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瀬織津姫神さまについての考え方➁

佐藤シューちひろさん

のお話です

(中略)

大和朝廷は父系制の渡来の民族で、それが土着の縄文民族を征服していって、国を作っていった。そのときに縄文の女性首長と和合のために婚姻を結んだらしい。最初のうちはそれは対等な関係だったのだけれど、それが歴史を経るごとに大和朝廷が縄文民族を服属させるような関係性になっていって、縄文の女性首長は人質みたいに大和朝廷と婚姻を結んで、縄文の民に従ってくださいという役になっていったというのだ。
つまり、私たち日本人は天皇の中に、人質になっている縄文の首長を重ね合わせているということになる。支配された犠牲者のスタンスを、天皇制は日本人の集合意識の中に組み込んでいるというのだ。


国譲りという嘘

古事記に出てくる国譲りというのもまさにそれだった。神武天皇が東征を始めると、ニギハヤヒや大国主が出てきて、国を譲ったとある。譲ったということは、神武天皇が最初の天皇なのではなくて、その前に国があったのだ。ところで古事記をよく読むと、これはニギハヤヒたちが自分から譲ったなどというものではないのが読み取れる。国譲りの前に、神武の軍が地元の首長たちを和合の宴だといって招いておいて、酒がまわったところで突撃していって全員斬り殺してしまったという話がある。ヤマタノオロチ退治の話も、実はこういうことだったと言われている。退治したのは大蛇の化け物ではなく、8つの頭とは、8人の首長のことであり、その首長たちが治める土地を征服したということだった。そのような暴虐を受けたあとで、被害をこれ以上出さないためにはもう従ってしまうしかないと思ったのだろう。それで国譲りということになったのだ。
瀬織津姫は、もともと大地母神のような重要な女神だったらしい。天照大御神は本当は女神ではないという話があるけれど、ニギハヤヒと瀬織津姫を一緒にして封じ込めるために天照という女神を作ったんじゃないかという説もある。饒速日とは太陽という意味だし、もともと太陽信仰を持つ大陸系の父系的な民族らしい。ニギハヤヒの頃には、縄文の民との婚姻は対等なものだった。それがイザナギとイザナミの婚姻の話なのかもしれない。古事記でそれが女が先に言ったのはよくなかったという話になっているのは、縄文の女神を封じ込めるために後からつけ加えられた話だったのだと思う。
西洋では聖書が支配のためにメチャメチャに改ざんしてあるけれど、日本ではこれと同じなのが古事記だ。聖書も古事記も、あちこちの記述が矛盾しまくっていて、後に支配者の都合のよいように改ざんした書物だということがよくわかる。古事記は藤原氏の時代に編纂されて、これを貴族たち全員にこれが日本の歴史だといって暗記させていた。それは大和朝廷の支配を正当化するために他ならなかった。

縄文の神々を祓う女神にされた瀬織津姫

瀬織津姫が出てくるのは、大祓祝詞だけで、そこで祓いの女神の一人として登場する。ところで、大祓祝詞というのは「荒ぶる神を祓いたまえ」と言っているのだから、明らかに縄文の神々を祓うためのものなのだ。これを作らせた藤原氏は、縄文の神々に祟られる理由がいくらでもあった。縄文の山人族たちが本拠地としていた鉱山を坂上田村麻呂に征服させていたからだ。彼らは山人族たちを鬼と呼んでいて、捕らえた鬼たちを復活しないように八つ裂きにして別々なところに埋めていた。そんなことをしていたから、平安京は魑魅魍魎に祟られるようなことになったのだろう。それを祓うためにこしらえたのが大祓祝詞であり、柏手をたたくという作法だったらしい。瀬織津姫はその大祓祝詞に登場して、すべての罪を洗い清める女神だというのだから、都合のいいことこの上ない。
私が瀬織津姫に出会うことになったきっかけは、最初に六甲の磐座に行ったとき、封じ込めがひどいのが気になったからだった。昔からの封じ込めもあれば、現代のものもあった。とりわけ関西電力の高圧線が磐座のところを通っていて、電線から出る電磁波で磁場がめちゃくちゃになっていた。
あれを何とかしなければ、日本は変わっていけないんじゃないかと思ったのだ。だから、いつか六甲の封じ込めを解こうと思って、山好きの友達に頼んでこれはという場所を探してもらってきた。彼女が見つけ出してきてくれたのが、六甲比命神社の磐座で、ここに祀られているのが瀬織津姫だという話だった。

