ボーカロイドとイノセンス

2017年、ボーカロイドを語る際に重要なキーワードは「イノセンス」であるとの見方が一部で強まっています。その決定的な契機はPuhyunecoさんの「アイドル」の投稿でしょう。

アイドル 初音ミク

投稿は8月31日、初音ミク発売10周年のその日です。記念日にふさわしい気合の入った楽曲が多数投稿された日です。質、量ともに史上最高とも言える一日にも拘らず、その激烈な完成度によって一部では話題をさらっていました。

そしてこの曲を語るにあたって度々用いられるのが「イノセンス」という言葉です。この言葉は「アイドル」以外にも、「イノセンスがある」として様々な2017年投稿のボカロ楽曲を評する際に使われています。本noteではこの「イノセンス」に関する楽曲を紹介することを中心に、様々な関連事項を書いていきたいと思います。

また、このイノセンスという言葉は音楽的な見解と同時に用いられることが少なく、現状ではそのイメージが掴みにくい一面があります。他方で、イノセンスという言葉の性質上、分かりやすい一つの見解に縛られることもあまり好ましくないと個人的に感じます。そのため、前回の「ゴミ」以上に取扱いに細心の注意が必要な内容になると考えられます。

しかし、だからと言ってこの興味深いキーワードを紹介しないでいるのはもったいないと考えたため、このnoteで取り上げることにしました。こちらとしても出来る限りイメージを悪い意味で固定化しない文章を目指しますが、前回以上に個人的な妄想の類であることを承知の上で読み進めていただきたいと思います。そして皆さんにとって「イノセンス」とは何かを考えるきっかけになればと思います。

ではまず、イノセンスの言葉の意味からアプローチしていきたいと思います。イノセンスは日本語では無垢、無邪気などと訳されます。このことから簡単に解釈すると、例えばモテたいとか、人気者になりたいなどといった世俗的な欲望を排したことを指していると考えられます。そうすることによって本当に伝えたい感情をフォーカスした音楽が「イノセンスがある」と呼ばれていると言えるでしょう。

このことを踏まえて、具体的にイノセンスとはどのような曲に対して使われているのか、「アイドル」以外の例を挙げていきましょう。

違います
まず、目赤くなるさんの「違います」です。Siriとミクの掛け合いを中心として進むユニークなコンセプトの楽曲です。「壊れてる」という言葉に一切の邪念を感じさせずに純粋な感動を生む、まさにイノセンスの好例と言えるのではないでしょうか。

跳躍の以前へ(2020/7/4追記 現在は非表示。Bandcampで配信されているアルバムに収録されています。→https://mu-fullauto.bandcamp.com/album/--12
全自動ムー大陸さんの比較的ポップでシンプルなロックです。美しい電子音と淡々としたボーカルに無垢さを感じます。また様々な音が使われていながらもすっきりとしていて、良い意味で密度が薄く重苦しさがありません。

地球の午后三時 feat. 重音テト
スッパマイクロパンチョップさんの初UTAU曲。ボカロシーンのメインストリームとは全く異なる、間の多いサウンドには世間擦れを感じさせず、やはりイノセンスがあります。また実績のあるミュージシャンがボカロに関する偏見を取っ払って、自身の確固たる音楽性を以て参入し、それが意識的か無意識的かに関わらずイノセンスのあるものだった、ということ自体も2017年ボカロシーンの「イノセンス」を象徴する出来事であると思います。

さて、ではこれらのような曲が何故「イノセンス」という言葉によって語られるような風潮が生まれたのでしょうか。当然、ボカロシーンで用いられる言葉なので、ボーカロイドであることが重要な要素であると言えるでしょう。しかし、一体どこに非ボーカロイド楽曲との差異があるのでしょうか。

