30年ぶりに釣りをしてみようと思う (4)

2020/06/14
竿とリールが届くと現金なもので、一刻も早くフィールドに出て、もう何でもいいから海に放らねばならない。とにかくバヒューンって飛ばしたい、という気持ちが高まってくる。Primeで検索すると「明日届く」って書いてあるルアーがあって、ほんまかいな、と思いながらそれをポチってしまった。根がかって失くすのが怖いので、フローティングミノーにした。

30年ぶりで、いきなり投げられるのだろうか。前回魚のいない水にいくら放り込んでも釣れないと書いたけれど、魚がいる川でもいない場所に投げ込んでいたら釣れるわけがないのだ。釣りがうまい人とはすなわち投げるのがうまい人のことだってミラクルジムが言ってた(子供相手に商売をすると一生稼げるという実例)。私はキャスティングの下手な子供であった。というかあらゆるものを投げるという行為が下手くそなのだ。死ねばいいんだろ死ねば。

2020/06/15
日が暮れたくらいに郵便受けを覗いたら、プライム便がほんとに翌日に届いていたので、「日本かよ」と思いながら開封し、スナップにつけ、他に何の装備もないけれどピア35へと繰り出した。すると驚いたことに、見たことない数の釣り人がズラリ並んでいるではないか。15人はいる。どういうこと?

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若者も女性もいる。全員中国系。ちょうど満潮の潮止まりから下げ始めたくらいのタイミング。まだよくわかんないけど、釣れそうな時合にだけ、こんなに人が増えるってことなのかもしれない。「とにかく何でもいいから海に向けてぶっ飛ばすのだ」という感情を忘れて、しばらく眺めてしまった。誰も釣れていなかった。

そしてこれだけ人目があると、「釣れなくてもいいからとにかくブッ飛ばすのだ」という暴挙はなかなか難しそうに思える。いそいそと暗がりのほうに移動して、誰もいなくなったあたりで、おそるおそる第1投とあいなった。よっこらせ、っと。バヒューン、音はいいけど、超のつくフライである。そしてどこまで飛んだのかもよくわからない。巻いてみる。暗くて、何が起きてるかぜんぜんわからない。

ルアーがどんなアクションでどのへんのどのくらいの深さを泳いでいるか、ぜんぜんわからない。フローティングだから止めれば浮上するはずなのだが、暗いのでそれも見えない。こりゃだめだ。夜釣りって視界のない釣りになるわけで、視界がないなか状況を把握するためには、明るい間にしこたま予行演習をして、何をしたら何が起きるのかイメージを蓄積しておかないといけない、ということを学んだ。

あと目立つ色のラインにしないと弛んでるのか張ってるのかもよくわからない。安さにつられてダークグリーンのラインを買ってしまった。失策。とにかく今日は引き上げて、明るい時間に出直しだ。気が付くとあんなにいた釣り人はふたりだけに減っている。この日以降、こんなに釣り人が出てるのはついぞ見かけていない。

2020/06/16
そういうわけで明け方に出直してきた。釣り人は3人。いそいそと誰もいないゾーンに移動し、さあ投げるぞ。バヒューン、山なり。巻く。バビューン、山なり。巻く。試しにジャーキングなど入れてみる。うまく動かない。トゥイッチを入れてみる。これは動く。でも右手がけっこう疲れる。ただ巻きのアクションも観察する。さすが現代のルアーだけあってよく動く。リトリーブはわかってきたぞ。

それにしても飛ばない。現場でスマホで検索だ。テイクバックで竿をちゃんとしならせろ、と書いてある。やってみる。ボチャーン、地獄のような勢いで目の前の水面に落ちる。人のいるところでやらなくてよかった。バヒューン、山なりアゲイン。どうやらバヒューンとボチャーンの間にスイートスポットがあるようだ。2時間ほど投げて、ジョギングの人が増えてきてしまったので引き上げる。

2020/06/17
また明け方、キャスティング練習。挨拶してくれるようになったチャイナタウンおじさんたちが、あの子は何をやっているんだろうか、何かとてつもない誤解をしているんではないだろうか、ひょっとして気が触れてるのだろうか、おかしなことをしていると教えてあげないといけないのではないか、と心配そうにこちらを見に来る。もしくは投げまくって荒らしてんじゃねえぞ、って思われたかな。

肝心の軌道はだいぶマシになってきたけど、まだyoutubeで見るライナー性のお手本とはぜんぜん違う。あと40肩だか50肩だか知らんが腕の可動範囲の狭さがすごい。スリークォーターみたいのを試してみると、ちょっとイケてる気がしてくる。それにしても流れが速い。川幅は500mくらいあるのに、こんなに大量の水が移動してどこに行くのだろう。海に行くならまだわかる。逆流してるのだ。

流心よりだいぶこちら寄りをイーストリバーフェリーが通る。このままがんばって投げ方のコツを掴んだら、あのフェリーに当たらないか心配したりして。これは普段しないタイプの、かなり中2っぽい妄想で、何かを押し殺していたのだろう、長いこと忘れていた中2感覚が回復されてきているのを感じる。同時に朝の空気や季節感を感じるセンサーも少し回復されつつあるのを感じる。

