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いきそうでいかなかったハワイへ

このところのキラウエア山の噴火活動をはじめとして、カウアイ島でも今年4月に豪雨被害があり、ハワイ関係のニュースを頻繁に耳にするようになりました。ちょうど一年前、友人夫婦の結婚式に参列するため、カウアイ島に一週間ほど滞在していましたから、不思議な心持ちでもあります。

そんななか、帰国後すぐにまとめ、そのまま忘れていたメモを過日、偶然にも発見。漠とした、なんということもないただの旅行記ですが、これを機としてnoteに公開します。

 01|いきそうでいかなかったハワイへ
 02|世界の熱海 —— Daniel K. Inoue International Airport
 03|アメリカのパブリック・デザイン
 04|Lihue Airport からGarden Island, Kauai へ
 05|ポリネシアン建築の文脈
 06|Living in Kauai
 07|まとめ: 予想外のことはなにも起らない

01|いきそうでいかなかったハワイへ
いきそうでいかないところへゆこう —— 自分自身のテリトリーをひろげる体験はやはり独特の高揚感をともなうし、そうして得た経験は身体化された特別な記憶となる。

いきそうでいかないところ、つまりは見聞きしながらも断片的にしか知り得なかった場に、実際に身を投じる。そうした意味で私にとってハワイはまさにそのものだった。周辺でハワイをおとずれたひとはかなりの数にのぼるし、出不精極まりないうちの親族でさえ、二代にわたりハワイ旅行を経験している。と、なると日本人がハワイへゆく確率というのは相当なものであるのだろう。むしろ、なぜいままでいったことがなかったか、あかんやんかと、逆に不思議なこころもちにさえなった。

そんななか、大学時代の友人からハワイはカウアイ島で挙式をあげるご案内をいただいた。考えるより、さきに行動する性格がゆえ「あー、いいね。いくいくー」というあまりにも軽すぎるノリのふたつ返事。はじめてのハワイで、はじめての離島。ひさびさにパスポートを取得し、なんの前準備もないままハワイ入りすることとなった。仕事を15:00すぎに早退、新宿駅にむかう途中、アメリカドルに換金するやいなや、成田エクスプレスに飛び乗り、18:00成田発のデルタ航空機に搭乗……という、いささか無謀なスケジュールでもって。

02|世界の熱海 —— Daniel K. Inoue International Airport
日本からカウアイ島への直通便はでておらず、成田空港からホノルル国際空港あらためダニエル・K・イノウエ国際空港を経由することになる。ちなみにダニエル・K・イノウエは日系二世でありながら、ハワイ州の上院議員をながらくつとめた人物。アメリカにおける日系・アジア人としては最高位の経験者だそう。第二次世界大戦では伝説的な兵士でもあったらしい。そんな彼の偉業をたたえ2017年よりホノルル国際空港は名称をあらためた。ナリタからイノウエ。外国にむかう感覚が著しく薄れるのだけれども、どうじに親近感もおぼえる(ちなみにダニエル・K・イノウエの日本名は井上健。日本人である父 井上兵太郎は福岡県八女市出身ということで、私の出身地のとなりまち。むかいの飛行機でウィキペディアをみながら、親しみがぐんぐんと増したのだった)

事実、ハワイには日系人が人口の3割程度を締めるそう。国際空港という必然的に多国籍、人種のるつぼとなる場で実感したのは、在日アジア系のひとびとよりも、日系ハワイのかたには、ずっと親しみをおぼえるというか、完全に日本人そのものの外見をしていること。そんな彼らがコカコーラ缶片手にカタコトの日本語で入国審査をしてくれる。小太りで白髪まじりの角刈り、厚いシルバーフレームの眼鏡をかけた、いかにも日本のお役所にいそうなおじさんが「ヒトリデキタノ?」「ナンニチイルノ?」「ドコニトマルノ?」「ナニシニキタノ?」「ナマモノモッテナイヨネ?」と矢継ぎばやに訪ねてくる。おもわずこちらも「はい!ワン・パーソンできました!」「イエス!フォー・デイズです!」「シェラトン・カウアイ・リゾートに泊まります」「マイ・フレンドのウェディング・セレモニーにアテンダンス!」「ナマモノォウ!なぃいです!」と英語、カタコト、日本語まじりのルー大柴状態でアンサーしてゆく。年齢と職業のわりに海外経験が極端にすくなく、かつ英語の不得意な自分にしてみても、ハワイはよっぽどイージーな海外であることがわかる。そんなことは、とっくに常識のようで空港内は日本人だらけ。みなすでに緩みきったリゾート・モードになっており、その光景は夏の熱海のそれと寸分ちがわない。

