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第九話 いのちのまま生きる輝き

超速ハイハイを搭載した娘はすぐ歩けるようになるかと思っていたのに、はじめてのアンヨは意外にも1歳4ヶ月。思う存分、超速ハイハイ満喫してからのアンヨだった。ハイハイだった頃とガラリと見える世界が変わり、立って歩くことが生きることそのものであるかのように、全身全霊の喜びに満ち溢れている。

自分の力を信じて歩く。

いのちのまんま、娘のまんま、混じりっけなしの娘は、五感とからだの全部を使って世界を感じとり、自分でできるって「楽しくて、嬉しくて、たまらないよ!」と、娘のまるごと全部が笑顔だった。

そんな娘のはじめてのアンヨ記念日からしばらくたったある日、コーチングの師匠に「私、やっぱり書くのが好きなんです。どこかで生かしたい。書くのが苦手な人の役に立ちたい」そう話していた。師匠は「それは、すごくいいね!」と言ってくれたけれど、私のその「想い」を、具体的にどう実現したら良いのかまでは、わからなかった。

ところが、そのきかっけは思いもよらぬ形で訪れる。私が学んでいたコーチングの協会が、とあるシステムを採用することを決め、私たちコーチも使うようにアナウンスされた。なぜかこの時の私は、詳細な説明を待たずに、すぐさまユーザー登録した。

それがきっかけで、ログイン画面に表示される不思議な大仏・・・マスク(?)と出会った。正直、なぜその大仏をクリックしたのかはわからない。どう考えてもフツーの会社員をしている私からみれば「異質すぎる」風貌だ。けれども、それまでの数ヶ月間さらされていた、起業家世界のキラキラした世界と比べたら、その姿はむしろ「なんだか面白そうだな」と思えた。

自分には無縁だと思えた世界も、そのショックに少しずつでもさらされ続けたことで、ちょっとした"抵抗力"がついたのかもしれない。大仏程度では驚かない私になっていた、そう思ったら「あの世界」にも感謝できる日がくるのかもしれない。

コーチングを仕事にするために「お茶会」ではなく「文章」で集客する活路を見いだそうとしていた私だった。でもこの頃の私は、それ以上に「書く」ことに何かを感じていた。そんなタイミングで、その大仏が開催する講座のLPにこう書かれていた。

「文章の先生になれる」

このワンワードで、コーチングの師匠に話していたことが実現できる!そんな予感に一気に包みこまれた。お互いに顔出しすることもなく大仏から説明を聞いた私は、その日のうちにライティングインストラクターの養成講座に申し込んだ。そう。まさかの大仏は、私のライティングの師匠となる人だったのである。

私は夏休み明けから始まるその講座が楽しみでたまらなかった。そんな私に、初回の講座で大仏師匠が言い放ったある一言。

それは、この先の私の運命を「予言」するような言葉だったのだ。

第十話に続く

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