ボーカロイドとゴミに関する個人的な雑感(後編)

前編は思っていた以上の反響をいただき、ありがとうございました。ほとんど悪ふざけレベルの記事でしたが、音楽の新たな聴き方の提示になっていれば幸いです。

では後編に入ります。後編では具体的に曲を紹介していきたいと思います。まず、ゴミは二種類に大別されると言えます。意識的なゴミと無意識的なゴミです。

ここでまず始めに言っておかなければならないことは、無意識的なゴミに対してゴミだとラベリングすることは好ましくないということです。ゴミを作る気がない作者に対してそのような行為を働くのは、誹謗中傷以外の何物でもないからです。

ただし、商業曲に対してならある程度は良いでしょう。私たちも「金返せ」くらいの文句を言ったり「これはゴミだから買った方が良いぞ」くらいの警告をする権利はあるでしょう。ですので、無意識的なゴミに関して具体例として挙げるのは商業曲のみになります。

ではまず、意識的なゴミからです。自ら進んで良い曲を作ることを放置している訳なので、これは実験音楽であると言えるでしょう。またゴミコンピに収録されている楽曲は全てそうであると言えます。ゴミコンピに端を発するnoteであるため、そのゴミコンピを参考に進めていきます。

まず、やはり真っ先に想定されるのはゴミコンピのタイトルにもなっているサイケデリックロックです。サイケデリックロックとは60年代に発生したジャンルで、超人的な作品を作ることを目的に、大麻や覚醒剤を用いた感覚を楽曲に持ち込んだ音楽です。幻想的、浮遊感、汚い、よれよれなどの言葉で表現されます。

代表的な存在としてThe Doors、Loveなどがありますが、ここはやはり史上最も成功したバンドであるビートルズを取り上げます。ビートルズにおけるサイケの代表曲として「Tomorrow Never Knows」が挙げられます。この曲はテープの逆回転やループ、サンプリングなどを用い、また音楽的にはワンコードで構成することによって幻想的な曲調を作っています。

そしてビートルズをリスペクトしつつ、同様の手法で制作されたのがjakeさんのカブト虫の光です。こちらは昨年リリースの終わりコンピ アイス編に収録の一曲で、今年のゴミの流れに先駆けたものであると言えるでしょう。

カブト虫の光/結月ゆかり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30079611


ビートルズの名曲をサンプリングしつつ、よれよれに蛍の光をカバーしています。なかなか挑発的でパンク精神に溢れています。また、いまさらビートルズかよというセンスもゴミ感たっぷりです。あるいは未だにビートルズの影響が色濃く残る音楽界への皮肉か、それともゴミらしく何も考えてないのか、受け取り方はあなた次第でしょう。加えて、これはただの推測なのですが、蛍の光である理由はcarnival of lightからなのではないかと深読みしています。光のカーニバル、で逆ですが。

また、同様の手法によって制作されているのがサイトラ2のトップを飾る転がるさざれ石のようにです。

ゴミ - 転がるさざれ石のように
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​2 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/--9

こちらもいまさらビートルズとかボブディランとかストーンズかよ的なゴミ感が良いですね。そして君が代のカバーとして真っ先に連想されるのが忌野清志郎カバーですね。

このカバーの意図としては、国旗国歌法に対する問題提起とか、君が代をもっと親しんで欲しいという主張など諸説あります。やはり転がるさざれ石のようにも右派的な安倍政権に対する抗議とか、自国主義に陥る世界情勢への警鐘とか、あるいは何も考えてないかでしょう。

このように挑発的な前衛音楽としてはゲロゲリゲゲゲのテレサテン「愛人」カバーが個人的に思い付きます。

ノイジーで露悪的でもはや滅茶苦茶。君が代もそうですが、実験音楽では挑発的なカバーを行い、逆説的なリスペクトを示すことが多々あります。というかこれを例に挙げなくとも、もっと有名なやつがありますね。

ウッドストックフェスでのジミ・ヘンドリックスのアメリカ国歌カバーです。伝説的なウッドストックの中でも特に有名な名演です。

後半は滅茶苦茶なように聴こえますが、このノイジーなギターはベトナム戦争で苦しむ人々の声を代弁していると評されています。あまちゃんのテーマ曲でお馴染みの大友良英さんも、この演奏がきっかけでノイズに目覚めたと語るなど、世界に多大な影響を与えています。