空港の空間はハワイならではのビーチや山を彷彿とさせる素材感 —— 木・石をふんだんにもちいながらも、空間構成やディテール、各種意匠がチャールズ&レイ・イームズやミース・ファン・デル・ローエを連想するようなデザインとなっており、そこにアメリカのモダニズムの基準があることが納得させられる。よく海外旅行の際「国臭」を感じるというはなしがある。その国特有の香り(ハワイではココナッツやヴァニラのかおりがそこかしこにただよっていたし、フランスはロマンティックな香水のかおり。デンマークは甘いパンが焼きあがる香りとコーヒーのにおい。そして、日本のそれは醤油らしい)があるとされるが、建築物をはじめデザインもまた、生活者にしてみれば無意識レベルで浸透している様式があるのだろう(日本の場合、いったい誰の様式にみられるのか、それが気になるものなのだが)

03|アメリカのパブリック・デザイン
アメリカ合衆国においてパブリックな場面で使用されるスタンダードな活字書体Helveticaないしはそれに準じたものである。ここダニエル・K・イノウエ国際空港もその例に漏れず、Helvetica系活字によるサイン・デザインとなっていた。個人的にHelvetiva はチューリッヒ・スタイルをはじめとしたヨーロッパのモダニズムの香りはもちろん、それ以上にどこかアメリカ合衆国の印象を受ける節がある。とりわけミッドセンチュリーモダンの。

そうした意味ではやはりここもアメリカなのだな……と理解(最初の印象が熱海だったのはここでですこし補正された)とはいえ、私がこの時点でアメリカを感じた濃度というのは、せいぜい米軍基地のあるまち、福生や沖縄程度のもの。ようはアメリカの水割り状態。トイレのピクトグラムがアロハシャツやムームを着用しているリゾート特有の微妙なギャグ・センスに脱力。ジェットラグもあいまってくらくらしながら荷物を受け取り、すぐさま国内線ターミナルへむかいリフェ・カウアイ空港へ乗り継ぐ。およそ40分程度のフライトでカウワイ島へ。


04|Lihue Airport からGarden Island, Kauai へ
カウアイ島はハワイの最北端に位置する、直径およそ50km程度のちいさな島。ハワイの島群のなかでの形成時期はもっともふるいとされ、現在もゆたかな自然環境がのこり通称 ガーデン・アイランドの異名をもつ。映画『ジュラシック・パーク』のロケ地であった、といえば、ここがどんな場なのか理解しやすいかもしれない。観光客全体で日本人のしめる割合は、なんとわずか1パーセントとのこと。アメリカ本土の白人層がおとずれる機会が圧倒的におおいようだ。そんなわけでイノウエ熱海空港から、ようやく海外入り、という心持ち。

空港ではタクシーは常駐しておらず、1機のみ用意された専用のチープな電話機でよぶこととなっている。これが英語下手には結構なハードル。Google検索を駆使し、どうにかこうにか。数分後、大型のワゴン車で小錦そっくりのおばさんが「Nakamura San !」とピック・アップしにきてくれた。白い二車線のみの道路。両脇にはひたすら緑あざやかな樹々がつづく。遠くにはながいながい丘。時折、ファスト・フード店やガソリン・スタンドが顔を出す。強烈な陽射し。まさにアメリカの田舎街というおもむき。スピードをあげるタクシー。その風景にはヴァン・ヘイレンをはじめとした、ベタベタのアメリカン・ロックがあまりにもしっくりとくるもの。ああ、こうした風土だから、ああした音楽になるのだな……と至極当然のことにきづかされる。ちなみに数日間の滞在のなかで気づいたのは、案外、ハワイアンやビーチボーイズといったいかにもなよりも、この風土には山下達郎や高中正義あたりがBGMとしてハマるんじゃないか?ということ。エイティーズAORカルチャーにより教育されたハワイ像はまんざら間違いではない。景色が色面分割される心持ち。ダン ダン ダン ダンッ(ブゥウン)ジョーーディー。

