邦楽ロックはどのようにして自意識を育んだのか?~VOCAROCKの精神的ルーツを紐解く~

ボーカロイドムーブメントが一般層に広がり始めたのはだいたい2009年頃とみられています。
それまではオタク的、あるいは新しい珍しい物好きな人たちで賑わっていた印象でしたが、いつの間にか若い世代にも受け入れられ、カラオケ配信が始まって以降はボカロ曲が上位を占めることも珍しくなくなりました。

その中で最も人気を集めた音楽ジャンルはロックであると言って良いでしょう。
特に当時を代表するボカロPである、ハチ、DECO*27、wowakaなど様々なボカロPたちがロック調の楽曲によって人気を博していました。
そしてその後もkemu、トーマ、じん(自然の敵P)、Neru、ナブナ、ナユタン星人、バルーン、そして今年最大のヒット曲みきとPの「ロキ」までボカロシーン内でも相互に影響を与え合いながら今日まで続いてきています。

それぞれのボカロPが影響を受けたバンドについては、もちろんそれぞれ別の名前が挙がってくるとは思いますが、最大公約数的に(つまりは乱暴に)言えばその名前は一部に集中するように思います。
すなわちアジカン、ラッド、バンプ、相対性理論辺りです。

いずれも音楽的な影響も無視することはできませんが、それ以上に重要なのはその精神性からの影響なのではないかと思います。
先に挙げたバンドはいずれも何か独自の世界観を持っているバンドで、それがそのまま00年代以降の邦楽ロックの特徴となり、そしてそれがボカロにおけるロック、すなわちボカロック(VOCAROCK)の特徴であると言えると思います。

ここで疑問なのが、何故00年代にこのような独自の世界観を持つロックバンドが多数現れたのか?ということです。
各々の個性をみていくならば、もちろん別々の価値観があり全く同じ世界観であるとは言えませんが、何処か「自意識」という言葉で表せそうな、緩やかな共通点があるように感じます。

この「邦楽ロック」と「自意識」というテーマに関して、個人的に「ロッキンユー!!!」という漫画が非常に秀逸な描き方をしていると感じています。

真面目そうで純粋な主人公が根暗そうなロック好きの先輩と出会い、音楽好きとしての自意識を育てていく様子がとても現代的です。
またロックをテーマにした漫画といえば「BECK」を始め数多く挙げられますが、本作で最も差別化されている点は登場するバンド名がほぼ邦楽に限られているということです。
かつてのロック系の漫画ではほぼ必ず洋楽が中心となっていましたし、恐らく90年代にこのロッキンユーと同じテーマで漫画を描くなら、Nirvana、Oasis、Beck、Radioheadなどが間違いなく出てきたはずです。
ところが出てくるのはナンバーガール、ゆらゆら帝国、ピロウズなど現代の邦楽ロックの礎を築いたバンドばかり。
そして注目すべきはそれで物語として成り立っているということです。
つまり、無理に邦楽だけに絞っているというわけではなく、洋楽を出す必要性がそもそも感じられないまま自然なストーリーに感じさせている点です。
少なくともColdplay出せとかVampire Weekendが無いとか、この漫画に対してそんな反応は一切ありません(あってもそれは的外れと言わざるを得ません)。
これはすなわち、もはや邦楽ロックはそれ単体で成立するほどに自立した存在であるということの証左です。

さらにもう少し前の世代となると、いわゆるロキノン系という単語も同様に自意識が垣間見えますね。

ロキノン系とは雑誌「ROCKIN'ON JAPAN」に掲載されそうなミュージシャンを揶揄する言葉です。
そもそも00年前後のROCKIN'ON JAPANでは音楽そのものの話よりもバンドの姿勢の話とか、聴き手の感情を仮託するような評論が目立っていました。
個人的には別にそれは悪いことだとは思いませんが、中二病という言葉が一般化する前夜の2ch周辺では格好のサンドバッグとして揶揄の対象となり、論われていました。
しかしかなりしつこく馬鹿にされ続けてきたにも拘らず、ロキノン的な精神が現代まで根強く受け継がれていることを考えると、むしろ相当打たれ強いなという印象があります。
その時代には邦ロックはもう既にそのような自意識を確立しており、強く支持されてきたと考察することが出来るでしょう。

