横山大観_Fotor

近代日本を生きた「意志の芸術家」!?〜『横山大観』

◆古田亮著『横山大観 近代と対峙した日本画の巨匠』
出版社:中央公論新社
発売時期:2018年3月

2018年は横山大観の生誕150年、没後60年のメモリアルイヤーにあたります。本書はそれに合わせて刊行したものと思われます。

波乱万丈の人生をおくり、近代日本の進展とともに歩んだ国民的画家。無心の童子の姿が印象的な《無我》や嵐の荒野をさまよう詩人を描いた《屈原》などは、実物を観たことはなくとも印刷媒体で目にしたことのある人は多いでしょう。

それにしても性急な西洋化と日本文化の伝統のはざまを生きねばならなかった画家としての葛藤は並大抵のものではなかったはずです。この日本画家を正当に評価するためには、それ相応の感性と歴史観と語彙が必要になるに違いありません。著者の古田亮は近代日本美術史を専攻する東京芸術大学の准教授です。

結論的にいえば、私にはいささか退屈な読み味の本でした。
最も引っかかったのは著者の大観評価に関する記述がきちんと整理されていないと感じられる点です。たとえば批判の多い戦時中の大観の仕事に関して著者は以下のように記しています。

……大観もまた時代に〈屈した〉かの見方も成り立とう。しかし、大観には〈屈する〉理由などなかった。水戸気質の皇国思想を生まれながらにして身にまとう大観にとってみれば、そもそも自由は報国のなかにしかなかった、といった方がよいだろう。(p171)

しかし末尾のまとめの部分では、大観の芸術を「意志の芸術」をキーワードにして次のように総括しているのです。

……日本画を改革しなければならないと岡倉天心にしたがった明治期、彩管報国をまっとうしなければならないと先頭に立った戦中期、そして無窮を追う理想的絵画を描かなければならないとうったえた戦後期、その時代ごとに違った色合いをみせている。大観を意志の芸術家と呼ぶにふさわしいのは、画家としてのそうした意志が各時代の作品中に色濃く反映されているからである。(p207〜208)

戦時中の振る舞いを後世の高みから一方的に批判するつもりはまったくありません。しかし「皇国思想を生まれながらにして身にまとう」ゆえに無批判に戦争に協力したと著者が考える画家を、時代ごとに違った色合いをみせた「意志の芸術家」と呼ぶのはいくらなんでも無理でしょう。
そもそも人が特定の思想を「生まれながらにして身にまとう」ことなどありえません。比喩的表現としても軽薄です。

そんなわけで失礼ながら評伝としては破綻気味と感じました。
とはいえカラー写真をふんだんに使った親しみやすい編集でいかにも新書的な作りになっていることはたしかです。むずかしいことは抜きにして気楽に大観のことを知りたいという初学者には、それなりに愉しい読書の時間を過ごせる本かもしれません。

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