ここからは一旦、ボーカロイドによるイノセンスがどのような立ち位置にあるのかを浮き彫りにするために、従来の音楽における無垢の表現について言及したいと思います。

無垢を表現するために最も手っ取り早いと思われるのは、宗教や神を利用することです。個人では切り離せない感情を、超人的な概念に頼ってなんとか薄めるといった試みですね。となると、まず紹介すべきはこの曲でしょう。ロック・ポップス史上初めてGodという言葉が使われた曲とされています。Beach Boysの「God Only Knows」です。

いや~いつ聴いても凄いです。いくらボーカロイドにしか興味が無い人でも一度は聴いておかなければならない名曲だと個人的に思っちゃってます。

他にもローリングストーンズは「You Can't Always Get What You Want」にてゴスペルを取り入れています。

壮大なコーラスが非常に印象的。もともとはセックスの隠語だった、ある種欲望に塗れているロックンロールとの対比が実に鮮やかな名曲です。

余談ですが、こうした達観したネガティブな歌詞と、雑多なジャンルを折衷させながらどこか箱庭感のある世界観はUKロックが最も得意とするところです。ストーンズはロックンロールを象徴するバンドですが、こういう曲を聴くとやはり英国のバンドなんだなあと感じます。

しかし紹介しておいて何ですが、率直に言って現在「イノセンスがある」と評されるボカロ楽曲とは乖離が大きいですね。ボーカロイドと比較をしていくためにはまだまだ別の要素を検討していく必要がありそうです。

無垢さを表現する手法としては、やはり子供を起用することはあらゆる表現において常套ですね。個人的に印象的で好きな曲はXTCの「Dear God」です。

XTCらしいひねくれポップスと少女(PVでは何故かどう見ても少年が起用されてますが)の無垢な歌声が融合した名曲です。神を否定する歌詞とのせめぎあいが、実に張り詰めた世界観を作っています。

また子供を起用する手法が極まった例の一つはアニメ「少女革命ウテナ」の最も有名な挿入歌「絶対運命黙示録」でしょう。作曲はなんとあのJ・A・シーザーです。

2020/7/4追記:最も有名なのはPink Floydの「Another Brick In The Wall Pt. 2」だと思われるので追加で紹介します。「We don't need no education」というフレーズは様々な解釈が可能ですが、そのまま受け取るなら純粋さを守るための主張だと言えます。

さて、ここまでに例を挙げた曲には、音楽の構成上にある共通点があります。それは当事者では無い人々の声が、重要な役割を果たしているという点です。

ビーチボーイズの「God Only Knows」はボーカルもコーラスもメンバーによるものですが、作曲はバンドの中心人物であるブライアンウィルソンがほぼ単独で行ったものです。演奏はサポートミュージシャンによるものであり、はっきり言って、他のメンバーはただ歌うだけでしか参加していないと言っても過言ではありません。

このように本人以外が関与するという緩衝材を挟むことによって、感情を濾過することを目的としていると言えるでしょう。声に代理を立てるという方法論そのものがボーカロイド以前からの無垢の表現方法だと考えられます。
そして、もちろんボーカロイドによる歌声は罷り間違っても当事者によるものとは言えないでしょう。

さらには宗教、神、あるいは子供を起用することによって無垢を強化していると感じます。そもそもこれらが何故無垢なのか?というと、心が無い、あるいは弱いからです。心が無いからこそ、感情に余計なものが混じらない純粋さを感じることが出来ます。そして、もちろんボーカロイドにも心は無く、その分余計なものが混じらない表現が可能になると言えるでしょう。

しかしここからボーカロイドのイノセンスに繋げていくのは、まだ説得力が足りないと思います。そこで取り上げたいのはザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」です。テープの高速回転を利用して加工した声や、元々は自主製作盤に収録されていたというアマチュアリズム、そしてラジオという当時の若者たちの居場所がきっかけにヒットしたという事実から、現在のボーカロイド楽曲、あるいはボカロシーンの原型とも呼ばれることのある曲です。