ボカロック、あるいは先述の影響元、ロッキンユー、そしてロッキンユーに登場するバンド、ロキノン系…それぞれ表現しているものの違いはありますが、やはりいずれも自意識を確立しているかのような同じ土壌から生まれたものと感じています。
そうした土壌は当然のことながら一朝一夕で形成されるものではなく、先人たちの試行錯誤が少しずつ堆積することによって出来上がったものであると考えています(それが自然でしょう)。
この記事では、邦楽ロックの歴史をなぞっていくことによって、どのようにしてその独特の自意識を持ち得るほどの土壌を形成してきたか考察していきたいと思います。
(ちなみに、本家本元の英米のロックの歴史については既に数多く語りつくされているとは思いますが、学んでみたいという方にはとりあえずサエキけんぞう著の「ロックとメディア社会」が良いと思います。広く易しく歴史を網羅し、かつ日本のオタク文化にも絡めており、入門用としておすすめです。ボカロには触れられてませんが…。)

前置きが長くなりましたが、ここから本編に入りましょう。

邦楽ロックの始まりははっぴいえんどからと置くのがなんだかんだ言って自然かと思います(はっぴいえんどばっか出てくるなあ自分のnote)。

ビートルズやビーチボーイズに影響を受けたGSブームや英語歌詞に拘ったニューロックなどはありますが、継続的に参照されてきた上、元メンバーが歴史の要所に登場してきたという点でやはりはっぴいえんどは強いです。
ただ、当時はそれほど大きな存在では無かったのに後世において過大評価されているという意味で「はっぴいえんど史観」という揶揄的な言葉も最近持ち上がってきてますのでその辺りの留意も必要かもしれません。
はっぴいえんどに関して注目したいのは、Buffalo SpringfieldやMoby Grapeなどのアメリカンルーツロックに影響を受けているということです。
何故アメリカなのかというと、UKのロックがアメリカのロックに影響を受けて発展したので、まずは日本も同じようにしようという思想があったそうです。
いずれにせよ、その思想もあって「風街ろまん」という現代にも通用しそうな名盤を生みましたし成功と言って問題ないでしょう。

となると当然次はUKロックをどのように参照してきたかということでしょう。
ロックはエルヴィス・プレスリーとビートルズの登場以降、アメリカとUKが引っ張ってきたと言っても過言ではないでしょうから。
そこで名前が挙がってくるのはサディスティック・ミカ・バンドです。

サディスティック・ミカ・バンドは同時代のUKグラムロックを参照した音楽性の1stがロンドンで評価された後、2nd「黒船」はクリストーマスによってプロデュースされました。
ここで重要なのはクリス・トーマスという、ピンクフロイドの世界的傑作「狂気」にも関わったほどの大物から直接ノウハウを得ることが出来た点です。
UKロックはビートルズが数々の実験的手法を導入して以来、密室で綿密に作り込んでいくスタイルが定着していたため、音源を聴いて模倣するだけでは限界がありました
(さらには機材の関係上、現代ではもはや再現不可能な作品は珍しくありません)。
実際、レコーディングそっちのけでスタジオのモニター環境を変えさせる、SSLやNeveといった定番コンソールが無い中あらゆるモジュールを繋いで「黒船」専用のシステムを作る、果ては高価な録音テープを物理的にカットして編集するなど、当時の日本では考えられない手法によって制作されました。
そうして生まれた「黒船」は邦楽史上屈指の名盤に数えられるというだけでなく、ミカバンドのメンバーがそのレコーディングで様々な技術を得られたという点にも大きな価値があると言えます。
実際、当時のメンバーは後の日本の音楽界において多くの場面で名前を見かけることが出来るほどに重要な役割を果たしていくことになります。

