見出し画像

【伊勢】伊勢神宮ツアーと大阪の神社 2019年2月 ➂二見興玉神社、猿田彦神社

大阪難波駅から、近鉄大阪線で、
大和八木駅まで行き、同行者と合流。
伊勢市駅までの特急に乗りました。
伊勢市駅でマイクロバスに乗り込み、
まずは、二見興玉神社に正式参拝です。

二見興玉神社 

猿田彦大神
宇迦御魂大神
綿津見大神(境内社 龍宮社)
大若子命(飛地境内社 栄野神社)

夫婦岩の沖合約700メートルの
海中に沈む、
祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を
拝する神社である。

猿田彦大神は天孫降臨の際に
高天原と豊葦原中津国の間の道案内を
務めたことから、
「道開き(導き)の神」といわれている。

この神の神使は蛙で、
神社参拝の後に神徳を受けた人々が
神社の境内に蛙の塑像を献納するため、
境内には無数の蛙像が並んでいる。

これは「蛙」の「カエル」に
「無事に帰る」「貸した物が還る」
「お金が返る」の「カエル」を掛けた
 験担ぎである。

お初の伊勢、二見興玉神社の参拝は、
ワクワクしますね!
それにしましても、参拝客の多い事!

曇り空で暗いのが、イマイチですが、
ありがたいことです。

いたるところに、
カエルの像がありますね!

夫婦岩

日の大神(天照大神)と
興玉神石を拝むための鳥居の役目を
果たしている。
古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と
呼ばれていたが、いつの頃からか、
夫婦岩と呼ばれるようになった。
この名称がついた時期は
定かではないが、
江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』に
大注連縄を張った夫婦岩の絵が
載せられている。


かなりな行列でした。

2月でしたが、観光は関係なしですね。

龍宮社

沖合から、放射線状の層雲

わたしは、東日本大震災を経験しました。
もし、東海3連動が起きたら、
その時、ここにいたら、
どこの高台へ逃げたらいいのだろうか、
と思いました。
あの大津波を見ますと、
ここの場合は、わずかな時間で
襲ってくることでしょう。
自然災害、天災はいつやってくるか、
わかりませんので、海沿いにいると、
そのことを考えてしまいます。
ツアーだから安心できる、とは
限らないのです。

ウミウが、羽根をパタパタしていました!「また来てね~!」と
言われているような。

岩戸館で、御塩を購入します。

2月に行きましたので、
店内は、ひな祭りの飾り一色!
素晴らしいです!

さて、次は、猿田彦神社へ向かいます。

猿田彦神社

石碑が建立されましたのも、
庚申の日ですね。

日本神話によれば、
猿田彦神はニニギの天降りの先導を
終えた後、
伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。

『倭姫命世記』によれば、
その子孫の大田命は
天照大神を祀る地として
倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。
大田命の子孫は
宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、
神宮に玉串大内人として
代々奉職したが、
その宇治土公が邸宅内の屋敷神として
祖神の猿田彦を祀っていた。
明治時代に入り、
神官の世襲が廃止されることになって、
屋敷神を改めて神社としたのが
猿田彦神社である。

猿田彦神がニニギの先導をしたと
いうことから、
みちひらき・交通安全・
方位除けの神社として信仰されている。

こちらも、すごい人出ですね!

たまたま、挙式に出会いました。

わたしも結婚30年ですが、
神前挙式は、夢でしたね。
なにせ、主人の家に合わせなくては
なりませんでしたので、
叶いませんでした。
キリのいいところで、
主人と神前で、しましょうか。

天降りの際に猿田彦神と応対した
天宇受売命を祀る
佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が
猿田彦神社の本殿に向かい合うように
建っており、
芸能の神として信仰されている。

実は、わたしは、
猿田彦神社さんとは、
ずっと繋がりがありました。

毎年12月、
御札や御守、御砂を送付して
いただいていたのです。
ですから、直に参拝できましたのは、
ありがたかったです。
車の交通安全の御守は、
ダッシュボードに入れてあります。

午後15時40分、2月の夕暮れは
早いものです。

彩雲です!

玉串大内人(たまぐしおおうちんど)
という職は、式年遷宮で、
心御柱と御船代(みふなしろ)を
造り奉るなど重要な役割を
はたしてきたことから、
建築の神、みちひらきの神とされる。

それゆえ神棚において、
猿田彦大神の御札は、
道を切り開く意味を持って
お祀りする御札となるため、
天照皇大神宮の御札より手前
(少しずらして先導役をする)に
祀る習わし
になっている。

わが家も神棚がありますが、

猿田彦神さまは、
天照大御神さまよりも、
前に祀っております。



椿大神社と猿田彦神社の論争

椿大神社の宮司は山本という姓で、
猿田彦神社の宮司は
宇治土公
(うじとこ)という姓である。
どちらも猿田彦神・大田命の
直系の子孫であると主張している。
『倭姫命世記』によれば
宇治土公家こそ
猿田彦大神の直系の子孫とされており、

猿田彦神社が
神宮内宮の近くにあることや、
猿田彦大神を祀る各地の神社で
椿大神社とつながりのある神社は
少数しか存在しないことから
猿田彦神社が猿田彦神を祀る
神社の総本社と考える者も多い。

『延喜式神名帳』に記載されている
「椿大神社」は、
都波岐神社・奈加等神社とする説もあり
論争になっている。

と、あります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?