車窓からの風景には、なぜか鶏が目につく。なんでもカウアイ島は1992年にハリケーンによる甚大な被害があり、その折、破壊された養鶏所から逃げ出した鶏が野生化したそうで、現在ではいたるところに野良鶏がいる。カウアイ島はガーデン・アイランドとともに「チキン・アイランド」という異名もあるのだそうだ。家畜が野生化するという、なんとも不可思議な現実は、ケンタッキー・フライド・チキンのまえを列をなしてあるく鶏たちのシュールな固有の光景をつくりだしていた。

道の先には海。ようやく宿泊するホテルに到着。下車した途端、アロハシャツを着たホテルマンに貝殻のレイをかけられ、その姿でチェックインをおこなう。おもえば仕事あがりでそのまま成田にむかったこともあり、こちらは白いボタンダウンシャツに革靴、なんとも似つかわしくない格好で貝殻を首にぶらさげつつ、書類にサインする。

05|ポリネシアン建築の文脈
カウアイ島ではヤシの木より高い建物はつくってはいけない —— なんともハワイらしいおおらか、だけれども自覚的な意思をもつルールがあるそうだ。リフェ・カウアイ空港は平屋状の建造物であったし、宿泊したシェラトン・カウアイ・リゾートもまた、こまかく4階建て程度の建物が点在しているものであった。ショッピング・センターも大概は2階建ての建物。樹々のあいまをぬうように建物がたっている。空港や宿泊施設というアイコニックな建造物は、いわゆるポリネシアン建築の文脈をうけついだ、あるいは引用したものである。三角屋根の低層建築。半屋外状態の中間領域が豊かにあり、風通しのよい、自然光がよこにながれる空間。それは日本の伝統建築ともどこか共通しており、身体的にしっくりとくる心地よいものであった。沖縄の建築もそうだし、やはり高温多湿な環境では建築物はこのように最適化されてゆくのだろう。

06|Living in Kauai
現地時間6月13日 火曜日の朝から17日 土曜日の早朝まで四泊五日、カウアイ島に滞在した。後述するとおり、初日に怪我をしたこともあり、さすがにアクティヴな活動はひかえたのだが、それでもフィールド・ワーカーのスイッチがはいり、近隣のショッピング・センターやスーパーマーケットを徘徊してはいた。びっこ引きながら。

08|どこまでもあるひと気
ガーデン・アイランドの異名どおり、カウアイ島は樹々にあふれている。ヤシやハイビスカスはもちろん、モンステラ、ゴクラクチョウカ、コキオ、それからショウガの花……などなど、温室植物園でおなじみの色鮮やかな植物がごく普通に茂っている。そして足元には緑の芝生。まさに植物園そのものが公道にある。白い道路にわずかな芝生をはさんで、ほそい歩道。その反対側にはグリーン・ウォールとよびたくなるように樹々がつづく。野生のトカゲや蝶は当然のようにその周りを漂っている。

そして、その植物いずれもが丹念に手を入れられていることにおどろく。早朝に散歩をしていた際、気づいたのだが、道には点々とスプリンクラーが設置されており、定期的に水を撒いている。また自動車型の芝刈り機で芝は常時整えられており、おそらくは樹々もそうなのだろう、かたちが一定にそろい、落ち葉や枯れた花も路上に落ちていることはほとんどなかった。雄大な自然ではあるが、こうしたひと気はどこまでいっても感じるものだった。

日本であれば —— それはハワイ以外であれば、かもしれない —— ひと里はなれた田舎町であれば、ひとの手がはいっていない、あるいはいれようもない、ほったらかしの植物が生い茂っていたり、ときには倒木さえもそのままになっていたりするのだが、ガーデン・アイランド カウアイ島ではそのようなことはなかった。樹々と海のあふれるものでありながらも、そこはどこか、横浜みなとみらいや丸の内仲通り、あるいはイオン・モールのような、人工的な質感をおぼえた。

このあたりが、グリーン・アイランドではなくガーデン・アイランドとよばれる所以なのかもしれない。鈴木大拙の著作のなかに、自然を人間化するのが西洋、人間を自然化するのが東洋……という一節があったことをおもいだし。