話をビートルズに戻すと、代表曲として決して挙げられず、それどころか最も不人気な曲ランキングを作ったら間違いなく上位に入る、ビートルズにおけるゴミとして「Revolution 9」が存在します。

さすがビートルズ、ゴミですね。そんな「Revolution 9」をボーカロイドなどを用いてカバーした動画が存在します。

レボリューション9
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1568452

なかなか原曲の特徴を捉えていて秀逸なカバーです。あくまで想像ですが、このカバーが為された背景として次のことが考察できます。

ニコニコ動画における最初期のボーカロイドシーンでは、初音ミク発売直後からすぐにオリジナル曲が投稿され、受け入れられていた訳ではありません。初めの頃は、アニソンなどのカバーに対して、機械にしては結構自然だ、とか反応を貰ったり、妙な替え歌を歌わせるネタが中心的でした。その象徴が、初音ミクが来ない?来た?騒動と、その騒動に参加していたOtomania氏によるロイツマカバーのヒットですね。そうしたシーンでは、少し変わったユニークな選曲ができるセンスが問われます。その白羽の矢として、Revolution 9が作者の中で立てられたのだと思います。

単なるブームと言えば話は簡単ですし、ゴミの文脈として捉えることには幾つか疑問が残りますが、ここまでの発想と再現が為され、現在のゴミの近似作品としても申し分無いことから、当時のボーカロイドブームの熱さを推し量ることができますね。

また参考までに、ボーカロイドにおけるサイケデリックロックについてもっと知りたい方は、鈴木Oさんのこちらの記事がオススメです。

あと、どうでも良さげですが脱法ロックというサイケなコンセプトを持ったヒット曲が生まれた後にアングラで本格的なサイケの動きが始まったのは興味深いと思います。まあこの曲は明らかに脱法ドラッグ報道に影響されただけのものですし、曲自体はサイケじゃないですけどね。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm29081909

さて次にヒップホップを取り上げます。ヒップホップはサンプリングによってトラックを製作することから、サイケの影響下にあるとしばしば評されます。

ボーカロイドにおけるヒップホップとしてはミックホップが記憶に新しいですね。ヒップホップとラップはしばしば混同されがちですが、実際にはラップはヒップホップの一要素に過ぎず、そのため従来のボカラップというタグではヒップホップの文化全てを内包することが出来ませんでした。そこで生まれたのがミックホップという言葉で、別の言葉を作ることによってヒップホップ本来の文化も明確に参照しようという姿勢が見受けられます。

【初音ミク】エイリアン・エイリアン・エイリアン【オリジナル曲】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23586759

初音ミクの証言
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25680284

以上のミックホップ代表曲にも当てはまるドープという言葉は、サイケ的な感覚を十二分に含んでいると言えます。

ミックホップの流れからサイトラに参加しているのは、上記二曲にも関わったMSSサウンドシステムさんですね。

MSS Sound System - Planet trash
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​1 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/planet-trash

MSS Sound System - Heavens door
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​2 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/heavens-door


徹底的な前衛音楽という訳ではなく、彼自身のフィールドからドープな音を作り出し、それを以ってゴミコンピに打って出ていることが分かります。サイトラは特に2でその特長が顕著になりますが、 「それぞれが思うゴミ」という曖昧な縛りから絶妙な連帯とブレを醸し出しています。個人的にMSSさんはその象徴のような音を提供していると思います。


また、ダブ的な手法もゴミコンピでは多く聴かれます。ダブとはレゲエから発展した、ディレイやコーラスを多用してリズムを重視した音処理を施した音楽です。

またダブが生まれた当時のジャマイカでは、大麻(「ガンジャ」と呼ばれます)は文化的、経済的、対米関係的にも非常に重要なものであり、その影響を強く受けています。それ故に、音楽性のみならずサイケに近い性質を持つ音楽となっていると言えるでしょう。

個人的に、ゴミとして重要な存在であるフライングリザーズがダブにも手を出していることが興味深いと感じます。フライングリザーズはデビッド・カニンガムのソロプロジェクトで、楽器が弾けないのにmoneyを滅茶苦茶にカバーしてヒットを飛ばしました。

そしてそのフライングリザーズによるダブはこちら。どちらも中々のゴミ感です。

ゴミコンピにはダブをイメージした楽曲が多く収録されていますが、大麻をテーマにしているということでenalukeさんの「大麻を吸う」を取り上げましょう。

enaluke - 大麻を吸う
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​2 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/--10