同様に70年代を代表するロックバンドであるキャロルや村八分などはビートルズ、ローリングストーンズ等の影響下にあり、シンプルなロックンロールの方面でも確実にその歩を進めていました。
はっぴいえんどやサディスティックミカバンド等にはある意味派手な功績があり、現代での評価は非常に高いのですが、その一方でそれ以前の60年代のGSブーム周辺や同時代のニューロック、あるいはテレビでも活躍していたサザンオールスターズなどの方が貢献度が高いといった見方も存在します(このような見解を示す方々が、はっぴいえんど中心の歴史観に対して「はっぴいえんど史観」だと批判しているということです)。
また、海外ではジュリアン・コープ著の奇書「ジャップ・ロック・サンプラー」等の影響もあり、はっぴいえんど史観はあまり有名ではなかったりします。

はっぴいえんど史観に取りつかれて、同時期のフラワートラベリンバンドやスピードグルー&シンキ等に代表される国産ハードロックやサイケの振り返りを怠り、海外の、妄想と現実の区別がついていない本(注:それでも日本のロック史において極めて重要な書籍です。一読の価値あり。)に先を越されたのは痛恨と言っていいでしょう。

話を戻して、80年代頃になるとこれらの音楽はより進化した形で現れ始めます。
はっぴいえんど解散前後からソロとして活動を始めた大滝詠一「A LONG VACATION」に加え、元シュガーベイブの山下達郎「FOR YOU」の大ヒットによりアメリカンポップスの輸入はほぼほぼ成功したと言っていいでしょう。

さらには元はっぴいえんど細野晴臣、元サディスティックミカバンド高橋幸宏、そして坂本龍一によるイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)も無視できません。

シンセサイザーを最初期に導入したその音楽性はドイツのクラフトワーク等と並んで世界的に評価を得ています。
テクノポップと分類されることが多いですが、その実態は明らかにニューウェーブ/ポストパンクであり、ロック的なフォーマットとしてもヒカシュー、プラスチックス、P-MODEL、ムーンライダーズ、有頂天などとともに独特のシーンを形成していました。
もちろん、「テクノポップ」の担い手としてのテクノ歌謡の確立への貢献や、
後世のテクノやエレクトロに与えた影響も極めて大きいと言えます。

また、キャロル等によるロックンロールはビートロック等としてより発展していきます。
シーナ&ザ・ロケッツ、ルースターズ、THE MODSなどのいわゆるめんたいロックや、
フリクション、LIZARDSなどの東京ロッカーズなどシンプルなビートを軸としたシンプルにかっこいいロックが広く定着していきます。
(余談ですがこれらに対抗した、大阪ノーウェーブという
現代のアンダーグラウンドシーンに大きな影響を与えた流れもあります。)

また80年代の数あるロックバンドの中でもRCサクセション、BOØWY、ブルーハーツ、X(X JAPAN)辺りは後世への影響も非常に大きいと思います。
RCサクセションはその姿勢でもロックの精神を体現し、中心の忌野清志郎はキングオブロックと称され、
ボウイはビートロック勢の中でも最も大きな成功を収め、
ブルーハーツは直接的かつ文学的な歌詞で日本語でのロックの表現の幅を広げ、
Xはビジュアル系の始祖(X自体はビジュアル系に分類されないのが通例)として人気を博しました。

そしてこれらのバンドの活躍もあってか、80年代後半にはバンドブームが巻き起こります。
その中心となったのはテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称イカ天)。アマチュアバンドの演奏をプロが直接評価するという形式の番組です。
高評価を得たバンドはメジャーデビューも果たすなど、丁度ボカロブームでいうところのニコ動といった立ち位置ですね。
代表的なバンドはフライングキッズ、ジッタリンジン、たま、マルコシアスバンプ辺りでしょうか(後期にはBLANKEY JET CITYも出演していますが、業界での立ち位置等もあり、あまりイカ天出身として紹介されることはありません)。
このブームの中で重要視されたのは個性や一聴して印象に残るインパクトとそれを支える演奏力です。
いわゆる色物的なバンドが人気を博すことに対して根強い批判もあったそうです(どっかでよく見る光景だ…)。