瀬織津姫の封じ込めを解く


2018年に磐座ツアーといって15人くらいでその磐座に行ってきた。最初はただ大きな岩壁があるだけのように見えたし、波動もどよんと重かった。中心になるポイントを見つけて、皆でそこに輪になってエネルギーを感じ取ってみると、地下に黒っぽい存在がいるようだった。鬼女のようなみにくい女性のようにも見えた。正直言って、これを外に出していいのかと思ったくらいだけれど、これも封じ込めのせいなのだ。縄文の神々は鬼だ悪魔だ化け物だと言われて封じ込められてきたために、オドロオドロしい姿に見えることがある。
それで、皆で地下に意識を合わせて、そこにいる存在にどうか出てきてくださいと念じてみた。その存在は、みにくい姿を見られたくないと言っているように思えたけれど、それでも出てきてくれた。出てきたら、これまで私たちが知らなかったものすごく大きな何かになったようで、私たちはそれが何なのかもわからないまま、ただとてつもない力が出てきたという思いに圧倒されていた。
すると、さっきまではただののっぺりした岩壁に見えていた磐座が、実は巨大な女神の姿だったということに気がついたのだ。岩壁の上には、二つの大きな丸い岩がのっていて、それが巨大なヴィーナスの乳房のように見えた。
磐座の封じ込めを解いたとき、よくそういうことがある。それまでモヤがかかったように思えていたものが、急に霧が晴れて形が見えてくるようなことが。
瀬織津姫といったら祓いの女神で、水の流れと関係のある女神だろうくらいの認識しかなかったのだけれど、これは何と巨大な大地母神のような女神だ。地球そのものと言ってもいいかもしれない。それが地上の生き物たちのすべてを守り養っているその力そのものだと思った。


瀬織津姫は宇宙根源神だったのか?

そのツアーのときに撮った磐座の写真を使って、この巨大な大地母神としての瀬織津姫のエネルギーに繋がり、それを集合意識に送り込んだらいいのではないかと思ったのだ。とにかく日本が同調圧力に流されるのをやめて、一人一人が自立して判断することができるようになるには、西洋風の権利意識などではなくて、何か別の力が必要なのだ。それを瀬織津姫は与えてくれるのじゃないかと思った。おそらくは、まさにそのために瀬織津は封印されていたのだ。日本の人々を支配可能な状態にしておくために。
それで、2月6日の世界を変える魔法セッションで、皆でこの磐座のエネルギーと繋がってみた。すると驚いたことに、見えてきたのはもはや大地母神の姿というよりは、宇宙的な女神の姿だった。岩の上から美しい女性が飛び出してきて、宇宙へ飛んでいったように思えた。地球の大地の女神でもあるのだけれど、宇宙の女神でもある。何かとても根源的な感じの存在で、インドのサラスヴァーティのような宇宙を生み出す根源神だという気がした。
またしても、とてつもない存在が出てきたと思った。この女神は、一瞬で宇宙を破壊もできれば、新しく生み出すこともできるのではないかと思えた。それほどとてつもない力が外に出てきたのだという思いがあった。

縄文時代の日本では、人々はこんな存在とともに暮らしていたのだろうか?縄文時代のみならず、平安時代の頃までの縄文民族は、こんな女神に守られて生きていて、それ以降も東北の方ではこの存在を知っていた人々が生きていたのだ。これが日本の本当の姿だったのだろうか? それはまだ出てきたばかりで、何と形容していいのかもわからないくらいなのだけれど、これまで想像もできなかったようなとてつもない力であることは確かだった。



わたしには、アセンションとか、

まったくわかりませんが、

解放、ネガティブ、ポジティブ、操作、など
なにか、独特です

しかも、ブログで読んだことのある、
バシャールとか
その言葉にとても近い

蛯原春比古さんのお話で

わたしは、納得したことがあります。
シェアさせていただきました。

『スピリチュアルなセオリツヒメ』

〜セオリツヒメは穢れのビジネス?!

『倭姫命世記』、

『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』、

『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』、

『中臣祓訓解』においては、

伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が

「瀬織津姫」であると記述されていて、

荒祭宮は御稲御倉、外幣殿を越えて、
石段を下りると正宮の北方、
やや小高い所に鎮座しています。
正宮に準じる第一別宮となっていて、
神位が高く、
天照大神の荒御魂と解釈されています。

日神(太陽神)であるアマテラスは、
太陽が昇るたびに、
五十鈴川の水を潜って内宮に鎮座する。
これを毎日繰り返しているわけですから、

荒御魂(土中にいた時、つまり夜の穢れ)を

荒祭宮にその穢れを置いてくるんですね。

【天照大神】

『古事記』においては、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が

伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る
黄泉の国から生還し、

黄泉の穢れを洗い流した際、
左目を洗ったときに化生したとしている。

このとき、右目から生まれた月読命、

鼻から生まれた建速須佐之男命と共に、
三貴神と呼ばれる。

このとき、伊邪那岐命は天照大御神に
高天原を治めるように指示した。

【セオリツヒメ(瀬織津姫)の原型は機織り】

天照大御神が機屋で神に奉げる
衣を織っていたとき、
建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、
皮を剥いだ血まみれの馬を落とし入れたため、
驚いた1人の『天の服織女』は
梭が陰部に刺さって死んでしまった。

