仏教抹殺_Fotor

明治維新の暗黒面を掘り起こす〜『仏教抹殺』

◆鵜飼秀徳著『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』
出版社:文藝春秋
発売時期:2018年12月

日本の宗教は世界の宗教史のなかでも特殊な歴史を刻んできました。中世以降江戸時代まで、神道と仏教が混淆していたのです。平安時代に生まれた本地垂迹説という神仏習合思想がその土台を成しています。日本の神々は仏菩薩が化身としてこの世に現れた姿だとする説です。外来宗教であった仏教が日本独自の神道と無理なく混じり合い、寺と神社が同じ敷地内に共存するのは当たり前という状況が長らく続きました。

ところが明治時代になって状況は一変します。明治維新政府が1868年に出した一連の神仏分離令をきっかけに、仏教への迫害・破壊行為が全国的に始まったのです。「廃仏毀釈」といわれるものです。
神仏分離令は、王政復古・祭政一致に基づいて、あくまでも神と仏を区別するのが目的でした。しかし地方の為政者や神官のなかにはこの法令を拡大解釈する者が現れたのです。

このような廃仏毀釈は明治維新を語るときに避けては通れない出来事のはずですが、その痕跡を全国的に歩いて調査した事例はほとんどないらしい。
本書は各地を独自取材してその実態を掘り起こした労作です。著者は浄土宗の僧侶としての顔も持つジャーナリスト。

1868年、比叡山延暦寺が支配していた大津の日吉神社で神官らによる暴動が勃発します。社殿に安置されていた仏像、仏具、経典などが焼き捨てられたのです。これを合図のようにして全国で寺院破壊が加速化していきます。僧侶たちは還俗、あるいは神官として転身することを強いられました。

郷中教育や外城制度などの歴史的要因もあって廃仏毀釈が徹底して行なわれた鹿児島では一時、寺院と僧侶がゼロになりました。また松本、苗木、伊勢、土佐、宮崎などでも市民を巻き込んだ激しい廃仏運動が展開されます。この一連の騒動によって、9万あったと推定される寺院は半分の4万5000ほどに激減しました。廃仏毀釈がなければ国宝はゆうに三倍はあったともいわれています。鹿児島には仏教由来の国宝、国の重要文化財が一つも存在しません。

皮肉なことに、廃仏毀釈によって肝心の伊勢神宮にも悪影響が及びました。伊勢神宮は古くから多くの参詣者を集めてきたことで知られます。伊勢信仰を下支えしていたのが「御師」と呼ばれた人々。彼らは自らの邸宅に参詣客を宿泊させ、案内人をつとめ、伊勢暦や神札を配布を行なっていました。宗教的職能者とツアーコンダクターとしての役割を果たしていたわけです。しかし新政府は神仏分離政策の一環として御師制度を廃止します。明治以降に参拝者数が激減したのはそのことが大きいと著者はいいます。

また皇室の菩提寺も大きな影響を受けました。
京都・東山の真言宗泉涌寺は四条天皇の葬儀を行なって以降、「皇室の御寺」と呼ばれるようになりました。しかし神仏分離により泉涌寺における天皇陵の墓域がすべて上知(没収)され官有地とされました。それまで天皇・皇后の葬儀は泉涌寺が一切を執り行なってきたのですが、その慣習は明治天皇以降、消滅します。泉涌寺と並ぶ皇室の菩提寺として知られた天台宗般舟院も神仏分離によって尊牌は泉涌寺に移され、天皇家の菩提寺としての歴史を閉じました。現在、般舟院のあった場所は中学校になっています。

「当時は天皇家すら、神仏分離政策には抗えなかったのだ」という著者の指摘に廃仏毀釈の倒錯的性格が象徴されているように思えます。言い換えれば廃仏毀釈が当初の政府の理念といかにかけ離れた無謀な運動であったかということでもあるでしょう。

それにしても何故このような不条理な暴動が生じたのでしょうか。著者は四つの要因を挙げています。

① 権力者の忖度
② 富国策のための寺院利用
③ 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性
④ 僧侶の堕落(p241)

②はもともと水戸藩が考案した合理化政策。大砲鋳造を目的に寺院から金属を供出させたのが最初です。神仏分離令を機に京都では寺院から没収した鐘や仏具の金属類から橋の擬宝珠を作るなどインフラ整備に寺院から出た物資を利用することが各地で見られるようになります。また寺院の伽藍の多くが学制の発布とともに学校に転用されました。
④に関しては、妻帯が禁じられているはずの住職がさらに妾の元に入り浸るなど仏教者の本分を忘れた振る舞いが地元住民の顰蹙を買った事例などが紹介されています。

ただし①と③については留保が必要ではないかと思います。
「権力者の忖度」というのですが、そもそも維新政府は廃仏毀釈のような過激な運動までは想定していませんでした。現に日吉大社の暴動の直後に太政官布告を出して神職らによる仏教施設の破壊を戒めています。本書を読むかぎり地方の権力者が国策に対して過剰反応を示したという印象が強く、一連の廃仏毀釈に関して「忖度」などという現代の流行語を使うのは的を外しているうえにいかにも軽率な気がします。
また「民族性」という概念じたいも怪しいものです。地域ごとに運動には温度差があり濃淡がまだら模様になっているわけで、本書の文脈で民族性なる曖昧な概念を安易に持ち出すことにはあまり同意できません。

もちろん以上のような疑問点が本書の致命的な疵になるというつもりはありません。
2018年は明治維新150周年にあたり、政府主導で明治時代の「光」の面が強調されることが目立ちました。廃仏毀釈は明治維新の「影」に相当する出来事だったといえます。現政権の政治的キャンペーンを相対化するような主題を掲げて、自分の足で各地を歩き、詳細を調べあげた著者には敬意を表したいと思います。

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