有能な人材の海外流出について私が思っている二、三の事柄

かつて日本の企業が得意としていた半導体メモリーや液晶パネル事業はすっっかり海外企業にお株を奪われてしまいました。ほかにも凋落が伝えられる業種はいくつもありますが、それに連動するかのように日本人技術者の海外流出が続いています。日本の企業に見切りをつけて海外に渡る技術者に対しては、時に「売国奴」の罵詈雑言が浴びせられたりします。しかし彼らは単に自らの職業的スキルを売っているだけ。的外れのバッシングというほかありません。

「国益」の観点から批判されるべき者がいるとすれば、何よりも有能な技術者を活用できない企業の経営者でしょう。日本企業では高い収益を上げることに貢献のあった社員が相応の報酬を受けていないことはしばしば指摘されるところです。労働者が自分の能力を高く買ってくれるところで働きたいと思うのは当然のこと。企業が不要になった労働者を使い捨てるように、労働者の側だってダメな企業に愛想を尽かすのは当たり前。お互い様です。それがグローバル資本主義における労働市場の基本原則です。

ところで昨今の日本における言論空間をみていると、同じ論者のなかに、自由を旨とするグローバリゼーションと、個人の自由よりも国益を優先するナショナリズムとが奇妙な形で混淆しているケースが少なからずみられます。論者の都合に応じて、グローバル資本主義が称揚されたり、ナショナリズムの大切さが説かれたり。一見無節操な態度のようにも見えますが、政権与党の改憲草案にみられる支離滅裂ぶりをそのまま反映しているようにも思えます。

いずれにせよ優秀な人材の海外流出が問題だというなら、流出していく個人を難詰したところで意味はありません。国内の労働市場で活躍してもらえるような条件を整える以外にないでしょう。それは基本的には企業家や政治家の仕事です。社会の構造を見ないですぐに個人への攻撃が始まるような社会の風潮も人材確保の見地からは否定的要素といえましょう。政財界のリーダーたちによる強権的な言動がそのような風潮を助長しているようにも思えます。多くの人々に影響力を及ぼす問題の決定権を持つエリートたちの重要性がますます切実に感じられるのは、彼らの劣化現象の裏返しというべきなのかもしれません。

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