ここで注目したいのは天国、神様といった宗教的要素が含まれていることです。加工された生気の無い声は「死んじまった」という歌詞のリアリティーを補強しています。やはりこれは余計な感情を排するための試みであり、イノセンスにも通じる世界観だと思います。生きている人が歌うからこそ死ぬことに説得力があるのでそのままボーカロイドに当てはめることはできませんが、ボカロの原型と呼ばれる楽曲にこのような要素があることは、本質的に重要なことだと感じます。

それから時は流れ、宗教、神、子供などに加えて、新たに機械という心の無いものによる表現が可能となります。そして、無垢を表現するための機械的な音楽としてエレクトロニカが挙げられます。

エレクトロニカというジャンルの定義の難しさは多くの音楽ジャンルの中でも突出していますが、一般的に捉えられるイメージは、綺麗で美しく、音響的で機械的な電子音、という感じだと思います。また音楽評論における有名な(そして悪名高い)常套句、「おもちゃ箱をひっくり返したような」という形容が似合うのもエレクトロニカだと言っていいと思います。この辺りの感覚にイノセンスの片鱗を感じますね。

エレクトロニカ、そしてボーカロイドというキーワードにおいて重要なのは竹村延和氏の存在です。初音ミクの開発者、佐々木渉氏はミク以前のボーカロイドが竹村氏に酷評されたことが初音ミクの開発に繋がったと語るなど、その存在が無ければ現在の初音ミクもなかったかもしれません。

その竹村延和の最高傑作としてあげられるアルバムは「子どもと魔法」。そうです。ここでも子供というイノセンスに関係してそうな要素が取り上げられています。エレクトロニカという機械的な心の無い音と、心の存在が弱い子供をリンクさせていると言えます。ノスタルジックな美しい音、一方で気まぐれのように突然入り込む不気味なノイズ、無邪気な子供を表現した傑作です。

ここにある不気味さというのも、無邪気さゆえにしばしば残酷的な子供を表現した一つの要素です。最初に紹介した「イノセンスがある」ボカロ楽曲の大半も、ある種の不気味さを感じ取ることが出来ると思います。ボーカロイドの歌声もしばしば感覚として「不気味だ」と言われることもありますし、心のある人間の声を心の無い機械がエミュレートすることは本質的に不気味であると十分言えると思います。

さて、ここで整理していきましょう。元々、無垢を表現するための手法として、心の無いものに頼る手法が存在しました。そして方法論として、当事者では無い声(特に子供の声)を用いる、あるいは声を加工する、などが存在していました。それから技術は発達し、そこに新たな心のないものである機械を用いる手法が台頭してきます。ところが機械による声が存在しなかったため、機械によるイノセンスのある歌ものを表現することが出来ませんでした。それを可能にする最後のピースであり、しかも当事者では無い声として用いることが出来る、それがボーカロイドであると言えるでしょう。

ところで一つ非常に重要かつ、解明することが出来ない謎が一つ存在します。それは何故今「イノセンス」なのか?ということです。

勿論、ボーカロイドが開発されてから、このイノセンスの原型とも呼べる楽曲は継続的に公開されてきました。平沢進の「白虎野の娘」のコーラスにはボーカロイド「LOLA」が使用されていますし、

平沢進 白虎野の娘 PV

ボーカロイドシーン最初期の例はこんぺいとうP

初音ミクオリジナル曲「ジャガボンゴ」

他にも有名な例として「思慮するゾンビ」

思慮するゾンビ / 初音ミク

あるいはユニークで印象的な例として「manhole」

[オリジナル曲] manhole [初音ミク]

などと非常にバラエティ豊かなイノセンスが表現されてきたと言えます。しかし事実として、2017年にこそイノセンスがある楽曲が比較的多く投稿されているように感じます。

これは初音ミク10周年をきっかけとして各々が本質的なことを考えているのか、あるいはスタンドアローンコンプレックスのようなものなのか、ただの偶然なのかは全く分かりません。ただ個人的に思うのは、たまたま色んな人が集まってきて、たまたま今そういう流れが起きているように見えるだけ、と考えると美しいなあ、ということです。それこそまさに「イノセンス」なのではないか、という風に考えたりしています。