安全の感覚
さて、初日。ホテルにつくやいなや、シャワー・ルームで転倒。腰を強打したのだが、そこで日本とはことなるアメリカの安全感覚にも気づかされた。この転倒は滑り易いバスタブと、力強く操作しなければいけない蛇口やシャワーの機構により引き起こされたのだが、その感覚は、事故を未然に防ごうとする日本のプロダクトのそれではなく、万一、事故が起っても、壊れない、頑丈にできている安全性というものをつよく感じさせた。散歩中。潮や泥まみれになりながら、豪快にはしるアメリカ仕様のトヨタ車を頻繁に目にしながら、率直に安全のとらえかたのちがいをおぼえたのであった。

マズカワの発明
カウアイの料理を端的に表現すれば、大味。そして常識はずれの量ででてくる。そして大概の料理の色は茶色だ。ときとしてそれには、食品ではめったに目にしない原色の色彩がふんだんにコーディネートされる。甘い塩っぱいは過剰だ。どうも、この手の料理との親和性に著しく欠ける私は、今回のハワイ行きがきまったころから、クワアイナやブルックリンパーラーなど、ハワイそしてアメリカ料理を提供するレストランで極秘トレーニングをおこなっていた。その際は率直に「まぁ、数日なら問題ないんじゃない?」と楽観的にとらえていたが、はたしてどうだったか?あかんかった(余談であるが、カウアイ島から成田にもどり、その足で青山 ブルーノート東京にてビル・フリゼールの来日公演を観る、という無謀極まりないスケジュールを実施した私は、ふだんならアメリカンな味、としてしか認知していないこの料理たちをとてつもなく上品美味と感じ感動を覚えたのだった)

ようするに日本のハワイ料理、アメリカ料理の類いは当然ながらきちんと日本人のクチにあうようにチューニングされている。量も味も。

せっかくなんで、ゴテゴテしたパンケーキの写真を映え映えInstagramにアップしたろうと、意気込んで入ろうとしたスイーツ・ショップ。しかし、そこからでてきたガタイのいい若者の片手にあった、笑点の座布団のごときパンケーキと、それど同量、否、それ以上の
ヴォリュームに満ちた生クリームがほどこされたものをみて、あっけなく勢いを喪失。これに限らず、素人はやめときな感あふれるハワイの料理には常に食傷気味でもあった。ほかにも2kgはあるステーキや、スターバックスでもベンティサイズかつココナッツ・シロップ増し増しで提供されるアイスド・コーヒー。「うちのは胸肉だからヘルシーよ」と店員に自慢げにかたられた山盛りのフライド・チキン……自分自身、食はふといほうだと自覚していたが、おそらく現地の5歳児のほうが倍はたべているはず。それでも、なぜだかイヤにはならない不思議な魅力はある。そう、どこか陽気で愛想がいいのだ。

そんなわけで私をはじめ、現地で合流した面々はブサカワのごとき「マズカワ」と命名し、彼の地の料理を愛でながら、日々、キッズ・サイズのハンバーガーを頬張っていた。

07|まとめ: 予想外のことはなにも起らない
いきそうでいかなかったハワイ。今回、離島とはいえ実際におとずれ、滞在してみて実感したのは、予想外のことがなにもおこらないというものである。つまり国内の『Hanako』や『OZ Magazine』らの情報誌やテレビをはじめとした各メディアで展開されるハワイの情報は、このうえなく正確であり、日本人は平均的にハワイにたいする習熟した教育をうけているといえる。すべてが既視感をおぼえるほど想像通り。

それはリゾート地、そして観光地として、ひとつの上質なホスピタリティといえるのだろう。「自然がのこる」とされるカウアイ島も、どこまでもひと気をおぼえるほど整備されており、あたかも巨大なテーマパークにいるような錯覚さえもおぼえる。そう、ここは横浜みなとみらいと同様、ひとつの施設なのだ(その縮小版としてハワイアン・センターがパッケージ化されることも腑に落ちる)浦安ランドでキャラクター・グッズを身につけるように、ひとびとはアロハシャツをはじめとしたハワイアン・リゾート・スタイルに身を包み、チルアウトする。朝からビール片手に飲んでくつろぐ様は、まさにテーマパークのお父さんそのもの。ああ、カウアイ、ええわい —— 温帯気候でふやけてのびきった身体と脳味噌でぼそりつぶやきながら、ハワイのカウアイ島を楽しんできたわい。


8 June 2018
中村将大

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