しかしこの状況に対するカウンターも現れます。
その代表例として名前が挙がってくるのがフリッパーズギターです。
フリッパーズギターはAztec Camera、Pale Fountains、Orange Juice、Haircut 100などのUKギターポップから影響を受けています。
そのセンスが良いという他ないお洒落な音楽性は、ネオアコや渋谷系といったジャンルを形成させるなど後世に多大な影響を残すことになりました。

ここで、ネオアコも渋谷系もロックとは離れているのでは?と思う方もいるのではないかと思います。
確かにフリッパーズギター以降のそれらジャンルは、ファッションやスタイルなども重視され、サウンド的にも変遷を繰り返しながらロックとは離れていくことになります。
しかし、先ほど挙げたAztec Cameraを始めとするUKギターポップは元々ポストパンクとして非常にロック的な精神を伴って現れたバンドでした。
この辺りの詳細は、少々長いですが以下の記事をおすすめします。

フリッパーズギター自身も、当時のバンドブームにおいて個性や一聴して印象に残るインパクトが重視される中で、その膨大なレコード知識を基にしたセンスの良さを大きな武器として、
当時日本ではほとんど聴かれていなかったギターポップの音楽性を携えて音楽界に殴り込んだ上、日本のロック/ポップス界隈の重鎮であるYMOやムーンライダーズに対して公で否定的な発言をするという、ロックな精神も持っていました(なお中心の一人、コーネリアスこと小山田圭吾は現在ではYMOのサポートをしています)。
また相当良い性格をしていたらしく、共演者にカマをかけた上で馬鹿にする言動を取るなど、いずれにせよ、当時の風潮に対して自覚的にカウンターをかけていたと考えられる姿勢を示していました。

そして、ここでもう一つ注目したいのはそのサウンドです。
オリジナルである本場UKギターポップの音と比較しても遜色のない、クールなサウンドを形成しています。
コンプでいえばdbx160を用いたアタックを強調した処理、リバーブでいえばMIDIVERBの煌びやかなサウンド、そして演奏は上手さよりも勢いを重視しており、コンセプトに沿わないテイクは良いテイクであっても容赦なく没にしていたそうです。
ただの深読みの可能性もありますが、これも演奏力が重視されたブームに対して意識的だったとも考えられます。
また、このようなサウンドプロダクションにはプロデューサーであるサロンミュージック吉田仁の貢献が大きいと言われています。
サロンミュージックは80年代初頭に高橋幸宏プロデュースもあって、UKで高い評価を得たユニットであり、その経験をフリッパーズギターにも還元しています。
その高い貢献度から一部では「渋谷系の黒幕」と評され、フリッパーズギターの二人よりも重要であるようにも目される場合もある気がします。
兎にも角にも、小沢小山田両氏の求めるサウンドを精度高く実現し、非常に信頼されていたと言われています。

90年代に入る頃にはロックはより細分化し、ますます一つの流れで語ることが困難になります。
いわゆる「J-POP」という言葉が生まれたのもこの時代です。
GSブーム等でのロックバンド形式の発展や、はっぴいえんど等による本格化から始まり徐々に洗練されてきたロック/ポップスは、フリッパーズギターによってセンスという点ではある種の到達点まで進みました。
今では微妙にニュアンスが変わっている気がしますが、その周辺で生まれた洋楽的なセンスの良い音楽に対して用いられたのがJ-POPという言葉です。
J-POPはここから商業的にも大きな結果を出すことになります。
発火点となったのは1991年の小田和正「ラヴ・ストーリーは突然に」と
CHAGE&ASKA「SAY YES」の両ダブルミリオンシングルで間違いないでしょう。
月9ドラマのタイアップがあっての大ヒットは業界に対して計り知れない影響を与えました。

そのJ-POPの流れから国民的ロックバンドMr.Childrenが登場しました。
最初のミリオンシングル「CROSS ROAD」はもちろんドラマのタイアップ。
そして注目すべきはその次のシングル「innocent world」です。

