問題意識が〈ファクト〉を生む〜次の日経を考えるチーム『#ファクトを活かそう04』を読んで

上野千鶴子さんは毀誉褒貶の激しい社会学者ですが、私自身は1980年代からその著作(『セクシィ・ギャルの大研究』『女は世界を救えるか』『〈私〉探しゲーム』等々)を読み続けてきました。最近刊では『また身の下相談にお答えします』『時局発言!』などを私のnoteで紹介済みです。

一般書を読むかぎりでは、賛否は別にして、その切れ味鋭い語り口は社会学者のなかでも独特の存在感を醸し出しているように感じられます。

さて、「次の日経を考えるチーム」によるインタビュー記事。コンパクトにまとめられていますが、「ファクト」に関するファクトをスパッと鮮やかに提示するもので、なるほどと感じ入りました。

「ファクトは作るもの」というフレーズはそれだけが一人歩きすると誤解を呼びかねませんが、「問題意識がないとファクトは生まれません。解決したい問題を調査をすることをアクションリサーチと呼びますが、アクションリサーチの結果、初めてファクトが立ち上がってくるのです」という後に続く発言をきちんと読めば、誤読の余地はないでしょう。

また、高齢者の虐待について、その実態が埋もれているのではないかという指摘もなるほどと思いました。他人事ではありません。私自身、認知症を患った実父を介護するため郷里にUターンしたのですが、父を入院させた医療施設でも、面会スペースで入院中の高齢者の患者さんにご子息と思しき面会者が介護に疲れたのか罵詈雑言を浴びせている場面を何度か目撃したことがあります。私自身も父に向かって思わず大声で叱声をあげ、驚いた病院のスタッフが駆けつけてきたこともありました。施設ならばこのような第三者の目も作動しますが、自宅での介護は完全にブラックボックスの世界。父を見送ってもうずいぶん時間が経つのに、今でも苦労の多かった介護の時期を思い出しては冷汗をかくことがあります。
いずれにせよ、世の中でどのような虐待が行われているのかいないのか、実態を把握しようと思えばそれこそアクションリサーチが必要でしょう。

メディアでは、一部の(自称)学者や(自称)ジャーナリストが「ファクト」を無視して、みずからの政治的主張の喧伝に努めるという光景がふつうに見られるようになりました。いや、それどころか政権中枢においても、誰が主導しているのか知りませんが、公的な統計データを改竄したり捏造することも常態化しているようです。
そのような時代にあっては、上野さんが指摘するように統計リテラシーやメディアリテラシーの涵養は以前にもまして重要になってきているように思います。しかもそれは国家が指導するような形で「習う」のではなく、もっと主体的な形での勉強が必要かもしれません。

問題意識がファクトを生む。裏返せば、問題意識のないところではファクトは見えてこないということでもあります。
かつて私が学んだ大学のマスコミュニケーション論の授業で「情報はNatural Resourcesだ」と言う教授がいましたが、今となっては、情報がそのように牧歌的に認識されていた時代があったというのは一つの驚きです。情報がいかにも「Natural」な装いで降り注いできた時には、むしろ私たちはファシズムの浸透を懸念すべきでしょう。

そんなこんなで、上野さんのインタビュー記事を読んでいろいろなことを思い出しました。

問題意識がファクトを生む。ちょっとどこかで引用したくなるようなフレーズですね。

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