さて、ここまでサイケに通じる音について書いてきましたが、何もゴミはサイケだけに留まりません。サイケ外の要素の一つとしてインダストリアルが挙げられます。

インダストリアルと言えばNine Inch Nailsですが、ゴミとしてはやはり70年代、スロッビンググリッスルらによる工業生産された大衆音楽への皮肉としての初期のムーブメントからの影響が強いでしょう。工場で聞こえるような音を用いた無機質な音楽です。

ゴミコンピからは安直にとーずさんの「安直廃棄物」、そして非常にキャッチーなaerogelさんの「she said​,​I want to talk tonight」を紹介します。しかしゴミはゴミでも個性的ですね。

とーず - 安直廃棄物
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​1 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/--6

aerogel - she said​,​I want to talk tonight
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​2 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/she-said-i-want-to-talk-tonight


またゴミ要素の中でも特徴的なのは80年代的な音処理を参照していることです。やたらと深いリバーブがかかり、ダサいシンセが鳴り響き、独特の過剰さが感じられるあの音です。

80年代的な音楽はポップミュージックの歴史の中でもある程度孤立していると言えます。その証拠として、00年代以降のリバイバルブームでも80年代的な音は無視される傾向があることが挙げられます。近年the hakkinやice choirなどが存在する程度でしょうか。様々な実験的手法が試された60年代、現代の音処理の基礎が確立された70年代と比べても、異様な音作りであるため当然ではあります。

こうなってしまった原因としては、別に世界中の名音楽プロデューサーが一斉にアホになったからでは無く、新たなレキシコンリバーブが普及したことや、シンセサイザーがポップミュージックに導入されたばかりで使いこなせていなかったことが考えられます。こうした何か未熟さを感じる音を、ゴミ感があるとして愛でている訳ですね。

最近個人的に聴いた中で80年代だなあと思ったのはエコーズの「someone like you」です。

あとはコレクターズの1stがR.E.M.のmurmurみたいな音だったらなあと思うとかです。

なお、私自身80年代的な音楽が無条件に嫌いという訳ではないことは一応明言しておきます。好きな80年代の例としてはこういうのですかね。

あと好きなのはPrinceの「parade」とか、Paul Simonの「Graceland」とかThe clashの「Combat Rock」とか。大滝詠一「A LONG VACATION」ももちろんです。

言い訳はこの辺にして、ゴミコンピからは再びとーずさんから「Lolipop」です。非常にキャッチーで分かりやすく、絶妙にチープな秀逸な作品です。

とーず - Lollipop
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​2 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/lollipop


また意識的なゴミの中でも、意図的にコントロール不能な要素をねじ込むことによってゴミを作る手法があります。そのほぼ究極的な存在はThai elephant orchestraでしょうか。

タイの動物園で飼育されている象に演奏させるという、全く意味不明なコンセプトのオーケストラです。ほとんどまともな演奏では無く、普通の大衆音楽を思ったら、ほぼ聴くに耐えない何かですね。

ここまでの破綻はありませんが、ほぼコントロール不能な要素を含んだ曲が主宰者rjnkさんとMaysysさんのこちらになります。

rjnk feat​.​Maysys - 笛のお姉さん
絶滅レコーズ 「 Psychedelic Trash vol​.​1 」 より
https://rjnk.bandcamp.com/track/--7

笛にアンプシミュレーターを通しているらしく、完全に原音の面影が無いですね。しかしシンプルなバックビートによって、比較的キャッチーさが保たれています。ただ単に奇を衒うだけでは、先人たちに先を越されたものには割と敵いません。であるからこそ、それぞれの感性を持って思想をぶつけることが肝要なのです。その姿勢を示した辺りはさすが主宰者といったところでしょう。

では次に、無意識的なゴミに移ります。前述の通り、商業曲のみの紹介となります。

世界で最も評価とその音楽のゴミ感に乖離があるのはJoy Division/New Orderでしょう。Joy Divisionとはイアンカーティスを中心としたバンドで、New Orderはイアンカーティス自殺後に残されたメンバーによって結成されたバンドです。


この下手さはいつ聴いてもぶっ飛んでますね。これで世界的に重要なバンドだというのだから色んな意味で凄いです。ニコニコ大百科の記事では

gdgdな演奏だからこそ「表現できない美しさ」が彼らにはある。

とありますが、どう考えても上手い演奏で聴かせた方が良い音楽のはずで、この演奏でどれだけ損をしているのかとたまに思います。でも、確かに不思議な魅力を感じるのも確かです。