この楽曲によって当時はまだ音楽業界最高の栄誉だったレコード大賞を受賞しましたが、そのサウンドもまた非常にユニークなものとなっています。
ミスチルはバンドブームとの差別化のために、最初期にはフリッパーズギターに代表されるネオアコを参照していました(今では考えられないことですが、メジャーデビュー当時のミスチルはネオアコ/渋谷系の流れで語られることもあったそうです)。
このイノセントワールドは、その初期からのネオアコ的(≠ギターポップ)なアコースティックギターとシンセの組み合わせによるサウンドの集大成として、小林武史プロデュースの中でも出色の完成度だと思います。
そしてその後のアルバム「深海」へ至るまでの精神的な落ち込みを予感させる内省的な歌詞も相俟って、ミスチルを代表するに相応しい楽曲です。
この頃からミスチルがリリースする楽曲は尽く大ヒット、特にアルバム「Atomic Heart」は当時邦楽史上最高の売り上げを記録しました。
その様子は「ミスチル現象」と呼ばれ、社会現象の一種のような捉えられ方もされました。

一方で、その大ヒットの陰に隠れてしまったバンドも多々存在します。
その代表的なバンドはthe pillowsでしょう。
メジャーデビュー前後の時期ではミスチルはピロウズの前座だった、というエピソードがよく語られるほど元々の差は無かった(どころかピロウズの方が上とも)のですが、結果としては先にミスチルが大きなヒットを飛ばすことになりました。
当然ピロウズもそれに負けじと様々な名曲を生み出しましたが、商業的には成功に至りませんでした。
特にシングル「tiny boat」は周囲の色々なアドバイスを取り入れた渾身の一作でしたが、売り上げという結果は出ませんでした。
この商業的な”失敗”に対してメンバーは大きく失望し、その結果生まれたのが次のシングル「ストレンジカメレオン」です。

ヒット狙いで作った曲で上手くいかなかったことを受け、ピロウズはレコード会社との契約が切れることも覚悟の上で、本来志向していたロックの方面に大きく舵を取ることにしました。
「ストレンジカメレオン」はそのようなバンドの状況や心情、覚悟を強い自意識を携えたラヴソングの体を取ることによって表現した邦楽ロック史上屈指の名バラードです。
後にミスチルがトリビュートアルバムでカバーしたことも有名ですね。

また、ここからサウンド的にも大きく変化していきます。
シングル「ストレンジカメレオン」に収録されているサイモン&ガーファンクルのカバー「Fakin' it」は、元々デモのつもりで演奏したテイクをそのまま採用した、非常にラフなサウンドになっています。
プロデューサーはフリッパーズギターと同じ、サロンミュージック吉田仁。
かっこいいテイクが録れたのなら録り直す必要はないだろうということで、それをそのまま生かしたとされています。
事実としてシンプルなバンドサウンドが素晴らしいカバーで、わざわざシングルか高価なコレクションを買わないと聴けないのが残念なほどです。
続くアルバム「Please Mr.Lostman」は強い自意識のある歌詞に寄り添うメロディーと演奏、本格的なUKロックサウンドとの融合が関係者から高い評価を獲得し、後世に多大な影響を与えています。
「音楽業界への遺書」とメンバーが語るほどに覚悟をもって制作されたこのアルバムは、その後のピロウズの音楽性の礎となっただけでなく、現在まで第一線で活躍するきっかけとなった作品です。

同時期にはピロウズと同様に、ある程度のキャリアを積んだロックバンドが新たなフェーズへ移行しています。
フィッシュマンズは「空中キャンプ」、bloodthirsty butchersは「kocorono」という唯一無二の傑作を作り出していますし、エレファントカシマシは再メジャーデビュー後に「今宵の月のように」でヒットを実現させました。
そういった流れがあった、というとオカルトですがそうとしか説明できないこともありますし、ピロウズももしかしたらその流れの一つだったのかもしれません。

そして1998年が訪れます。日本の音楽業界が大きく動いたとされる年です。
同年には宇多田ヒカル、椎名林檎、aikoなど新しい感覚を持った女性アーティストがメジャーデビューし、そしてロック周辺の界隈ではいわゆる「98年の世代」(「97年の世代」とも)が台頭し始めます。
狭義にはナンバーガール、スーパーカー、くるり、中村一義の4組だとされます
(いずれも厳密には97年、99年デビューである場合もあります;今調べたら98年デビューはくるりだけじゃねえか!)。