というようなこともあり、2017年のイノセンスを文脈的に語るのは非常に困難であり、最初に申し上げた通りこのnoteもほとんど妄想でしかないものです。ですので、ここからはイノセンスに関わっているだろうと個人的に感じる今年のボカロ曲を文脈的ではなく、個々にレビューし紹介して締めたいと思います。

恐らく、誰もがこれら全てにイノセンスを感じる訳ではないでしょうし、いやいやこれもイノセンスだろ、と他の曲を推す方もいるでしょう。そんな中で重要なのは真に受けることでは無く、イノセンスとはどういうことなのか?ということを感じたり考えたりすることだと思います。これらの曲を聴いて、さらには新しく投稿されるボカロ曲を聴き漁って、これはイノセンスなんじゃないか?と考えたりすることによって、各々がボカロリスナーライフをより楽しいものにできたなら幸いです。

love etc.
プリミティブなリズムとエキゾチックなヨナ抜きメロディー。彩り豊かな音色が美しく、原風景のようなものを感じます。

黄昏melancorise/piptotao/初音ミク
遊び心を感じる音と轟音のノイズの不気味さが生々しくも美しい。映像も相俟って不思議な気持ちになります。

おひさま(初音ミク)
途切れ途切れの音と声にたどたどしさを感じます。加工された音が支配的なのに、とても暖かく感じて不思議です。

am
ポエトリーリーディングも感情のこもりすぎる人によるものよりも、イノセンスを感じますね。所々気まぐれのように声に手を加えられて、楽しくも物悲しい。


今年に入ってますます注目されているNokoさんのポエトリー。オーガニックで手作り感のある音には、他の類似した楽曲と比べてもある種の存在感があります。

箱/結月ゆかり
静かで音響的な世界観に吸い込まれてしまうかのよう。盛り上がる曲ではありませんが、この繊細な音の隙間にこそドラマを感じます。

光明/ORIGAMI-I
イノセンスの提唱者である鈴木Oさんからこの曲。恐らく当人はこれはイノセンスではないと主張すると思いますが、その音には類似したものを感じますし、イノセンスを紐解く上で重要な手がかりではないかと思います。

【重音テト】お気に入りの憂鬱【オリジナル】
湿っぽく深い音がとても気持ち良く、思わずため息が漏れそうです。単調なシンセサウンドは幻想的でありながら、リアリティのある憂鬱を感じます。

【初音ミク】沖縄民謡を歌わせてみた【雨夜ぬ行方】
沖縄民謡かつラテンかつエレクトロなとても不思議な曲。底知れない明るさを感じて、ちょっと珍しさもあります。

天使の施術 初音ミク
ゴシックを基調に美しく、神秘的な緊張感。畳みかけるミクの声に圧倒されます。

【桃音モモ】ラブソング【オリジナル】
重たいギターと何か曲から浮き気味のピロピロ音。シンプルな歌ものですが、何やら普通ではない素朴さ。

Super Magic Hats - Sleepless
メルボルン在住のミュージシャンSuper Magic Hatsより。幻想的で不思議なキャッチーさは完成度が高く、貫禄めいたものがあります。

Tokyo Elvis - Human Love (feat. Hatsune Miku)
こちらはフロリダ在住のミュージシャンTokyo Elvisより。どこかレトロなテクノポップサウンドで、キャッチーながら妖しさも十分。

注:「ボーカロイド」という言葉を合成音声を一括りにする言葉として用いています。この辺り自分自身もあまり自覚的に混同しているわけではなく、厳密には好ましくない表現だとは思いますが、「合成音声」という言葉の堅さも嫌だしピンと来ないなということで「ボーカロイド」を使ってます。今後も割と混同していってしまうと思います。今更ですがご了承ください。


(2020/7/4改訂 軽微な表現の修正、紹介楽曲の整理、追記等)

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