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モダニズムとしての民藝——胡桃堂喫茶店の読書会から

東京 国分寺にある胡桃堂喫茶店・胡桃堂書店の読書会「日本の美を読む」第4回に参加しました。これは隔月開催の連続講座とっており、これまで岡倉覚三『茶の本』、夏目漱石『草枕』、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』と続いて、今回は柳宗悦による『民藝四十年』。宗悦晩年の著書のひとつであり、オムニバス形式で彼のキャリアを時代順におった一冊です。そうした意味では集大成とよべる著作。私自身、この数年、柳宗悦は気になってしかたのない人物です。否、冷静にかんがえてみるにつねにその影を意識していたのかもしれません。

なんでも今回の読書会、申込者が過去最高の人数かつ、最速で埋まったようで、今日においても柳宗悦や民藝へ関心が高いことがうかがえます。当日はさまざまな話や議論がかわされたのですが、ここでは私が発言したものと、最近、かんがえていたことをもとにメモをまとめます。

 1: モダニズムとしての民藝
 2: 大拙 —— 宗悦 —— 宗理
 3: あるものに目をむける —— 風土からの形成

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 柳宗悦 相関図(中村 制作)

1: モダニズムとしての民藝
過日におこなったschooでの連続講座『デザインのよみかた』。この準備のため、近代のデザインをあらためて振り返ることになりました。19世紀中盤から20世紀のデザインを振り返れば、そこにおける与党としての存在は、いわゆるモダン・デザイン、あるいはインターナショナル・スタイルとよばれる様式でしょう。ドイツ工作連盟からバウハウス、そしてウルム造形大学。あるいはヴォルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビジュエら近代建築の巨匠たち、それからエミール・ルダーやヨゼフ・ミュラー=ブロックマンらによるスイス・タイポグラフィに象徴されるもの。幾何形態と余白・空間をもちいた抽象的造形とシステム化された構成、ガラスに金属、コンクリートをはじめとした人工素材の使用、土着性・民族性あるいは作家性を排除した意匠なき意匠……これらは、今日の日本をはじめとして、ごくあたりまえの、標準化した日常を形成するデザインといえます。

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 ミース・ファン・デル・ローエによるシーグラム・ビルディング
 ( www.arch2o.com より )

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 エミール・ルダーによるブックデザイン
 ( http://page-spread.com より)

とはいえ、なにもこうしたモダン・デザイン、インターナショナル・スタイルばかりが近代のデザインではなく、野党と表したくなるような様式も存在します。手工藝の回帰と礼讃を提唱したジョン・ラスキンとウィリアム・モリスによるアーツ・アンド・クラフツに、人工素材をもちいながらも有機的造形表現をおこなったアール・ヌーヴォ、幾何形態を使用しながらも装飾的表現にむかったアール・デコ、作家性を主体とした表現主義……などなど。それらのデザインとしての性格がコミュニティを限定する、ある種の内向性を孕んだこともあり、モダン・デザインのように広域で定着し、文脈的・段階的な継承はなかったといえるものですが、各所でこうしたデザインが生まれ、それが多かれ少なかれ支持されたことも事実です。

狭義のモダニズムは、イコールでモダン・デザインを指しますが、このテキストでは広義のモダニズムとして、産業革命以降の世界にたいするアンサー —— Yesばかりでなく、Noとこたえたものもふくめ —— として生まれたデザインを、モダニズムのデザインとしてあつかいます。ちなみに『デザインのよみかた』講座では、これらを区別する意味で、モダン・デザインを与党工業派、これらの各様式を野党工藝派という呼びかたをしました。

日本においては、岸田日出刀の系譜、コルビジュエの流れを組む坂倉準三に前川國男、丹下健三とその門下生たち、日本宣伝美術会らを軸として、その後、東京オリンピックと大阪万博で花開いた面々が、与党モダン・デザイン派となるでしょう。それにたいして野党工藝派となると、まずおもいうかんだのが、柳宗悦を中心とした民藝運動でした。ともすれば、アーツ・アンド・クラフツと同様、手工藝の回帰と礼讃という、産業革命による大量生産を否定した立場ともとらえられかねないものですが、これもモダニズムと仮定することで、私自身、妙に腑に落ちるものがありました。

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 坂倉準三による塩野義製薬研究所
 ( www.hetgallery.com より)

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 河野鷹思によるグラフィックス『NIPPON』
 ( www.pinterest.jp より)