2020/6/20
投げ練に飽きたので、明け方、こないだとは逆方向に、ポイント下見。下見にはチャリで繰り出しているのだが、チャリにロッドホルダー付けて移動してるおじさんがいて、あれを付ければ広範囲を探れるだろうけど、ちょっとまだ気恥ずかしい。最強なのは電動スクーターに釣り道具を積んで走り回ってるおっさんたちで、いまだグレーゾーンのままだからナンバーもなく、遊歩道にも乗り上げ放題だし逆走もノーヘルもどんと来いだ。

マンハッタンとブルックリンをつなぐ橋は、海のほうからBMWと呼ばれていて、ブルックリンブリッジ、マンハッタンブリッジ、そしてウィリアムズバーグブリッジという並びになる。そのウィリアムズバーグブリッジは、3本のなかで唯一、陸から余裕で届きそうな位置に橋脚がある。もしストライパーがストラクチュアを好むのなら、ここは有力ポイントになりそうな気がする。そして確実に釣り人がいたであろう形跡がある(釣り糸が落ちてた。怒)。

そこから上は、漠然とした遊歩道と開けた水面、だだっ広い風景が漠然と続く。仔細に見れば水中に変化があるんだろうけど、チャリで流してるだけだと、とりとめなさすぎてとっかかりがない。15thのところにコンエディソン(東京電力と東京ガスが合体したようなエネルギー企業)のプラントがあって、イーストリバーフェリーから煙突が見えるので認知はしていたんだけど、泡まみれの温排水がじゃんじゃか川に流されているのでぎょっとした。

ちなみによく聞かれるので書いておくけど、ここイーストリバーで釣れた魚は、15歳未満の男児と50歳未満の女性(児童と妊娠可能性のある人、というカテゴライズだと思う)は絶対食うな。15歳以上の男性においては月に1食以下にとどめること、とNY市保健局のサイトに書かれていて、まあ汚染度全米ワーストのゴワナス運河も近所だし、ねえ。ただ何事にも勇者はいて、チャイニーズのみなさんは持ち帰ってるみたい。店で出してたら笑うなー。

さて23〜28stはクルーズ船やマンション複合施設で海にアクセス不可。一瞬また広けるもふたたび、新製品発表会とかやりがちなチャラいホール、セレブがJFK行くのに使ったりするヘリポート、イーストリバーフェリーのターミナル駅にあたる34th停留所、と建造物が連続する。フェリーターミナルの先からはイーストリバープラットフォームという水上に建てられた広場になっていて、ここは潮当たりもいいし釣りには向いてそうだけど、ついぞ釣り人は目撃しなかった。(写真はイーストリバープラットフォームから。手前からフェリー桟橋、遊覧船、マンションをはさんでコンエディソンの工場、ウィリアムズバーグブリッジ)。

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海にアクセスできるのはいったんここでおしまいなので、帰路に着く。不思議なのはこのルートの対岸に位置するロングアイランドシティ、グリーンポイント、ウィリアムズバーグ、いずれの桟橋にも釣り人がいるということだ(釣り人を見かけた場所をハートでプロット)。同じ川の片側でだけしか釣れないなんてこと、あるだろうか。あるかもしれない。あるのかもしれないけど、それ以上に何か、理由がありそうな気がする。かなり突き出た桟橋じゃないと釣れないのかな。もしくはマンハッタンには暇人がいない、とか笑。

スクリーンショット 2020-06-23 午後0.11.16

帰り道に最大の収穫があって、ストライプドバスの死体が浮いてるのを見かけた。この水を泳いでる魚がいる! そして1週間かけて観察してきてわかったのは、釣り人口はある、けれど釣り人がいつも釣りしているわけではなくて(そりゃそうだが)、何かのタイミングで何かがどうにかなると、どっと増えるということ。あと同じ川べりに見えるけど、釣り人がいるところといないところとはっきりとコントラストがあって、それがポイントという言葉の意味するところなんだろうけど、そこには当然、何か理由があるんだろうということ。

かつて7、8年ほどサーフィンをやっていた時期があって、湘南に引っ越したくらいにはがんばっていたのだが、それまで「波」1語、せいぜい大きい波、小さい波、くらいしかなかった波に関する解像度がサーフィンをすることで拡張されて、チョッピーなのか、グラッシーなのか、ダンパーなのか、メロウなのか、近海で起きた波なのか太平洋を何千キロも渡ってきた波なのか、少なくとも何十種類にも判別できるようになる、という体験をしたことがある。

思い出が美化されてるだけかもしれないけれど、あのシーズン、都市で働きながらも風と空模様に鋭敏に暮らしていて、そのことで自分は生きてるなって実感を得ていた気がする。いま自分の水辺を見る目は退化してしまっていて、河口だなーくらいにしか視覚が働かないけれど、こうやって釣りっていう目的を持って毎日のように水辺に繰り出していたら、見える景色がぜんぜん変わってくるんじゃないかな。そしてそれが、いま鬱屈としている自分の気持ちを慰めてくれるだろう、という予感がある。僕なりのLife is coming backだ。



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