総合誌はいまだ有効である、という話

おやつナタリーの終了に際して考えていたことがあって、言う場所がなかったのでだいぶ時間が経ってしまったのだけれど、ひと言でいえば「総合誌の有効性」、みたいなことを考えていた。結論から書くと、おやつみたいなネタを扱うのに専門メディアは向いてなかったのかな、と思っている。紙の世界に置き換えてみると、BRUTUSでおやつ特集があったら買うけど、「月刊おやつ」は成り立たない(ような気がする)という話です。

雑誌の世界では2000年前後に、「これからは専門誌の時代」みたいなことが、割と方々で喧伝された。当時の言説はざっくりこうだ。1)情報誌はネットの速度に駆逐されるだろう。2)総合誌は浅い知見しか提示できないから見向きされなくなるだろう。3)専門誌はメディアの形状に依存せず求められ続けるだろう。——10年経って答え合わせをしてみれば、総合誌が健闘した以外はそのとおりとなった。

ではなぜ総合誌が意外や残ったかといえば、それは総合誌にしかできない領域が存外に広かったからだと思う。音楽やゲームやサッカーみたいなジャンル、つまりそれなりの熱量を持ったファンがそこそこの数いる専門ジャンルなら、まだなんとか専門誌がなりたつ。それがネットであれ紙であれ、ヘマさえしなければ一定の支持を集めて維持できるし、実際のところできている。

(いまあっさり書いたけど、熱量と支持者数のマトリクスで、ジャンルの性質が決まるのよ。これだけ把握しとけば、あとは蛇足よこのノート)


世の中にある面白いこと、興味深いことは、一定の支持を集めることがらばかりではない。また高い熱量を発するものばかりでもない。熱量は高いけど支持の少ないジャンル(コア)と、支持者は多いけど熱量の低いジャンル(ライト)というのがあって、これがまた広大なのだ(支持者が少なく熱量も低いというエリアもあるが、ここでは触れない)。

ヘラブナはどうだろう、ぎりぎり専門誌やれるかな。粘菌は? ディンギーは? 南米旅行は? イスラム建築はどうだろう。みなさんも考えてみてください。そしてコアとライト、この2つのエリアを掬い上げるのに、総合誌は昔もいまも、すごく有効だと思う。

おやつは典型的なライトジャンルでした。おやつが嫌いな人なんて滅多にいないけど、朝から晩までおやつ情報にまみれて生きていたいと願う切実なファンは、メディアを維持できるほどはいなかった。けど、やっぱ、おやつの記事読みたいよね! そこで登場するのが、切り口をブランド化した総合誌なんですよ。年に1度か2度、いい感じの総合誌で「おいしい、おやつ」みたいな特集、あったらいいし、実際のところ、ある。


ひとつ付け加えておくと私、いまでもたまに、猛烈に総合誌やりたくなります。ナタリーは基本的にはさっき言った「専門誌の時代」という考え方の影響下にあって、だから専門サイトの集積(連峰と呼んでいる)を指向しているんだけれど、やっぱり専門誌だと扱える範囲が限定されているから零れ落ちてしまうものも多く、あとずっとずっとシングルイシューなので、気が滅入る局面が訪れることもあります。

そういうとき「ねえちょっとさー、来月は大正時代の同人誌特集ってどうかな、そんで再来月はデンタルケア最前線とか、どう? その次はアーバンフィッシングって湾奥シーバス紹介して、そん次は買える浮世絵ってどうかな」とかなってます。どうもこうもないよね。やりたいよー! 妄想台割くらい、いくらでも割りますわよ。(了)

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