ここで天照大御神はついに『怒り』、
『天岩戸』に引き篭った。

*アマテラスの『怒り』が荒御魂であり、
穢れ(死)が『天の服織女』で、
『天岩戸』へ籠るのが日没を意味します。

つまり、アマテラスの荒御魂は
岩戸隠れによって作られているんです。

*瀬織津姫のモデルはおそらく
天の川の近くにある織姫星ですね。

織姫星も天の川という境界にいる
久那戸と言えます。

*天岩戸、久那戸、戸は出入口で扉、
扉は互いに分かれるという意味、
伊弉諾と伊奘冉の黄泉の坂での別れ。

祓戸の神ですから、
風日祈宮のイブキドヌシ神
(級長津彦命、級長戸辺命)などと
一緒にいろいろな形で穢れを取り除く
と考えたのでしょう。

【祓戸四神】

瀬織津比売神(せおりつひめ)-
もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。

速開都比売神(はやあきつひめ)--
河口や海の底で待ち構えていて
もろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む。

気吹戸主神(いぶきどぬし) --
速開都比売神が
もろもろの禍事・罪・穢れを
飲み込んだのを確認して
根の国・底の国に息吹を放つ。

速佐須良比売神(はやさすらひめ) --
根の国・底の国に持ち込まれた
もろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

*祓戸大神とは、

日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した
伊邪那岐命が禊をしたときに
化成した神々の総称ということになる。

古代の天文観は

西に沈んだ星や太陽や月は、
翌日天空に昇るために土中を移動します。

特に星々は天上の世界の神々の世界と通じる
穴(筒)ですから、
土中にある間に
土公神(土中は根の国、黄泉の国)という
解釈をしていたようです。

太陽や月は天文でなく、
暦と深く結びついていましたから、

太陽や月が毎日繰り返し東から昇る事に、
時間の永遠性を感じたのだと思います。

つまり、太陽も月も毎日の穢れを祓っている
と考えられたのです。

セオリツヒメはその存在が、
穢れや罪を取り除くという意味や
古史古伝のホツマツタエなどから、
スピリチュアル化したのでしょうね。

信じるものは救われるでいいのですが、

それは宗教であって、
歴史的に存在したものではないのです。

まして、封印された女神でもなく、
アマテラスの后でもないのです。



『キトラ古墳の天文図と神話』

〜イザナギが黄泉から帰り

禊ぎから生まれた三貴神とセオリツヒメ

於是洗左御目時、所成神名、

天照大御

次洗右御目時、所成神名、

月読命

次洗御鼻時、所成神名、

建速須佐之男命

イザナギが筑紫とか日向で禊ぎをしたという
具体的な場所を探しても無駄です。
そんな場所はないんです。

天空の神『イザナギ』は
夜や昼を循環させる神、
イザナミはその死が
土中の黄泉の世界を意味し、
死と再生(女性、陰の世界)をもたらす
土気の地母神、天と大地なんですから。

太陽も月も星も天海の涯から天空に昇る前に
イザナギの禊ぎを受けるんですよ。

つまり、天空は東から西へ移動する
(北極星を中心に回転する)という事なんです。

*星のスサノヲ(金星、歳殺、太白)は
根の国、土中に行きますね。

アマテラスも
岩戸隠れ、土中に行きますね。

セオリツヒメはアマテラスの荒御霊、
つまり土中の穢れそのものであり、

イザナギの禊ぎを後世にアマテラスも同様に
禊ぎをするとして祝詞の中に入れたんです。

だから、古代に書かれた記紀には

載っていないんです。




(ღ˘⌣˘ღ)

確かに

今や、瀬織津姫神は清らかな水の精のごとく
語られるようになっていますが

わたし自身には疑問がありました

大祓詞には出てきていますが、
ほかには現してはいないのです

瀬織津姫神は「死んだからではないか」

と、思っていました

伊勢神宮の荒魂宮が瀬織津姫神ではないか、
という話も

スサノオの悪事で殺された
女神の怨念の象徴ではないかと考えていました

清らかな水の女神ではなく

大祓詞でも一番先に出てくるのは

セオリツヒメカミ、殺された女神の怨念

いわゆる元になっている怨念をまずは、
川に流してそれが、
生命の源の海まで行き着くように配慮する

その間

ハヤアキツヒメカミが川の流れの速さで海まで徐々に、その怨念を薄くしていって

イブキドヌシカミは海まで来る間に
怨念を持つ者がその怨念を手放し、
赦し、心にそれがなくなったことを確認すると

「息吹」前に進む、
扉を開く新たな風を受けるチカラを授ける

ハヤサスラヒメカミは二度とその怨念という、
陰のものが心に湧き上がってこないように
消し去ってしまう

これが、祓戸大神 四神の
ハタラキなのではないかと

大祓詞を毎日、奏上して、
わたしは、そう、考えていました

だから

単に、瀬織津姫神をのしあげるような

スピリチュアル化させているのは
おかしいんですよ!

大祓詞は、モノカタリ、なのです

蛯原さまのお話と考察に
すごく腑に落ちました!!

間違いではなかったんだと

本質を知らないと、怖いと、思いました

(*˘︶˘*).。.:*♡ 

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