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【出雲】出雲大社参拝の旅 ⑭2015年10月単独、また、おくにがえりします。

国引き神話 「未来を拓く」

出雲の創造神
「八束水臣津野命
(やつかみずおみつぬのみこと)」が、
出雲国を大きくしようと、
よその国の土地を引き寄せる姿です!

出雲地方の祖神的性格の神。
「古事記」では、
「おみずぬの神」の名で
須佐之男命の子孫、
大国主命の祖父とする。

『出雲国風土記』にみえる神。
出雲の国が狭いというので,
次々とよその土地の余っている所を
切り取って,綱をつけて
海上はるかに引き寄せてきて,
しっかり繋ぎとめたという。

これは「国引き神話」と呼ばれており,
こうしてできたのが
今日の島根半島ということになる。
この神話はあまりにも実際の地理に
即していることで知られているが,
その記述によれば,
海岸から半島目がけて伸びている
弓ケ浜半島を綱に見立て,
そしてその綱を結びつける杭に
伯耆大山を見立てるなど,
スケールの大きな巨人伝説としての
側面も持っている。
この神の名の「おみつ(=オミズ)」とは
「大水」つまり洪水のことであり,
この神が島根半島を作ったというのは,
島根半島がもともと沖合いに並ぶ
数個の島であり,
それが斐伊川の度重なる氾濫をはじめ,
その他日本海へ注ぐ諸河川の
流し込む土砂の堆積によって
本土と繋がったという,
半島形成の歴史をも反映していると
考えられる。
また中央の文献である
『古事記』『日本書紀』では,
出雲という国名を,
素戔嗚尊の命名によるとしているが,
『出雲風土記』では
この神を命名者としており,
国引きの業とも併せ,
出雲現地では国土創造の神として
厚く遇されていたことが思われる。

<参考文献>神田典城『日本神話論考』

八束水臣津野命は

「八雲立つ出雲の国は、
狭い布のような国であることよ。
最初に国を小さく作ってしまった。
それ故、作って縫いつけよう。」
と言った。
 そして新羅、高志など
各地の岬を切り取って綱で引き、
繋ぎ合わせて
出雲国を大きくしたとされる。


そのそばには、出雲阿国の像があります。

宇迦橋

橋の南にある石碑には
宇迦橋の名称の由来として、
「宇迦山」にちなむ旨が記されています。

2021年(令和3年)より、
老朽化にともなう掛け替え工事が
開始されます。

1915年(大正4年)に
北九州市小倉の篤志家の
小林徳一郎により
大正天皇御即位の大典を記念して
出雲大社に寄進された
鉄筋コンクリート造の明神鳥居です。
高さは出雲大社本殿より
少し低い23m、幅は14mあります。
鳥居の中央にある
扁額(へんがく)の大きさは
3.6m×2.7mもあり、
畳で計算すると6畳分もあります。
「出雲大社」の文字は、
出雲大社の
千家尊福(せんげたかとみ)公が
大筆を背に負って書いたと
いわれています。

と、あります。

さてさて、買い物も即座に済ませ、
タクシーをまたまた使用して、
出雲縁結び空港へ行きます!

地図上では、だいたい30分ですが、渋滞もあり、1時間ぐらいかかりました。

宍道湖

当時は、仙台からの直行便はなく、
大阪伊丹空港まで戻り、
そこから、仙台便に乗り換えです。

バラパン、だー!!

思わず、購入~テヘ

プロペラ機です!

必ずや、また来ます!

雲の中を上昇中

ほんとは、離陸、上昇中で、
写真撮影はできなかったけど、
雲間から日差しが、
出雲半島の日御碕あたりに射し込んで、
日本海に天使のはしごができていました。「また、いらっしゃいね!」
そう言われているような気がして、
涙があふれました。

もう、どこの空を
飛んでいるのかさえもわからないほど、
薄い雲が覆っていました。
わたしは、神話の世界から、
現実に引き戻されたような、
寂しさが襲いました。

乱気流で、小さなプロペラ機は、
けっこう揺れました。

わずか50分の旅。大阪伊丹空港です。

ボンバルディア~♪

仙台空港 到着

さすが、東北の10月は、
冷え込んでいました。

ただ、月の中の、
「うさぎ」だけが知っている。

わたしが、
出雲で出会った神々様との、ご縁結び。

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