この4組の大きな特徴は外面の良さよりも、内面の自意識を重視した姿勢であると思います。
ナンバーガールと中村一義はその独特の歌詞で、スーパーカーとくるりはその雄弁なサウンドで独自の世界観を作り、一時代を築きました。
いずれも洗練されたかっこよさやスタイリッシュさとは無縁のスタンスでしたが、あるいはむしろそのような姿勢が逆に大きな魅力となり、根強い支持を集めました。
そしてピロウズやブッチャーズ等が為し得た土壌の上で彼らが受け入れられたのだと思っています。

また、中でもナンバーガールの影響は特に絶大でしょう。
はっぴいえんどに影響を受けた抽象的な歌詞に加え、唐突に難解な熟語を用いるような独特の言葉の選び方は、そのまま後世の日本語ロックが言葉を選ぶ際の基準になっているとも言えるほど、現代ではお馴染みの手法です。
あるいはテレキャスター+VOX AC30wの組み合わせ(あの曲の歌詞でもお馴染み!)のギターサウンドはほぼほぼ邦楽ロックのスタンダードになっています。
現代の邦ロックの雛型を確立したと言ってもいいほど多大な影響を残しています。

ここまで来て、ようやくこの記事で呈した疑問に対する回答が得られます。
すなわち「邦楽ロックはどのようにして自意識を育んだのか?」「何故00年代にこのような独自の世界観を持つロックバンドが多数現れたのか?」ということです。
簡単に言ってしまえば、直近のロックバンドから影響を受けていたということになりますが、本質的にはそこまで単純な一言で言い表せるものではないでしょう。
長い邦楽ロックの歴史の中から、何度も新たな価値観が生まれては淘汰されながらを繰り返し、少しずつ前進してきた結果であると思います。
仮に影響を受けている自覚がないとしても、淘汰されずに生き残るということは歴史上で意味のある生存であると考えています。
ナンバーガール解散ライブでの向井秀徳の有名なMCではないですが「歴史というものは大変素晴らしいもので 終わる歴史もあれば続いていく歴史もありますね」ということはやはりいつも思いますね。

以上のように邦楽ロックの歴史の一部を簡単に振り返りました。
00年代以降の邦楽ロック、またはボカロックはどうも従来のロックからはかけ離れているとかルーツの意識が希薄だとの批判が根強い気がしますが、それらは全てニワカの戯言です。丁寧に咀嚼すれば間違いなくそこには歴史があります。
しかし当たり前ですが、これが全てというわけでは決してありません。
もっともっと詳しい人なら「この部分を掘り下げないのはおかしい」とか「ここでこの名前が出てこないとかコイツ知ったかか?」という感想を持つことでしょう。
そしてそれ以上に、どんな文脈であってもこのような場所で名前を出されないバンドはそれこそ星の数ほどあります。
ピロウズは乾坤一擲の方向転換によって生き残ることができましたが、そのまま消えてしまうバンドは全く珍しいものではありません。
数えきれないほどの犠牲の下、現在の邦楽ロックやボカロックは存在しています。

そう考えると、この記事で紹介したことというのは全体のほんの一部分にすぎませんし、辻褄が合っているように見える部分にも並行して数多くの歴史が連なっています。
なんとなくまとまっているようには見えますが、実際は一部を切り取っているからそう見えるというだけかも知れません。
この記事で呈した流れはあくまで個人的な考察に基づく見解に過ぎず、もっと広く流れを見ていけば先駆者や突然変異が必ず存在します。
できれば、この文章で邦楽ロックの歴史を振り返る際には、あくまで一つの参考として捉えていただければ幸いです。
そして、歴史のすべてを知ることは出来ませんが、「歴史には価値のない化石」は確かに数多く存在し、だからこそ今があるということくらいは忘れないでほしいと思います。
少なくとも、僕は忘れません。


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キュウ

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