見出し画像

子どもの可能性は無限大

今更だけど、2月11日(土)、2月12日(日)に田村市で行われた「元気な田村を発信!2日間で体験する子どもミュージカルワークショップ&ショー」について書きます。

ほんとはもうその日のうちに書きたい、みんなにこんなことやったよ!ステキだったよ!って自慢したいぐらいのことだったんですけど!

こたつで寝ちゃうんだよ。

冬場のこたつは最強最悪です。


さて、今回の企画は、国から出された、福島で原発の被災にあった12市町村に対する補助金「被災12市町村における地域のつながり支援事業」という補助金を活用し、地元田村市のNPO団体である、「田村っ子の生きる力を育む会」様に主催して頂きました。

僕の目標の一つであった、地元での演劇。

僕は大学で東京に出て、“表現”に出会い、ハマり、それは僕の人生をつくってくれた。

ただひたすらにわけもわからず夢を追いかけた日々もあったが、それ以上に実りがあったのは、

子どもに夢を教えることだった。


今回子どもたちにショーを教えてくれる講師として呼んだのは、大学時代からの友人、金井麻衣子ちゃんが主催する+new Companyさん。

「演劇と教育を結びつける」という理念のもと、もう立ち上げてから8年も活動を続けている。

ものすごい情熱の持ち主だ。

僕は立ち上げからしばらく関わらせてもらって、そこで沢山の子どもたちに出会った。

そこには、沢山の学びと発見があった。

子どもたちには、沢山のことを教えてもらった。

「友達を大切にするんだよ。」

「夢を持つ事はかっこわるい事じゃないんだよ。」

「お父さんお母さんにありがとうって言うんだよ。」

いつも、教えてたつもりが、それは教えられてた。

子どもに教えるという事は、自分がそれを出来てないとうそになってしまう。キラキラ目を輝かせてくれる子どもたちの目は、鏡だった。

僕はずっと、いつか地元でこの演劇を子どもたちに教えたい。と思っていた。

だけどやっぱりそこには高い高い壁があって。

まず地方はそんなお金だせないし、演劇とかやったことないし、わざわざ東京から来てもらう事もないし。とかとか

自分の学んだ事が地元に還元できないことがもどかしかった。

2011年、震災が起こる。

僕の地元は原発から40キロ。

避難区域にもならず、避難民を受け入れる地域。

11日から1週間ほどたった日、僕は地元に帰ってみた。

そこには、誰もいなかった。

町を歩くと、誰も歩いていない。

車も通っていない。

放射能の正しい情報が伝えられず、みんな外に出る事が出来なかったんだ。

「この町は見捨てられた。」

なんてことを商売をやっている僕のおじさんが言っていたことを今でも覚えている。

ある小学校に、村が丸ごと避難していた。

僕はそこに行き、荷物の片付けや子どもたちの遊び相手に行っていた。

外で思い切り遊べない子どもたち。

それでも元気に走り回ってた。

数日後、その子たちはまた別な受け入れ先に向けていなくなった。

そうやっていくつもたらい回しになっていた。

あの日の黒板に、「がんばろうね。」って一言。

それでも笑顔のこどもたち。

あれから6年かかった。

演劇にはものすごいパワーがあって、沢山の夢と笑顔と勇気を与えられる。

地元に帰って、絶対やると決めていた演劇のワークショップ。

今回、沢山の人の協力で実現したことを本当に嬉しく思い、感謝しています。

最初は不安でした。

果たして地元の子たちが興味あるのか?集まるのか?

でもそんなのはただの取り越し苦労で、たくさんの子どもたちが、思いっきり楽しく元気に学んでくれました。

地元の子どもたちが、こうしてどんどん自分の知らない事や好きなことを学んでいって、広い世界を見てくれることを願う。

そしていつまでもこのたった2日間を思い出して欲しい。

今回来てくれた皆さんには僕の実家に泊まってもらった。

雪の季節で寒くてハードだったと思うけど、うちのご飯を美味しいって言ってくれて、本当にうれしかった。

いつだか、+new Companyのみんなで宮城に行く時に僕の実家に寄ってみんなで泊まったときも思ったけど、みんなが泊まって、ご飯がおいしいって言ってくれて、また来たいって言ってくれる事が、この福島に生まれて育った僕にとってはすごく大きなことなんです。

みなさん本当にありがとう。

最高でした。

また絶対やります。

有言実行。PEACE。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?