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タイで乳がんになった②


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●2011年4月、東京で再検査となる
 
2011年4月、バンコクに住んでいた私は、震災の名残が続く東京で、乳がんの再検査を受けた。これまで見たこともない太い針金のようなハリで細胞を吸い取られる。ものすごい痛みだ。こんなことで泣き言を言っていてはこの先思いやられるとはわかっていたが、涙が出て来るほど痛い。
検査結果が出るまでバンコクには戻らず、東京のホテルで待機することにした。
これからの治療についても先生に聞いておきたいと思ったからだ。
 
●蛍光灯の下で息子は受験勉強をしている
 
もともとは来年の受験準備のスクールに通うための帰国である。可愛そうに、息子は友だちもいない中、見ればぽつんと薄暗い蛍光灯の下で必死に問題集を解いている。食事に出かけようにも夜には早くにお店が閉まるし、そもそも私は不安で全く食欲がない。受験を控えた息子との会話ももちろんまったく弾まない。
 
●余震が続く夜中、強く不安に襲われる
 
夜中にはときどき余震が来てただでさえ不安な私はますます心細くなる。これからどうなるのかな。これまで元気にやりたいことに突き進んできたので、こういうアクシデントには弱い。何もわからない、何をすればいいのかな、私の病気(程度はわからないが、乳がんの疑いがあるということは再検査のときに医師から聞かされていた)は治るのかな。受験を控えた息子とのバンコクでの暮らしはどうなってしまうのだろう。
考えなければならないことと考えても仕方がないことが頭の中で交差し、震災の影響を懸念して東京から移動した人の話も耳に入ってくる中、相談できる人もいない孤独のただなかにいた。
 
●数年前に乳がんで逝った親友を思う
 
その数年前、私はとても親しかった友だちを乳がんで亡くしている。彼女とは一緒にたくさん仕事もし旅行にも行き、何度も彼女の家で食事をご馳走になった仲。発病してから彼女は入退院を繰り返し、数年のうちに帰らぬ人となった。息子を連れて何度もお見舞いに行ったことや、元気だった頃の彼女の顔もちらついてくる。ときどき心の中で「さっちゃん、どうしたらいいのかな」などと話しかけたりもしながら数日を過ごした。
 
そして検査結果を聞く。やはり乳がんだった。早期発見だったため、幸いステージは軽いが、これから息子の中学三年生の新学期が始まる。どうしたものか。
暗い東京で暗い気持ちと身体を抱えたまま、息子とバンコク行きの飛行機に乗った。
 
今日はここまで。明るい展開にならずにごめんなさい。
まだまだ乳がん日記は続きます。
乳がんがあったからこそ完成できた「824 月明かりのロンド」もよろしくね。

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