1ヶ月後の自分へ
今僕は、誰もいないこの部屋でこれを書いている。
去年引っ越したばかりのこの部屋は広くて、東京タワーがよく見える。
赤ちゃんができるから、広めの部屋にしようと思って引っ越した。
あれからちょうど一年。
僕は今この部屋に一人だ。
無事に娘が生まれてきてくれて、天使みたいに僕らに微笑んで、時には困らせて、愛ってなんなのかを教えてくれる。
コロナウイルスの騒動が少し大きくなってきた3月の初旬、僕は奥さんと娘を自分の福島の実家に預けることにした。
もちろん、2週間ぐらいで落ち着くだろうし、安倍さんも「ここ1、2週間が勝負。」とか言っててぼくらもそれを鵜呑みにしていたし、「2週間ぐらいで落ち着いたら帰って来ようね」って言って連れて行った。
ちょうどひな祭りがあったので、家で母親にご馳走を作ってもらって、飾りをたててお祝いして写真を撮った。
僕は基本出社義務もなければ、オンラインで仕事できるし、今はコンテンツを作りまくっている時期だったから東京を離れることは特に問題じゃないし、福島と東京の距離なんてたかがしれていた。
一週間ほど福島でwebミーティングとかしながら過ごす。先輩の会社に行ったり、福島の状況も聞きつつ。
でもどうしても大事なミーティングや、外せないと思える会食があり、奥さんと娘を実家に預け、一人東京に戻った。
それが1週目。帰りの新幹線はガラガラだった。
2週目に入り、自粛ムードは見られない。僕も奥さんと娘に会いたいから、アルコール消毒を持ち歩き、必ずマスクをするように心がけていたけど、外出はしなければならなかった。世の中に「テレワーク」という言葉が増えたけど、まだざわつきぐらいの感じだった。
週末、また実家に帰った。正直「仮に僕がもし保菌してしまっていたら??」という不安は頭を巡ったが、奥さんと娘に会いたいし、僕の実家で僕なしで暮らす奥さんの不安やストレスを少しでも和らげてあげたかった。
束の間の団欒を過ごした。本当だったらこの時一緒に帰る予定だったけど、まだコロナのニュースがどんどん流れてきて、世界での感染者数が一気に上がってきて日本もいよいよ、みたいな雰囲気になってきていて、やっぱりもう少し様子をみようか、ということで奥さんと娘は実家へステイ。
僕は月曜からまたアポやらなにやらが入ってしまっていたので、日曜の夜の新幹線でまた東京へ。
また一週間、仕事をこなして(極力家にいましたが)金曜から福島へ。コロナのニュースは止まないし、それでも桜は咲いてるし。娘はめでたく5ヶ月を迎えた。
本当にこんな状況で、5ヶ月という大事な日を迎えられたことは涙がでるほど嬉しいし、実家で母と父と奥さんに死ぬほど愛を注がれながら笑う娘とケーキをたべれたのは感無量だった。
そして22日、最終の新幹線で東京へ戻る。車両には僕一人。
少しずつ東京も感染者数が増えていたし、海外のことがニュースで取り上げられるたび、恐れを感じていた。
僕が過ごす環境も、交通も100%安全とはわからないから、コロナが落ち着くまではもう実家には来ない。」という決断をして僕は家を出た。
もちろんそれは僕にとっても奥さんと娘としばらく会えないという苦しい決断だったし、奥さんにとっては僕なしで僕の実家にいなきゃいけないということだ。仲はいいといっても僕なしで僕の親といつになるかわからない時まで過ごすわけだ。本当に申し訳ない。
そして東京オリンピックの延期が決まり、東京、日本での感染者がいきなり増える。
そして小池都知事から「不要不急の外出は控えて」というどっちつかずの要請をされ、補償やその他先行きも見えないまま様々な苦しい判断は個人に任される。
僕もこのコロナの影響でいろんな仕事がとんだり、やろうと思っていたことができなかったりと仕事の上でももちろん影響は出まくっている。
それでも僕を含め多くの人は、生きるために仕事はしなければいけなくて、例えば「不要不急の自粛」を考えて営業を控えた飲食店と、生きるために営業することを決めた飲食店がいて、生きるために営業することを決めた飲食店は世間に叩かれてしまっていた。集客が必要なライブハウスやイベント、舞台などのエンターテイメントビジネスだってそうだ。
僕が7年前のように舞台をやっていたら、多分先がなかったろう。
でもそれは今の誰かの現実だってことも理解している。だからこそなんとかしたいとも考えている。
日に日に感染者数増加のニュースが入ってきて、有名人の感染報道、twitterをひらけば様々な人がコロナに関する情報や思いをつぶやいている。
東京がロックダウンされるとか、そんなガセ情報も出回って混乱させたり、トイレットペーパーがどこにもなかったり、こんな状況で「おれはコロナだ」とか言うアホが出てきたりしている。
政府は様々な助成金や融資の政策やマスク配布のことなど日々たくさんのことを考えてもらっている。もちろん感謝している。
でも「ここ2、3週間」「あと1週間」「これから」とか曖昧な言葉で期待を伸ばすのはやめてほしい。自粛要請じゃどんどん先延ばしになっている感覚がある。現に今日も東京は車通りが多く、人だってたくさんいる。
明日も明後日も感染者記録を更新するのだろう、と思ってしまう。
NYやイタリアから、恐ろしさを必死に呼びかけてくれる方々の投稿を見ると、2週間、3週間、1ヶ月後の日本の姿なのかと思うと、恐怖しかない。
僕はもう福島の実家に行けない。行かない。
もし僕が保菌していたら、大切な家族に危険が及ぶ。
正しい判断だと思っている。基本家にいる。
ただ、会えないのが本当につらい。テレビ電話のおかげでコミュニケーションはとってるけど、この手に抱っこをして体温を感じることもできない。
奥さんは結婚してから里帰り出産してて3ヶ月ぐらい離れてたから、会えない時間が多すぎる。
仕事の面でも、プライベートでも、様々な変化に対応するしかない。その覚悟もある。
だけど一人の部屋はさみしいんだ。本当にさみしい。コロナが憎い。先が見えない不安と、得体のしれない恐怖が降り注ぐ。
でも我慢するんだ。
僕らの行動一つで、仮に僕らに問題なかったとしても大切な誰かを傷つけるかもしれない。失うかもしれない。
それだけは避けなければいけない。もう人ごとじゃないんだ。
これを乗り越えたら、たくさん旅行して、おいしいご飯をたべて、たくさん遊んで、笑ってすごしたい。
闘っているのは一人じゃない。僕も、奥さんも、娘も、世界中のたくさんの人が闘っている。
たとえ不安になっても、恐怖を感じても、温もりを感じれなくても。
信じよう。一人じゃないことを。
一ヶ月後、みんなが笑っている未来がきますように。
東京タワーは今日も光っている。
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