また、無意識的なゴミと言えばThe Shaggsが伝説的存在として君臨しています。

未だにスカムミュージックの代表的存在として酷く崇められています。スカムとは訳すと排水溝の汚物となり、まさに従来の音楽シーンにおけるゴミのことだと言えます。

ところで、そもそもスカムミュージックとゴミにはどのような違いがあるのでしょうか?スカムミュージックに関して、日本のアンダーグラウンドミュージックにおける最重要人物と言える山本精一氏が次のように評しています。

本当は上手に演奏できる者が、意識的に初心者みたいに稚拙にギターを弾くなんてのは、決してスカミックなものとは言えません。

(出典:スタジオ・ボイス Vol.230 1995年 http://iloveyoulalala.tumblr.com/post/72039321/%E5%AE%9F%E8%B7%B5-%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%B2%BE%E4%B8%80


リスナーとしてはそう大差無いのではと思いもしますが、作者として自分の作品に純度を求めるのは当然でもあり、作り手の矜持とも言える文章だと思います。

しかし、この見解は果たしてゴミに関しても適うものなのでしょうか?確かにスカムミュージックとしては正しい言説であると言えるでしょう。何故ならスカムミュージックはそもそもThe Shaggsのような無意識的に崩れてしまった音楽に端を発しているからです。そして私たちは過去、様々な音楽家たちが意識的か無意識的かに関わらず、崩れた音楽を表現してきたことを知っています。特に現代の情報飛び交う社会の中では、さらにそれは可視化されます。

だからと言って、人々は自分自身の作品を公開することを尻込みしているでしょうか。そんなことは無いですね。そうだとしたら、今のボーカロイドシーンの盛り上がりはあり得ないはずです。それだけボーカロイドという口実は強力であり、またどんな口実であろうと音楽は音楽であることを皆分かっているのだと思います。

そうした参入障壁の低さの中で、名曲は作れなくともボーカロイド界に参入しても良い、という雰囲気が作られるのと同様に、スカムは作れなくてもゴミに参入しても良い、という思想が自然発生的に生まれたのだと、個人的に考えています。これはゴミというキャッチーな言葉に表れているように思います。「スカム」なんて言葉は非英語圏の人間としては、気取りすぎてて掲げにくいですしね。

また、最初に意識的なゴミと無意識的なゴミが存在すると言いました。しかし現実には、その境界上にあるような音楽や判別不能な音楽も多々存在します。

例として、再びMiles Davisの「Kind of Blue」を挙げます。前編にも書いた通り、「Kind of Blue」のモードジャズとは当時は新しいものでした。バンドメンバーの一部はモードジャズを理解せずに演奏していたと言われ、特にアルトサックスのキャノンボールアダレイは従来のコード進行を基にしているためやや単調と評される演奏に終始しています。しかし現在ではその歪さを受け入れる懐の深さとして好意的に評価され、モダンジャズ史上最も重要なアルバムの地位を固める要素の一つになっています。

ここで疑問となるのは、これはマイルスの狙い通りの結果だったのかということです。マイルスがどのような基準でバンドメンバーを選んだかは、常に論議の的であり、明らかになっていないことです。当時マイルスはモードジャズを急進的に推し進めていたため、既にバンドを脱退していたビルエヴァンスをモードジャズに理解があるという理由で一時的に呼び戻しています。それなのに、コード進行を基にした演奏を行うキャノンボールアダレイを意図的に起用したのでしょうか?このように、一見辻褄が合わないような経緯がありながら音楽史に残る傑作となる。だから音楽は面白いんです。

さて、現代の玉石混淆のシーンで一々意識的か無意識的か確認するようなことをする物好きはいるのでしょうか。あるいはそもそも確認不可能であることは珍しいことでは無いですね。その中でリリースされたゴミコンピはあえて意識的なゴミであることを公言し強制的に確認させることで、リスナーの姿勢を問う意図が、説明が無くとも見えてきます。

しかも、特にVol.2において顕著なのですが、良いか悪いかは別として、ここまで音楽的背景を紹介してきた通り「聴ける」アルバムに仕上がっています。それをゴミと感じるかはそれぞれの感性次第ですし、では自分が普段聴いている音楽は?ツイッターで流れてきた音楽は?はたまた適当に検索してヒットした音楽は?

