過去の名ボカロ曲をレビュー part4(+コラム:箱と音楽)

前回から1年も間が空きました。いかがお過ごしでしょうか。
このシリーズは更新頻度の高さよりも長く続けることをまず意識しているので焦ることは特に無いのですが、それにしたって空きすぎたとは感じるので次はもう少し詰めて書きたいですね。

最近よく聴いているのはグレゴリオ聖歌です。どんな音楽かはwikipediaのページへ行けばいくつか例を聴けるので分かりやすいと思います。要するに伴奏の無い宗教音楽です。
一般的にはグレゴリオ聖歌あたりが西洋音楽の始まりとされ、ここからいわゆるクラシックと呼ばれる音楽へ発展していくことになります。
ということは物凄く大雑把に言えば今日のポピュラーミュージックの源流にあるとも考えられると思われます。

(話題になってたこれの一番最初のところにありますね)

こうした聖歌や讃美歌の役割は一言でいえば「救済」です。
この辺りはゲーム「MOTHER」の音楽について語るほぼ日のシリーズ、「『MOTHER』の音楽は鬼だった。」の第5回「救われる音楽に。『エイト・メロディーズ』」で分かりやすく語られています。

鈴木慶一氏の言う「箱全体で鳴らして、エコーで説得するんだよ、西洋は。」の一節は西洋音楽が持つ一面が簡潔に表現されていて素晴らしい。
その「箱全体で鳴ら」すために、こうやって音を重ねると鳴りが悪いから禁則にしよう、というような(西洋音楽の)音楽理論が発達していったわけですね。


話はまた変わって、救済に関して思い出すことといえば、キヅミタさんの「ボカロ雑感selected」という記事でつじしまみちこさんを評した際の「謎の救済感」という言葉を取り上げていただいたことですね。

キヅミタさんは「謎の救済感」に代わり、「法悦感」という言葉でつじしまみちこさんを評しています。曲の端々にある解脱する感じとか仏教的な感覚を感じ取ってのものかと思います。これも納得のいく表現でありますが、自分がそう表現しなかったのは単にそこまで連想できなかったというところです。
また、なんとなくではありますが「欲情老人のインプロヴィゼーション」を聴いて一番最初に連想したのが七尾旅人「ルイノン」だったからという影響もあったと思います。
ルイノンは恐らくThe Beach Boysの「You Still Believe In Me」辺りを下敷きとしたチェンバーポップであり、多分に聖歌や讃美歌のイメージを含んだ曲想になっています。ここからの連想が私に救済感という感覚をもたらし、さらにニューウェーブ的に捻くれたメロディーや映像が「謎の」という枕詞をつけたのだと思います。

ここでは「救済」の意味をかなり限定的に捉えて使用していますが、「音楽に救われる」という柔らかい表現にするとより身近に起きることとして感じられるのではないでしょうか。
ここ最近でもいくつかそんな話題を見かけたりしました。

とはいえ音楽による救いについて考えるときには必ずTHE YELLOW MONKEYの「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」の歌詞を思い出したりもしますが。あるのは気休めみたいな興奮だけ。

救いの意味について考えるにつけて、箱の意味もまたどうあっていくのだろうと思ったりもします。
聖歌や讃美歌を箱全体で鳴らす時、それは果たして物理的な意味だけのものなのかと。
なんにも知らないでフラッと訪ねるシチュエーションもそう、教会の装飾や、宗教施設としての存在、あらゆる要素の組み合わせによる救いであり、箱の役目でもあり。
とすると現代でも同じように、場となる箱が音に関わらない事柄によって救いをアシストしたりすることも起こりうることでしょう。
なんにも知らないでフラッと聴いた曲に救われる思いがしたり、ボカロで言えばニコニコ動画が箱となってボカコレやネタ曲投稿祭などの祭りの場として音楽を鳴らしたり。
色んな人の話を聞く限り、少なくとも音楽で救われたような気持ちになる人は今もしっかりとそうして生まれつつあるようです。

教会へ行くでもなく、単純なポピュラー音楽と並列してグレゴリオ聖歌を聴いていると、救いとは何か、そして音楽の舞台となる箱の移り変わりについて思いを馳せたくなります。
2021年の年末、ヘッドホンでもしてそのメロディーと残響に浸るのも中々悪くないですよ。


