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私にとっての「死」とは

このアカウントになって初めてのnoteがこの話題というのも、ちょっと重い感じがする。
ただ、今日久しぶりに気持ちが揺れてしまったので、それを整理する意味でも、つらつらと書いていこうと思う。

今朝、長らく祖母が入院している病院から電話があった。
もう認知症もひどくなり、意思疎通はもはやできなくなっている祖母。
たびたび熱も出し、口から食べることも難しくなっている祖母。
電話を見た時、もしやその時が来たのではないか……
嫌な予感が、その時胸をよぎった。

幸い、そういった話ではなかった。
しかしそこから、しばらく人の「死」について改めて考え込んでしまった。
人の死に直面することを、私は怖いと思ってしまった。


私は、小学生の頃母方の祖父を亡くした。
私にとって初めての身近な人の「死」だった。
そこでしばらくメンタル的に崩れた後、私は人の「死」について興味を持ち、医師を志すようになった。
(この話はいずれどこかで……)

医師を目指すようになってからは、主人公が医師だったり患者さんだったりの小説も欠かさず読むようになった。
死生観を確立するために、哲学書に近いものを読むこともあった。
とにかく、生きることや人の生き様について、考えを巡らせることが多かった。
おかげで大学受験の際、ある程度考えがまとまっていたおかげで返答に困ることは少なかった(笑)

自分では、もうある程度死生観についてぶれることはないだろうと思っていた。
でも、それは全然甘い考えだった。

死は誰にでも必ず訪れるものだ。当然私にもいつか来る。
それ自体は怖くないのだ。
むしろ、死に向かう経過を身をもって経験できることが、少し楽しみでもある(誤解を生みそうな発言だが……)

でも、近い将来医師になる私にとっては、もう一つあるのだ。
それは、「死とは自分が宣告するもの」ということである。

実習を経験してから、自分の「覚悟」がいかに甘いものだったかを痛いほど思い知った。
たくさんの患者さんにお会いした。
お看取りに立ち会わせていただいたことも何度かある。
講義の中で、死亡診断書を書く練習もした。

そんな経験をさせていただいてようやく、私は、自分が真の意味で人の人生の幕を下ろすことになるのだと気付いたのだ。

私が怖いと思っているのはそこだ。
自分はそう遠くない将来、いつかは死亡宣告をする立場になる。
どんな患者さんかは分からないけれど、どこかで、その方の人生の最後に深く関わることになる。

こんな私が。
できるのか?
人生の最後に、幕を下ろさせていただくに足る人間に、私はなれるだろうか。
こんな重いプレッシャーを、私は背負うことができるのだろうか……?


私は人の死に相対するのが怖い。

いつか人の最期を看取らせていただく、
その重い責任を全うすることができるのか、それがとても怖い。

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