音楽をどのように感じているのか疑問を持ち自問自答を繰り返すことは、聴き手として真摯な姿勢の一つであると信じています。本当のゴミとは、音楽を聴いて何かを感じるという聴き手として最も重要な姿勢の中に存在するのだと、ゴミコンピを聴きながら、ひしと感じています。

最後に、今後のゴミの展望について書きたいと思います。

これは個人的な私見なのですが、実験音楽を制作するためのアプローチとして、大雑把に3つの手法に分けられると考えております。ロック・ポップス的アプローチ、ジャズ的アプローチ、クラシック的アプローチです。ゴミとしてはこの内、後者2つが空白状態です。これらに関連して書いていきたいと思います。

まず、ジャズ的アプローチです。おしゃれで上品なイメージのあるジャズと気難しく下品な実験音楽には一見接点が無いように思えます。

ジャズと実験音楽の関係を説明するために、ここで三度「Kind of Blue」を取り上げます。そもそも、何故「Kind of Blue」はジャズ史上最重要作品として評価されているのでしょう。ただ鳴っている音楽がいいだけでは評価されるかどうか不確定であることは、低再生数で留まっている素晴らしい曲を数え切れないほど聴いてきたボカロリスナーならよく知っていると思います。参加メンバーが豪華であり、名演揃いなことも重要ではありますが、それだけでは他の有名作品とは決定的な差別化は出来ません。

「Kind of Blue」が評価されている理由は、ジャズの精神性にあります。音楽ジャンルは音楽そのものの特徴だけでは無く、あるメッセージ性を伴っていることがしばしば重要視されます。ブルースなら嘆き、カントリーなら郷土愛、ロックなら反権力といった具合です。ではジャズならどうなのでしょう。

結論からいえば、自由を重んじていると言えるでしょう。アメリカ、ニューオーリンズにて奴隷のような扱いを受けたアフリカ移民をルーツに持つミュージシャンによって確立されたとされるジャズは、インプロヴィゼーション(アドリブ)を演奏の中心としています。そしてビバップ、ハードバップと極端なインプロヴィゼーションを求めて発展してきたように、より自由な演奏を重視してきました。

ここで問題となるのはコード進行に沿った演奏をする限り、似たような演奏ばかりになってしまうことです。そしてモードジャズはコード進行に支配された状況を打開するために考案されたジャンルです。そのモードジャズを確立した「Kind of Blue」は自由を重んじるジャズにおいて、演奏の自由度を高めたという点で、他に類を見ないほど偉大なのです。

ところで、GYARI(ココアシガレットP)さんのボーカロイドが~するだけシリーズは、ジャズセッション風の音楽と奇を衒った展開と動画で大人気ですね。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm27905394

ボーカロイドたちの歌はまさに自由気ままで、ジャズの楽しさを非常に分かりやすく表現しています。音楽的な完成度もさることながら、精神性をも踏襲しつつ、なおかつ大ヒットしたことから、極めて秀逸かつ偉大な作品であると言えます。

では、そのジャズの精神性をさらに推し進めたらどうなるか。それがフリージャズです。

もはや一般的に考えられているジャズから乖離してしまっていますね。これは音楽性以上に、精神性を重視し、理論や形式に捉われないことを理念としているからです。つまり、これがジャズ的実験音楽だと考えています。

ちなみにRevolution 9と同様、フリージャズをモチーフにしたボカロ曲が投稿されています。

【初音ミク】うちのミクがフリージャズしたいと言い出した
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6769287

とりあえずこれを聴けばフリージャズとはどんな音楽か、大体分かるのが凄いですね。ミクもちゃんとフリーです。

ただ、結論から言えば現状はジャズ的なゴミが生まれる環境では無いと考えています。ジャズでは即興が生む自由が重要である一方で、ボーカロイドは即興がほぼ不可能だからです。

しかしその特性を逆手にとって、即興が困難なボーカロイド、UTAU、Cevioと自由な演奏を対比させた傑作があります。

人間たち【初音ミク・重音テト・さとうささら】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30328276


演奏もフロウも切れ味鋭く、ミックホップにおける重要作の一つです。また本来のヒップホップは、MCが人間でトラックは機械が行なっていたところを、意図的にあべこべに配するコンセプトも非常に挑戦的です。この名作に比する質と姿勢を求めるのは酷ですが、まだまだ面白いコンセプトが探し出せそうですし、今後の展開に期待したいです。