というわけで以下本編です。多種多様になんとなくスピリチュアルな曲が揃っているような気がしますがどうでしょう。


【初音ミク】ほらね【オリジナル曲】 作:guruponさん(グルグルP)
淡々と輪廻を繰り返すかのような3拍子のリズム、グルグルと表情を変えながら落としどころも無く行ったり来たりするコード、深い残響音が醸し出す神秘的な音響。メロディーはキャッチーさを感じさせる面はあるものの、終始難解かつ現実味を感じさせる虚しさを短調に込めて強烈に響かせた展開は得も言われぬほど不気味。ポップスとしての取っ付きやすさとパーソナルな独自性を並列した曲想はさながらAcross The Universe。そしてなおこの音楽を特別たらしめているのは、この揺蕩うメロディーをさらっと歌い上げる初音ミクの存在を無視することは出来ないでしょう。感情表現も無しに異様に朗らかな、その非人間的な特質を振り撒く歌声はボーカロイドの真骨頂とも言える。全てが噛み合って生まれたこの曲こそ、もしや合成音声音楽の到達点であり、音楽が辿り着いた場所の一つなのではないかと長年にわたり思い続けてきた。そして比する曲の存在しない現在も、その存在感は無意識下に這い回るかのように大きくなり続けているように感じる。


【初音ミクSoft】 Old Dirt Road 【オリジナル】 作:見切り発車P
フレットノイズやビビりの音たっぷりのたどたどしいギターが先導するルーツロック。空間の音が聴こえてきそうなほどに音数の少ない中、パタパタと鳴るドラムが延々と続く道を表しているかのようで、繊細に変化する表現力があるわけでは無いにもかかわらず親しみやすい歌心を感じさせる。そして間を縫うようにベースは丁寧に前後を動き回って楽曲を支える。諦念を醸し出す歌詞は古いブルースのようでいて、かつリズム隊の骨組みから歌を支えるような構造はレトロなソウルミュージック(Stand by Meのような)を想起させるが、初音ミクの歌声は当然のことながらソウルフルなどという言葉とは無縁に淡々としたもの。隙間が歌を強調するソウルとは全く異なるアンバランスさが、むしろ歌声がさらに隙間を強調する構図として個人的には聴こえてくる。そして余計な感情の無さも教訓的なフレーズをさらっと聴けるフレーバーに仕立て上げてくれる。作者はこの後もニューオーリンズ的ビートやトラップ的なリズムを取り入れながら傑作を次々とリリースするが、本作はその指針として作風の基盤を確立したマイルストーンであるように思える。


(さとうささら)Out of the world Ⅱ(オリジナル曲) 作:てんきさん
近年のアニソンの職人的な曲作りから影響を受けつつも、圧倒的に個性的な、そして時には奇想天外なアイデアによる唯一無二のポップスを輩出するてんき氏の代表曲は個人的にこの曲。強烈なベタさと不安定な揺らぎを行き交うメロディーと、ひと癖もふた癖もある曲展開とが組み合わさった結果として、触れれば崩れてしまいそうな落としどころへ着地。編曲は基盤となる部分はシンプルなバンドサウンドだが、クワイアや単音のピアノなど多彩な組み合わせが箱庭的に彩り豊かなイメージを作り上げる。中盤のチップチューン的展開からのカタルシスは、たった数分間に詰め込まれたポップスの存在証明。ブライアン・ウィルソンがなぜたった3分ちょっとの曲をポケットシンフォニーと呼んだのか、その理由と全くの相似形をしている。癖のあるサウンドや展開の繋げ方、そして曲のテーマは肌に合わないという人もいるかと思う。しかし個人の感覚を煮詰めて一曲にぶち込んだ在り方そのものが大変感動的。その感覚を共有できる人にとっては生涯を共にすることができる曲であり、かつ二つとないこの曲世界。どうか届くべき人へ届いて欲しいと切に思う。

次回:過去の名ボカロ曲をレビュー part5の記事

前回:過去の名ボカロ曲をレビュー part3の記事

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