いうまでもなく日本の近代化、そして国際化は西洋化と同意です。明治維新、第二次世界大戦敗戦、19世紀から20世紀にかけおこったおおきな節目にもそれは象徴されています。イギリスを中心としたヨーロッパの産業革命、アメリカによる国際経済・流通を輸入・翻訳し、それに追いつくことが前世紀から語られる国際化社会の実際でしょう。それはデザインの世界においても同様でした。いわば国内のモダン・デザイン派は、いかにして正確な翻訳をおこなうかということが前提となっているでしょう。民藝運動は土着的で、風土に由来する手工藝を発見し、価値づけし、保護し、継承してゆく目的の運動ですので、ともすれば懐古主義的なものかもしれません。

しかし、のちに工業大国となるとはいえ、20世紀前半当時の日本は、まだまだ黎明期。工業よりも手工藝のほうに精度と生産力の軍配があがったころです。アーツ・アンド・クラフツと民藝運動の最大のちがいはここにあるのかもしれません。ケルムスコット・プレスの書物やモリスによる壁紙にもみられる通り、彼らが目指し、好んだものは、技藝の極みともいえるほど手の込んだ、制作作家を限定するものであり、意匠・装飾としても非常に趣味性がたかい、ある種、貴族趣味的なものです。いっぽうで、民藝運動によりひかりがあてられたのは、その地では以前から、ごくあたりまえに作られ、使われていた品々です。つまり、その風土にそなわった素材と、その地の生活習慣をもとに形成されたもの。そうした特性をふまえればアーツ・アンド・クラフツよりも、大量生産と日常にむいたモダン・デザインとの類似点も浮き彫りになります。ともに生活基盤を形成するインフラストラクチャとしてのデザインといえるかもしれません。

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 ケルムスコット・プレス『チョーサー著作集』( 印刷博物館 より)

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 柳宗悦のコレクションのひとつ染付秋草文面取壺
 ( https://synodos.jp/ より)

2: 大拙 —— 宗悦 —— 宗理
民藝運動、民藝、民芸 —— おなじようでいて、これらから想起するものは、それぞれ微妙にことなるかもしれません。民藝にたいする批判をみてゆけば、その対象が様式化し限定されたこと、下手物ともよばれるように精度よりも素朴さ、粗さに価値基準がむいたこと、反作家思考でありながらも民藝運動界隈の作家たち —— 濱田庄司、バーナード・リーチをはじめ河井寛次郎、芹澤銈介、棟方志功が結果として大作家となり、高価な「作品」となってしまったことなど。このあたりは柳宗悦と同世代をいきた、北大路魯山人による辛辣な(同時に私感・感情的な)批判がそれを象徴しています。

たしかに。民藝の根本義が宗悦の著書『民藝の趣旨』にあるように ‘民衆の民と工藝の藝とを取って、この字句を拵えたのです’ であるのならば、それは逸脱したものでしょう。しかし上記の批判も事実、日本民藝館に展示される品々は、高価な藝術作品となっていますし、今日も民藝といえば、いかにも様式化、固定化されたような作品が目につきます。

あらためて宗悦らが民藝運動を興した時代を考えてみます。日本民藝館設立のきっかけとなった『日本民藝館設立趣意書』が1925年、日本民藝協会の設立が1934年、そして日本民藝館の開館が1936年。大正から昭和初期、第二次世界大戦以前のことです。当然ながら、いまとは随分と状況がことなるもの。いずれも近代日本においておおきな転換期となる1945年以前の出来事なのです。生産や流通の体系がおおきく変化した以上、民衆に焦点をあてた民藝というものが差すところもおおきくかわるのではないでしょうか。

民藝のそうしたところを敏感に、かつ丁寧に引き継いだのは子息の柳宗理さんかもしれません。いわずとしれた日本のミッドセンチュリーを代表する工業デザイナー。いっけんすれば、どこか土臭さのある宗悦とは印象のことなる仕事をされています。しかし、時代の産業や流通を前提とし、生産しやすく、手に入れやすい日用品の数々は、現代の民藝とよぶにふさわしいものではないでしょうか。

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 柳宗理カトラリー( www.prokitchen.co.jp より)