そしてクラシック的手法、つまり現代音楽です。と一口に言っても様々な表現がありますし、ボーカロイドとクラシックの相性の悪さから、ジャズ同様大きな展開は望めないように思えます。

しかし、個人的に取り上げたいことがあります。現代音楽史上最も有名な曲、4分33秒です。4分33秒間休符が続き、音を鳴らさない曲です。


なお、当然のことながらボーカロイドによるカバーも存在します。

初音の4分33秒
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1088800


それはさておき、この4分33秒について以前こんなツイートをしました。


何故こう思うのかというとその答えは簡単で、これ以上静寂を表現する曲はあり得ないからです。

例えば、My Bloody Valentineの「Loveless」なんかはあまりに完成度が高すぎて、シューゲイザーの最高傑作であるとともにシューゲイザーを終わらせてしまったとも評されます。それでも、これ以上の作品があるかも知れないと思える余地はあります。

一方で、4分33秒はこれ以上が絶対にあり得ませんし、他にこれほどの決定打のある音楽は存在しません。それ故に、史上最高の名曲だと思っているわけです。

ですが、仮にこれ以上を作ることができたとしても、そこに何の意味があるのでしょう?ですので、先ほどのツイートと同時に以下のようなツイートもしています。


さて、超えることのできない4分33秒ですが、そんな究極的存在がありながら、それでもまだ静寂を表現しようとする音楽があります。それがヴァンデルヴァイザー楽派です。

これはまだマシな方で、1時間に2、3回しか音が鳴らないとか、音が出ない?と思ったら極小音量でなんかサラサラした音が鳴ってる、なんてのは日常茶飯事です。つまり、鳴る音と対比させて静寂を表現する音楽だということです(他にも目的はありますが割愛)。

ちなみにヴァンデルヴァイザー楽派はしばしばアバンギャルド音楽界隈で「大衆的すぎる」と批判されます。正気かよと思うかもしれませんが、個人的にはとても納得できます。何故なら自分もヴァンデルヴァイザー楽派の逆説的なキャッチーさに惹かれているからです。


そしてゴミとはやや異なる流れになりますが、ゴミコンピの主宰者であるrjnkさんがスカスカコンピを計画されています。スカスカな音数の少ない音楽というコンセプトのようです。ゴミコンピは過剰にリミッターをかけてうるさい音になりがちだったので、その反対を行くコンピと言えるでしょう。

おそらく、参照元となるのは元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎ソロやジョンレノンの1stあたりになると思われます。しかし究極的な話となると、最終的には現代音楽が待ち構えています。そこまで行き着いたとしたなら、当然ある疑問が持ち上がることになります。そもそも音楽を聴くというのはどういうことか?という問いです。

大半の人は4分33秒を聴いた時、こう思ったでしょう。こんなのは音楽じゃない、と。だとするなら、何処からが音楽で何処までがそうじゃないのでしょう。そもそも音を鳴らしていない訳ですから、4分33秒を否定するのは簡単ではあります。ではヴァンデルヴァイザー楽派はどうでしょう?

ゴミコンピが音楽の聴き方を問うコンセプトなら、スカスカコンピは聴くことそのものを問うコンセプトになり得ると考えています。もちろんこれは自分の独りよがりで意味不明な妄想であり、実際には普通に楽しめる音楽集になる可能性の方が十分高いと思いますが。

そして、ただ音数を減らすだけでは、4分33秒やヴァンデルヴァイザー楽派には敵わないでしょう。だからこそ、ここでもそれぞれが思うスカスカを表現することが重要になるのだと予想しています。


これからもありとあらゆる音楽が生まれ、そしてゴミのように忘れ去られていきます。それでも、一度でも聴いた音楽は自らの血肉になるはずだと思いますし、そうしなければならないはずです。この状況の中で、ゴミコンピの音楽の聴き方を問うコンセプトに共感したからこそ、前後編合わせてこんな長い文章を書くことになりました。

締めとして、ゴミコンピの主催者rjnkさん、ゴミコンピに楽曲を提供した方々、また日々音楽を制作し公開している方々、そしてこのnoteを最後まで読んで下さった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。


(2020/7/4改訂 軽微な表現の修正、紹介楽曲の整理)

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