないことではあるけれども。

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