柳宗理の代表的な仕事であるカトラリー。フランスやイタリアのものであれば、コース料理のそれぞれにあわせ使い分ける、数多のカトラリーが用意されることでしょう。宗理のものも複数種ありますが、なによりひとつずつのフォークとスプーンで、スパゲティもスープもカレーライスも食するような、日本の洋食に最適化されたデザインとなっているようにみえます。ほかにもバタフライ・スツールや片手鍋、ボウル、薬缶など、宗理の仕事には、そうして現代の日本の暮らしに適ったものが目立ちます。宗理の仕事をあらためてみるに、父 宗悦の思想を、時代にあわせデザインというモードに変換し、あらたなフェイズに導いているともみえやしないでしょうか。宗理が執筆した『民藝』誌のコラム「新しい工藝・生きている工藝」には、化学実験用蒸発皿やデニムジーンズなどが紹介されています。モダン・デザインが与党となり、定着した時代における民藝というのは、ひょっとすると、こうしたこのなのかもしれません。行為としての民藝運動と、ものとしての民藝のあいだにはたしかなちがいがあるように感じます。

現在では民藝の人物として知られる、柳宗悦。彼のキャリアは宗教哲学者としてはじまります。学生時代のウィリアム・ブレイク研究にはじまり、プロテスタント、カトリック、神秘思想と、西洋の宗教を経て大乗仏教 —— 禅、浄土、浄土真宗と、かずかずの宗教に触れてゆきます。それは宗教ボヘミアンのような状態ではなく、それらすべてを融解し、咀嚼しながら、独自の思想体系を形成してゆく過程でありました。この背景に鈴木大拙がいることは間違いないでしょう。宗悦が学習院に在学した際、英語講師として出会ったのが大拙でした(ちなみにドイツ語講師は西田幾多郎)その後も、生涯にわたりふたりの関係は続きます。

鈴木大拙といえば、アメリカをはじめ海外において禅、それから東洋思想をひろげた人物。分別と個人、論に基づくキリスト教的価値観と、色即是空空即是色、未分明、経験の東洋思想。西洋初の価値観が世界を取り巻くなか、東洋とのちがいを明解に説いたひと。こうした大拙の思想を、運動として具体化したのが柳宗悦であったのでしょう。大拙 —— 宗悦 —— 宗理。こんにち手にできる、完成度のたかい「あたりまえ」のデザインの背景には、こうして三代にわたる思想の熟成があるのかもしれません。


3: あるものに目をむける —— 風土からの形成
民藝運動は実際におこなわれた具体的な活動であり、そこからは民藝というかたがうまれました。いっぽうで、宗悦自身が宗教哲学者であったせいか、その思想はある種の抽象性をともなっており、現在でもじゅうぶんに有効なものではないでしょうか。

‘あるものに目をむける’ これは今回の読書会のなかで、ある参加者のかたがおっしゃった印象的なことばです。胡桃堂喫茶店・胡桃堂書店の読書会でこれまで扱われた、岡倉覚三『茶の本』、夏目漱石『草枕』、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』、そして柳宗悦。いずれも、文明・文化が輸入され定着しようとしたとき、自分たちにあるものに目を向けた行為であったといえます。それは文明や文明、そして生活であり、それらを育んだ風土に基づくものです。20世紀のはじめに宗悦の打った杭は、近代日本における基点であり、それはおよそ100年を経ようとしている今、あらためて立ち返るところのひとつなのかもしれません。


23 May 2018
中村将大


|補足1|
今回の読書会にあわせ柳宗悦の人物相関図を作成(上記図版)。レジェンタリーな人物ゆえ当然とはいえ、近代の重要人物と脈々とつながる様には興奮を覚えずにはいられなかった。

|補足2|
胡桃堂喫茶店・胡桃堂書店の読書会は現在、月一回開催中。奇数月と偶数月でテーマが異なる。偶数月は店主 影山知明氏による「ミヒャエル・エンデを読む」シリーズ。偶数月は今田順氏による「日本の美を読む」。

|補足3|
ちなみに7月に開催予定の第5回「日本の美を読む」テーマは和辻哲郎『風土 —— 人間学的考察』完璧な流れである。

|補足4|
以前noteの記事にも書いたとおり、私自身をデザインに引き込んだのは柳宗理さん。大学時代から東洋思想が気になりはじめ、社会人数年目で鈴木大拙に触れるなか、柳宗悦との関係を知る。なんだかこの界隈でぐるぐるとしている気がする。

|補足5|
福岡 工藝風向の店主 高木崇雄さんのエッセーにみる柳宗悦・民藝観が個人的に、もっともしっくりくる今日的な民藝の解釈。

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